ボールペンデッサンの描き方とコツ

ボールペンデッサンのテクニックや描き方のコツを学ぶ。そして日々思う事。

娘が私を描いてくれる

2015-05-01 | Weblog

娘がクレヨンで私を描いてくれた。

なるほど、私だ。

ちなみに娘4歳、私は髪が坊主で丸顔。

幼稚園の先生が助けてくれたのだろう。

助けてもらわない方が良かった。

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子供達が描くものは本物

2015-03-24 | Weblog
まだ幼い子供達は、
私の絵を毎日のように描いてくれる。

そしてそれがとても良い。

被写体に対して良いように思われようとか、
変にデフォルメしていない、まさに私そのものを描いてくれる。

時には色鉛筆、時にはクレヨンで。

考えてみれば、私が子供達と同じ年頃の頃、
同じように鉛筆やクレヨンでいろんなものを描いた覚えがある。

当時は新聞広告の裏地が白紙のものをまとめて
落書き用紙として、大人達が用意してくれていた。

絵を何のために描くのか、
もちろん、自分以外の他人との関わり合いのため。

行き着く先は自分の為かもしれないが、
周りの人間に興味を示して欲しいというのが大前提にあった。

娘や息子が私や母親の事を書くのは、
私達に振り向いて欲しいという欲求の現れであり、
喜んで欲しいという愛情の現れ。

私にとっては、
どんな有名な絵画よりも圧倒的に勝る子供達の大作。
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3歳の娘が描いたボールペンデッサン

2014-07-05 | Weblog
3歳の娘が私を描いてくれた。
ボールペンデッサン。

嬉しい。



どんなデッサンでも、感動ポイントがある。
こころを動かされる部分。

ここ最近、特に親とこの関係において、
「あ、そういうことだったのか」と思う事が頻繁にある。

この存在を真摯に受け止め、
一緒に成長していく事で、
人類の連鎖を強く感じる。
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絵を描く興味は私に似ている娘

2014-06-17 | Weblog
今日は私の2番目の娘の誕生日です。

まだ4歳になったばかりですが、
絵を描くことは私に似て好きなようです。

私の仕事部屋に来ては、新しく描いた絵を見せてくれます。

その絵が私には、何事にも代え難いパワーの源に変わっています。

子どもたちが絵を描くことを好きになってくれるのは、
私としてもとても嬉しいことです。

だから、「もっとうまく描きたい」という子どもたちの気持ちに答えるべく、
幼い子どもにも分かりやすいデッサンの技法やテクニックを教えられるよう、
私も精進しないとです。

絵心って、他人との意思疎通が出来ることも、
描く喜びの一つだと思っています。

そのためには、描き方のコツだって、
重要なファクターになってきます。

ピカソの絵は、キュビズムと呼ばれる抽象画が代名詞ですが、
元々はかなりの具象画でした。

その下地があったからこそ、
これほどに見る人に訴えかけるモノを作り上げたのだと思います。

子どもたちの気持ちが投影された絵には、
愛を感じずにはいられません。
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可愛い息子がしゃべる

2014-01-16 | Weblog
我が家の一番下の長男が、最近言葉を話せるようになってきました^^

嬉しいですね、こういうのはやっぱり。

最近では、「パパ」が非常に上手になってきて、
ママとパパを使い分けています。

でも、強く訴える時はすべて「ママ」ですけど^^

長女は今年、小学校に入学します。

あっという間ですね、子供が成長していくのは。
まあ、それだけ自分も歳をとっている訳ですが^^;

でも、まだまだチビちゃんな子供達が立派な大人になるまで、
私も精力的に働きますよ!
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小田和正を聞きながら

2013-08-23 | Weblog
自分まだ30代ですが、
小田和正が結構好きです。
今も、彼の曲を聞きながらタイピングしてますが、
どうしてこうも心が落ち着くんでしょうかね。

