ボールペンデッサンの描き方とコツ

ボールペンデッサンのテクニックや描き方のコツを学ぶ。そして日々思う事。

人生の消化

2011-01-13 | Weblog
昨年一杯で退社した同僚がいる。
同僚というにはおこがましい程、かなりの先輩で、
我が社に44年という長い年月勤務していた方。

先日、送別会を開き、新たな人生の門出を祝ったのだけど、
同僚の何度も涙する時があった。

その人、私からして人間的に尊敬出来るような人間ではないと思っていた。
陰口が多く、女々しく感じるところが多々あり、
言ってしまえば“ウザイ”感覚。

課長職から降格して平社員の長老のような立場。
私は、彼の愚痴に同調する事はあまり無かったので、
彼からも私に接する事は少ない。
私にとって存在感は無かった。

私より倍も生きてきた人として、どうなの?と思ってしまう存在だった。

ところが、送別会で同僚の涙を初めて見たとき、
その人に対して、今まで感じなかった感覚があった。

44年といえば、私がまだ生まれる前。
その頃から、今と変わらず作業していた訳。

多分、その人の性根ってそれほど変わっていないのだろうけど、
44年やってきた中には、
私には計り知れない膨大な時間と経験があったのだろう。

同僚は人生の半分からの時間を仕事に費やしてきた。
言い方は悪いが、そこら中に在る、有り触れた事かもしれない。
でも、同僚にとっては一生のかなりの部分を占めていたこと。

その涙から、
長年の喜怒哀楽の記憶が滲み出していた。

その人から見たらまだまだ若造の私には、
野望ともいうべき思いがあるのだが、
その思いは、その人の辿ったものとは全く違う。
あえて言うなれば、その人のような人生は嫌だ。

ところが、その人の涙を見たとき、
「そんな良さもあるのか」と思えた。

人の感情など曖昧なもので、
嫌い、ウザイなどという思いは、
寂しさ、切なさに圧倒される。

「終わりよければ・・」なんて言葉の通りになってしまう。

自分の存在は、周りがあって初めて成り立つものと考えてきた。
それは今も変わらない。
人類が今の立場を得る遥か昔から存在しているであろう、
“群れる”という遺伝子的感覚を実感する場所であった。
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