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訪韓修練会御言集 ②「蕩減復帰の峠を越えましょう(摂理的総決算)」

2017-04-20 10:19:34 | 歴史について

訪韓修練会御言集から②


蕩減復帰の峠を越えましょう(摂理的総決算)
 19931220日 韓国・済州研修院

 

旧約時代、新約時代、成約時代の目的
 聖書では、「再び蘇るという」ことをいっているのです。再び生まれなければなりません。それで、イエス様にニコデモが夜に訪問して尋ねました。「いかに すれば救われますか?」と。その時、イエス様は「再び生まれ変わらなければ、それは救われません」と言いました。それでニコデモが言うのには「いかにし て、大きくなって再び腹の中に入って生まれることできますか?」。「それも知らずして、イスラエルの先生になっているのか」と、イエス様が反問したことが あるのです。だから、重生の意味は重ねて生まれるということです。最初に生まれたことが間違っているから再び生まれ変わなければならないという意味です。イエス様は、はっきり話しましたが、その内容は説明しなかったのです。言葉では言っているのです。

 (図は省略)

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 旧約時代、新約時代、成約時代です。(先生が黒板に図―1を書かれる)こうなるのです。神様の摂理の中心思想は、真の父母を再び取り返してくることです。創造するのではないのです

 サタンによって盗まれていったのだから、もとがえしてこなければ、探し求めてこなければなりません。きのうの「真の自分を探しましょう」と同じく、失ってしまったということです。分かりますか?そうするには、良心を絶対なるものとして、それと一つとなる道以外には、自分を探すことができないというのです。それでは誰によって教わるのかというと、自分ではないのです。良心は何も知らないのです。堕落圏において長成(期)完成(級)基準の未完成期において、知らないで堕落した基準を凌駕する者が一人もいなかったのです。それを凌駕しないというと、サタンの支配下に永遠に止まります。

 それで、神様は真の父母として、蘇生(期)完成(級)基準ではなく、それを凌駕している完成(期)完成(級)基準に到達した場合には、神の直接主管圏に入るのです。だから間接圏は、神様の直接主管圏を中心として主管されるような基準に及んでいないので、その下に行って愛の問題を完成するようにはなってないのです。分かりますか?(はい)。何も知らないで堕落するのは、その知らない基準に神様は降りていくことができないから、そのまま待っている立場ですから、それを見ながらも、堕落することを放りっぱなしにしましたそれでアダムは分からなくって、知らないうちに堕落しました。そうなるというと、完全にアダム自体が分かるような基盤を、再び探してこなければならないのです。

 それを探してこられる方が、この世の中の救世主であり、宗教圏ではメシヤというのです。日本では、メシヤのことを食堂の親父と言ったね。(笑い)最初に先生に言ったのです。「メシヤは食堂の親父だ」と。(笑い)本当ですよ。霊的な食物の親父がメシヤです。そう考えてみると、それは間違いではないのです。

 旧約時代、新約時代、成約時代の目的は何かというと、アダム・エバが完全に完成し、完全なる真の父母の立場に立つべき立場を失ってしまったのだから、地上のサタンから、真の父母たる者を再び取り返してこなければ復帰ができません。復帰は反対の道をたどっていくので蕩減復帰しないといけないのです。だから、これは皆、連関関係を持っているから一つでも抜いたら説明に困るのです。

 本当は、きょう「蕩減復帰の峠を越えましょう」という話をしたいのです。(先生が黒板に図―2を書かれながら説明される)神様。これはアダムです。エバです。カインです。アベルです。サタンです。アダムです。エバです。カインです。分かりましたね。アベルです。堕落しなかった場合には、神様の命令にアダムが従えばいいのです。アダムの命令にエバが、エバの命令に長男が、長男の命令に弟が従った場合には、それで済むのです。主体のプラスの前に横的になって、一つになればいいというのです。だから、アダムの命令をエバが守ればいいのです。エバがアダムの命令と一体になった場合には、相対関係だから、神様の直接命令を受けなくても完全なる完成の立場に立つのです。

