PAGES OF MY LIFE ~著作権保護ページ~

徒然綴り・・・歌詞&ひとり言

『日本人の権利』はどーなった?

2016年10月01日 02時12分15秒 | Weblog
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著作権も、肖像権も、言論の自由も、生存権も、
プライバシーの保護も、

なーんにも無くなってしまったんじゃないかと
感じることが多い。

何にも是正もされていない。

憲法がしっかり履行されていたことなんか
ないんじゃないかな。

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《全国の注意》

■ゴミ収集車

 311以降(「前後」か)
 ゴミ収集車に巻き込まれて死んでしまうという
 異常な事件が続発した。

 今一度、全国的に注意しましょう。

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《意味》

■「もり」「つち/ち」

 「洲」もよく出てますね。

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《なぜ「白地に赤」じゃないのか》

■東京五輪エンブレム
■サムライ・ブルー

        日本の国旗は「日の丸」だ。

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■「自動運転」車

 政治家の人たちも、
 「人間の運転手つきの車」には
 絶対、二度と、乗らないようになるのでしょうね。

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■PKOなど

 自衛隊がどこか海外に行く時、
 そこで他国の要人のボディカードなどをやらされる時、

 「自衛隊は国連のなんでも雑用係でもないし、
 日本列島自体、
 安全でも何でもないのに、
 なぜ自衛隊は国を空けて
 そこへ行かなければならないのだろう?」
 と、
 国民は考えているだろうか。

 「どこかの国が大変だから手伝ってあげるんだね。」
 という程度の認識で納得ばかりしていると、

 「他国の利益のために日本の自衛隊員が
 心身や生命を傷つける悪循環」から逃れられなくなります。

 「その紛争は、何についての利権が問題で、
 どことどこの国が背景についている対立関係なのか」。

 その片側の国の
 利権を守る為に自衛隊員が
 祖国を留守にして海外で命を賭ける意味があるのか、と。
 
 そこを考えないと正しい判断には繋がって行かないでしょう。

 問題の本質について、
 国民に周知させるのは、

 「政治の義務」とか、
 「メディアの使命」なのでは・・・。

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■熊本 → 球磨本

     昔、動物の名前になるということは、
     「敗者」の証であった。
      
     自由に使える時には
    「球磨本」など
     別の書き方で書いてみるのが良いと思う。

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■日本人だけで作った・行ったコト・モノ

 どんどん終了・取り壊しなどで消えて、
 「外国人に頼んで作ったもの」
 「外国人の指導の下に行ったもの」
 「外国から輸入したもの」
 ばかりになって、

 「日本人は日本人だけでは何も出来ない国です」と
 体現し続けることになるであろう日本。

 今も誰もこれに疑問を投げ掛けないし、
 改めもしないから・・・。

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《「敗戦国」としての歴史づくり》

■「改憲」は「敗戦国」の証

■大阪万博2025

 「東京五輪2020」と「大阪万博2025」が揃ったら、
 未来史における
 「日本敗戦」のアリバイ作りが完成されてしまうということに。

 しかも此花区で?

 (コノハナサクヤヒメが思い起こされることだなぁ~・・・。)
 
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~「敗戦」と「廃線」~
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■「非核三原則」は「国是」か?

 ・過去の米の核の出入り

 ・「憲法が時代に合っていない」と言っている改憲派は、
  「時代によっては、
  日本の非核三原則も、変わる可能性はある」
  と、何故言わないのか。

 ・「国民主権の国・日本」で、
  「総理の『改憲』は国民不在だ」とのことだったが、

  ということは、

  国民が望めば、
 「非核三原則の撤回も有り得る」、
  ということになる。

  (それとも、

  国民の殆どが、
  この不安定な地域の平和と安定のために

  「日本も核武装を考えるべきだ」と考えるようになったとしても

  絶対に「それは国是になることはない」のだとしたら、

  「主権在民」である国・日本の国是とは、

  一体、誰が決めているのか。
 
  という大問題に発展。)


 ・日本が「非核三原則」を続けることは「国是」?

  その一方で
  他国と共に、武器を共同開発したり、
  他国に、武器や弾薬を提供・販売・運送することは
  どうなのか。
  (それこそ国民の意思でも何でもないだろう。)

  それを改めずして、
  日本は「非核三原則」を守れというのなら、

  「他国の武力強化や
  他国の要人のボディーガードを
  日本が手伝ったり任務として引き受けることはOKだが、
 
  日本自身が自国防衛能力を整えることは許されない」
  
  と言っているのと同じになってしまう。

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  さまざまな矛盾が(書き切れない程)そこにある「非核三原則」。

  そもそも「戦争被爆国」ならば、
  二度と同じ目に遭わないように、

  「最低限、核武装だけはしとこう。
  そして、他国が核兵器を持たないように
  被害の実情を訴え、
  世界に向かって不拡散活動を続けよう。」

  と考えるのが普通ではないだろうか。

ところが現実は、

  肝心の「戦争被爆国である日本」が核を持たずに、
  しかし世界には核保有国が増えてゆく。

  (おまけに、
  核を保有しない国々が集まって
  核兵器廃絶を訴える会合には、
  「核保有国」が参加しているという・・・。)



  あなたは、おかしいと思わないのですか。
  
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もう、いつ殺されるか分からない世界・・・。
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