かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠359(中欧)

2017年12月08日 | 短歌一首鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁~
    参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾廣子
   司会とまとめ:鹿取未放
   
359 パーサーはアップルジュース供したりシベリアはただ灰青の襞

(まとめ)
 「パーサー」は、「首席の客室係」と辞書に出ている。パーサーみずから客にアップルジュースをサービスしてくれたのだ。雲はもう切れてシベリアが見下ろせたのであろう。しかし高度のせいで細かい景は見えず「灰青の襞」として目に映った。
 学習会の席上では人間が登場してほっとする云々と言ったが、シベリアが出てくるとやはり抑留されていた日本人兵士達を連想させられる。おいしいアップルジュースを飲みながら、寒さと飢えで死んでいった兵士たちのことが脳裡をかすめたのであろう。「灰青の襞」のかなたに兵士達はうずもれているのである。356番歌(ハバロフスクの上空に見れば秋雪の界あり人として住む鳥は誰れ)で挙げたかつてのシベリア詠(例えば【シベリアの雲中をゆけば死者の魂(たま)つどひ寄るひかりあり静かに怖る】『飛種』など)を見ると、そのことは容易に想像できるだろう。
 「灰青」は辞書にはないので作者の造語と思われるが、レポーターの「日本人のみがもつ色彩感覚」という断定には賛成できない。民族によって色彩の捉え方は異なる。日本人の布などに見られる古代からの色彩感覚のすばらしさは肯うが、それは「日本人特有の」とか「日本人らしい」と形容されるもので、別の民族にはその民族特有の色彩感覚のすばらしさはあると思う。だから「日本人のみがもつ」という言い回しはまずいのではなかろうか。(鹿取)


(レポート)
 ボルガを越えればモスクワは間近である。ユーラシア大陸横断の旅もまもなく終わりとなるのであろう。楽しんでいる笑顔が目に浮かぶ。アップルジュースは甘かったであろうか。だが4句の「ただ」に目をとめたい。上空から見ればシベリアは起伏に富んだ青い地がえんえんと続いているのであろう。その景を「ただ」の2音で表し「灰青の襞」と結んでいる。「ただ」が広大さを表す言葉でもあると知る。その襞にはうっすらと雪があるのであろうか。縮み織りを連想する。「灰青の襞」、
灰色がかった美しい青を想わせるその襞、日本人のみがもつ色彩感覚をここに知る。(崎尾)


(当日発言)
★「灰青の襞」とはどういう状況か。(T・H)
★レポーターが書いているように、上空から眺めたシベリアの様子を表しているんでしょうね。
レポーターは「『ただ』が広大さを表す言葉」と書いていますが違います「ただ」は副詞であっ
 て、この副詞に「広大」の意味はありません。例えば「ただ小さな……」と小さいに繋げること
だってできます。一連で初めて人間が登場し、緊張した景からほっとさせる気分が出ている。力
を抜いた良い感じの歌。(鹿取)
 


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