 

神の創造と人間の堕落
 そういう観点から見た場合に、神様の命令をアダムがエバに命令すれば、それで下が完成されるのです。エバはアダムの次に、カインと一つになればいいので す。アダムの指示する方向にコントロールする方向に相対的に合わせていけばいいのです。母を中心として、長男と母が一つになった場合には、お父さんに聞かなくてもいいのです。家庭の規則がそうなった場合には、規則を子供に言い聞かせて、母の言葉と一体となった場合には、お父さんとお母さんの話を聞いたと同じであり、それから神様の話を聞いたと同じであるというのです。分かりましたか?(はい)。便利なようになっているのです。だから、カインはアベルを重視し、アベルとカインが一つとなったら、主体・客体関係で収まるようになっていたのです

 こういう者が堕落したために、みな怨讐なのです。怨讐になってしまったのです。アダムはサタンに対して、「この野郎! 君は神様の王子となるべき者を堕 落させて、地獄の王にさせた!」と言うのです。怨讐です。分かりましたか? それでアダム・エバ同士でも、エバはアダムに対して讒訴するのです。「私は堕 落したけれど、あなたが主管圏を転倒したから堕落したのだ」と。責任を転嫁させてしまうのです。それは堕落の傾向です。女はみなそうするのです。女のけんかを聞けば、みな偉そうに、みんな自分が全部いいように、相対は全部悪いように言うのです。みな被せて責任を転嫁してしまうのです。だからみな怨讐です。 「この野郎、何をやってるのか! 君が堕落して、みんなを誘致して!」と、そんな馬鹿なことを言っている怨讐です。それで、子供は「お母さん何で堕落して、地獄の長男になるようにして、何です!」と。みな反対なのです。だから、カインがアベルを殺したように、みな反対するのです。みな怨讐になっているの です。

 怨讐を植えてしまった家庭だから、世界は、みな分散するのです。怨讐のサタンの子供たちが成長して皆、サタンと同じくなったのだから、みな成熟して、自分なりの主張をして誰も聞かないのです。「お父さんは何だ?」「サタンだ!」。「君は何だ?」「夫婦だ!」。「旦那は何だ? 妻は何だ?」「君が悪いじゃ ないの!」。お母さんは子供に「君が悪いじゃない!」。「お母さんが悪いじゃないか!」。兄さんは「何だ! 弟が悪い」。弟を殺して、「この野郎!」。全部、そういうようにして、みな別れていくのです。

 だから、植えたとおりのことが結実されるのです。アダム、エバの堕落の実です。それは、いちじくの木の下でもって淫行行為をして堕落した青少年の倫理問題がなぜこうなるかというと、エデンの園においてそういうようなティーンエージャーによって人類が堕落して、自由行動でもってめちゃくちゃにさせたものを植えたのだから、末の結実の収穫期、秋の収穫期になると、全世界のティーンエージャーの混乱期になり、そのために国も世界も収拾の道がないのです。全部、 地獄化していくのです。一番犯罪の多い年齢は二十歳、その三年前後のティーンエージャーが大変なことになっているのです。それを収拾する道は、なぜこうなったのかという原因を知らなければなりません。結果は動機があるからそうなったのであり、その動機を知らなければなりません。動機がこういうものであり、その堕落の結果、このように乱れてきたということです。分かりますか? (はい)。植えたとおりに収穫するのです。

 蕩減原則によって、エバといえば韓国語では、「イゴッパ」「これ見なさい」。「イゴッパ」「早くしろ。エバ」となるのです。「これ見なさい。悪くなった」と言うのです。エバは堕落のために何をしたかというと、アダムをだましたのです。それから親です。神様は親です。父子をだましたのです。こういうふうにして、堕落したのだから、こういうふうに落ちていったのだから、それを反対にして上がってこなければなりません。同じものをひっくり返して上がってこな ければなりません。分かりましたか? 堕落した正妻の道では、復帰の女、真のお母様が生まれることができないのです。