今、この時期は、私の人生の転換期です。
いろいろなことを大きく変える時期となりました。

そろそろ年齢的にも、
人生の半ばを生きています。
子供達はこれからドンドン大きくなって、
独り立ちしていくでしょう。
そして、私と妻二人が残されて、
そんなとき、私が妻を暖かく抱きしめる男になっていたら、
そんなにカッコいいことはありません。

まあ、今はかなり足蹴にされていますけどね^^;

一番下の子が、長男。
その長男が、私にもの申すとき、
私に尊敬されるような威厳があるように、
今、私は勝負していきます。
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娘の成長

2013-08-11 | Weblog
長女6歳。
来年には、小学校へ入学する歳になった。
6歳にもなると、いろいろなことが分かってくるようで、
今年の春亡くなった曾祖父の死について、
悲しくなるようだ。
「自分も死ぬの?」というとても純粋な疑問が、
不安になるのだそう。

そういえば、私も同じくらいの歳頃、
こういった不安で夜寝られない時があった。

娘からのこういった質問は、とても難しいと思う。
正直に説明しても、恐くなるし、
嘘をつき過ぎても良くない気がする。

結局私は、ほとんどそのままに、
最後に、おじいちゃんはお星になってみんなを見守ってくれていると説明した。

でも、娘はやっぱり不安なようだ。
こういった場合、どうすれば正解なのだろうか。
ある程度は、娘本人が自分で考えて消化しなければならないことなのだろうけど、
それにしても、柔らかい言い方はないものかと、
悩んだ。
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静寂

2012-08-26 | Weblog
子供が寝静まった今。
昼間とは打って変わって、静寂が流れている。

子供達のエネルギーは、
途方も無く強烈に、まぶしすぎる程に放っている。

時に、私はそのエネルギーの強さに仰け反ってしまう。

子供達は、私が及び腰になっていることに、ため息をつく。


寝静まった今、
冷静に思い返すと、
この子らは、いつまで私にしがみついて来てくれるのか。
この幸せの時間は、いつまで続くのだろうか。

目映いばかりのエネルギーに、
戦いている場合ではない。
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麻痺していく

2012-03-25 | Weblog
娘と接していると、
自分がどれだけ感覚を麻痺させながら生きているのかが分かる。

彼女達は、
自分が感じたことを素直に表現出来る。

大人として生きる上で、
それなりの倫理観や社交性を持ち合わせていかなければ
社会人と認知されないことは、
もはや当たり前のこととして流れていく。

その中で、
自分の感情を押し殺し、欲求を抑制しながら、
理性を確立していく。

しかしながら、
幼い娘達を見ていると、
そういった感情のコントロールこそに、
五感を麻痺させる要因があるのだと実感させられる。

社交性を持つことは、
崇高な感性を抹殺し、全てが一様の灰色の人間を作り上げる要因にもなってしまう。

もちろん、
他の人々から離れ、一人で生きていくことは叶わない。
私が思う幸せを放棄し、種の記憶をも否定してしまう。

どれだけ、有益な感性を開放し、社会の中に存在していくか。
そこにこそ、対外的な重みがあるのではないか。
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時間の浪費か

2011-08-30 | Weblog
人生、時間の浪費でしかないとか、
ふっと考えてしまう時がある。

この世に死なない人間なんていないし、
各々が限りある時間の中で、
多種多様な人生を歩み、そして死んでいく。

ゴールは、死なのだ。

じゃあ、何を求めようとしているのか。

その答えって、やっぱり子供なのかな。

自分がこの世に生を受けたのも、
自分の前に居た何代も続く先祖がくれたもの。
それを引き継ぐ為なのか。

私は、女にモテたいかと言われれば、
“イエス”という。
これも、子孫を残せという潜在的な記憶と解釈する。

人より優位に立ちたい、もてはやされたいという類いの感情は、
自分の子孫を残す為に、生き残り、相手を見つけるため。
私はその感情に素直に従うべきか。


我が子の、穏やかな寝顔を見ると、
抑えきれない喜びが溢れる。
そしてまた、頑張ろうというエネルギーが湧いてくる。

やはり、私も生を繋げる無数のうちの一齣として
生きる喜びを感じているようだ。
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