HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

子供が減っている・・・本来統一運動が果たすべき課題を果たすためには

2017-05-04 23:37:31 | 統一家の行くべき道

明日の子どもの日を前に、人口に占める子供の比率が42年連続で減少し続けているという、悲劇的なニュースが報道されていた。実にこれは悲劇的である。子供が減少し続ければ、その国は、その民族は悲劇を免れえない。

それはその国や民族に将来がないと言うことに他ならない。

 

人口減少の主要な原因

人口減少の主要な原因は少子化である。結婚適齢期年代の青年の減少もあるが、その青年たちが結婚しても子供を産む確率が減少している。そして事態はますます悪化している。今その問題に誰も切り札を用意できていない。どこにも出口が無いのが現状である。

少子化担当大臣をどんなに任命していても、結局抜本的な改革は出来ずに来ているのが実情である。この問題の解決のためには正しい倫理観道徳観の教育が不可欠である。逆に言えば正しい家庭倫理の在り方を確立して、国家的にその教育に取り組めば自ずと解決していく問題なのである。問題はそのような倫理観を誰がどのように提言し確立して以下の問題である。

 

本来は宗教団体が取り組むべき課題だが

本来は宗教団体がそのような問題に取り組むべきなのであるが、現在の宗教法人法では、宗教法人それ自体が社会教育的な活動に関与することは非常に難しいのが現状である。宗教法人が税制上優遇処置を受けている代わりにその活動には様々な制約が課せられているのである。

各宗教間の連携や交流の不足もある。新宗連などの宗教界の連合組織もあるが、それらはあくまでも宗教団体間の友好関係を作り上げることが目的のため、新たな課題に取り組むなどの積極的な対応はとるのが難しいのが現状である。宗教法人ではない社会教育団体やNGO的な団体もあるが、それらは今あまりにも無力である。

 

家庭倫理を学問的に解明することも必要

国家的な課題の少子化に本格的な回答をもたらすだけの力量を備えた団体が今のところ見当たらないのが実情なのである。かつて70年代にはそのような機運が無いことも無かったのであるが、すっかりその火は消えてしまっているような状態である。

学問的にも家庭倫理の確立が緊要である。家庭倫理に関する学術的な研究も不可欠であるが、どうも日本には「家庭学」なるものがほとんど確立されていないのが現実である。本来であるならば「世界平和統一家庭連合」は宗教法人ではなく。社会教育団体として、国民教育運動の先駆けとして国家的家庭倫理活動運動の先頭に立って国民運動を推進していくべきだった。

 

日本統一教会に間違いがなければ

日本統一教会が70年中半に、社会的批判受けるような間違いを犯していなければ、70年代後半から80年代にかけて家庭倫理の再生運動の先頭に立ち。90年以降は世界的な家庭債権運動と連携して、人類史的な家庭問題解決の運動を世界的に確立するその模範的モデル国家として日本が活躍する場があったに違いない。

もともと日本は家庭倫理においては先進的な国だった。古代、魏志倭人伝にも「倭国の民は淫らでない。」と記録されていた。ユーラシア大陸の東端に位置する日本には世界の文明のすべてが流入してまさしく最先端文化のるつぼのような様相を呈していた。とりわけ宗教文化や精神文化は先端的に発達して、17世紀、戦国時代が終了して以降は世界に名だたる倫理大国となっていたのである。

世界で最も秩序を重んじ、世界で最も人権が尊重され、世界で最も家庭倫理の普及した国になっていたのである。

これらのことは明治維新後欧米諸国を訪れた、日本の学識たち、新渡戸稲造や内村鑑三、岡倉天心などがそのことを実感し多くの書を著している。

 

一時日本は誤った方向に行ったが

にもかかわらず日本は一時極端な国粋主義的傾向に走り、世界大戦において敗北し、神が育てた善良な倫理観世界観さえもが間違ったことであるかの誤解をして、戦後日本は伝統的精神や文化をすっかり捨て去って蔑ろにしてきた。それが大きな間違いだった。

古代の「淫らでない倭国」を取り戻さなければならない。明確な家庭倫理の価値観を人類普遍の原理として確立して世界に普及していかなけrばならない重大な責務が日本にはあると思う。

 

家庭倫理の模範国家となることが日本の天命

家庭倫理の確立が第一である。この明確な確立には、内外の知恵を結集する必要がある。これまで日本の精神界をリードしてきた諸宗教や倫理系諸団体との連携や協力も必要であろう。

健全な青少年教育のプログラムの確立が急務である。必要ならば諸外国からも叡智を結集したら良いだろう。健全な理念は健全な家庭を基盤としてのみ確立することが出来る。本来統一原理は、宗教や倫理の壁を越えて、本来の人間のあるべき姿、本来の家庭のあるべき姿を明確な論理で説く理念だった。特に本体論は人間の性の問題に明確な回答を与えている。統一原理や統一思想、原理本体論は一宗教団体の理念ではない。一宗教団体の理念にとどめる以上は、その団体どまりの内容である。

 

願わくは「世界平和統一家庭連合」は宗教団体から一般社団法人などに衣替えして、宗教性を脱却して、その教理だった統一原理を無償で諸団体に開放し、自由な理念の形成の材料にできるようにしたらありがたい。

あるいは純宗教的な活動は別団体にして、活動の主流を国民教育への奉仕をする団体活動に特化していくことが望ましい。そういう形態こそが創始者文鮮明師の意向に沿う形だと私は考える。

 

過去の教会組織からの脱却

「統一教会」と言う名称はあまりにも社会的非難を浴び、修正が不可能なくらいにイメージが低下してきてしまっていた。思い切って一旦解散するくらいの出直しが必要かもしれない。しかしそのことをやり遂げれば、将来永遠にわたって尊敬され、歴史にその名を記す団体となり運動となることは確実である。それだけの内容が本来統一原理をとかれた文鮮明師の教えにはあると言うことである。

これまで統一教会、名称変更して家庭連合となったが、あまりにも教派的な活動に終始して、統一教会を創始した文鮮明師の意向とはあまりにも異なった動向を為してきたことが現実ではなかろうか!

 

今こそ、全食口、祝福家庭が、本来文鮮明先生が求めてきたものは何だったのか!協会創立にかけられた願いが何だったのかをはっきりと知って、その本来あるべき姿を取り戻すことに全力を傾注すべきではなかろうか。これは一団体の存族の問題ではなく、全人類の未来がかかった問題だと認識すべきだと思う。心ある食口の奮起を望みたい。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