(図は省略) 

図-3


 転覆して反対に上がるのだから、正妻一人では、二人のことができません。二人が必要です。そして、こういうふうになったのです。(先生が黒板に図―3を 書かれる)こういうふうに降りていく者が、こういうふうにして行くには、これは正妻ではできません。正妻は、それ本妻というのです。本妻としては上がることができないのです。これが妾です。妾、妾です。 妾の系統を中心として上がっていくのです。

 だからサタンは、ヤコブの時に、ヤコブは神の選民として帰る代表の家庭です。そのヤコブの家庭によって、堕落したすべてを清算していかなければならないのです。神の血統を考えて見た時、堕落したために生まれたサタンの血統をみな殺してしまうことはできません。殺してしまった場合には、女がなくなるのだから、メシヤという真の父母が生まれる基地がなくなるのです。分かりますか?残さないわけにはいかないのです。それで女をたくさん持たないといけないのです。それで、妾として、妾の女を連れて神のほうへ戻っていかなければなりません。そうなるというと、妾は本妻の、正妻の怨讐です。地獄にみな同じく入ります。抱き合って転んで、そこに行こうというのです。大変なことです。これをなだめて一つにならなければならないという、復帰された家庭にはそういう内縁があることを知っているのだから、神様はそれを収拾するために、「怨讐を愛せよ」ということを発布せざるを得ませんでした分かりました? (はい)。

 聖書の「怨讐を愛せよ」という話は何かというと、一家においては、兄弟です。レア・ラケルと同じように、姉妹の関係が共に一つの愛の後孫を取り合って戦うようになっているのです。それを一つにしないというと、天国に入れないのです。それで神様は未来の世界を望みながら、こういうような愛の怨讐圏が一家にかかっており、それを収拾しないといけないことを知っている神様は、遠い未来世界に向けて「怨讐を愛せよ」ということを発布、発表せざるを得なかったということです。分かりましたか?(はい)。どんなに難しいことであっても、これを収拾せざるを得ないのが女たちの十字架です。堕落した女が蕩減復帰の道を 逆さまに行く、この運命を避けることはできません。こういうような内容です。

 

エリヤの使命と洗礼ヨハネ

イエス様の言ったとおりに、イエス様はメシヤになりました。その当時、イエス様を誰もメシヤとは知らなかったのです。メシヤは神様が決めるのだから、いかに世の中が反対しても、神様の公認する基準に立ったイエス様の教えの教会を中心として、歴史以来初めて宗教、文化を通して、キリスト教が世界を統一したのです。第二次戦後にです。分かりましたか? (はい)。

 

洗礼ヨハネの失敗
 それを蕩減して、第二次大戦で連合国が勝利することによって、アメリカが中心となって、日独伊が完全に負けたのだから、一体になっているのです。それでキリスト教文化圏は霊的救済を目的としてきたので、肉的救済の基盤を引きつけないというと、再臨の主が来て霊的救済ばかりではなく、肉的救済もともに成すのだから、霊肉共にカイン・アベル一体を成すために、第二次大戦後の連合国家勝利基準のカイン・アベルが一体となった所に、お母様(*崔先吉女史)を中心として新郎が、再臨の主が一つになったとするならば、それで世界は七年の間に統一されて、地上天国、天上天国が、アダム家庭でなすべき基準をイエス様が国家的基準で失敗したのだから、今度は世界基準によって、すべてを勝利するのです

 

そういうふうにして、なぜイエス様が三十三歳まで結婚できなかったかというと、(イエス様は)マリヤに何回も言ったというのです。マリヤに何回も、三回も懇切に、「神の摂理からして、こういかなければならない」ということを話したのです。お母さん(マリヤ)が中心になってエリサベツと共に、夫婦、姉妹が一 つになって収拾しないと大変なことになるのです。それができなかったのです。

 

 


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