かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠414(中欧)

2017年02月20日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の外国詠57(2012年10月実施)
    【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、
         藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子
    司会と記録:鹿取 未放

414 羊のやうに群れて歩める小さき影カラードにして金持われら

     (レポート抄)
 人種はふつうコーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄色人)、ニグロイド(黒人)に大別されている。また白色人種、有色人種に別けられている。
 この歌は初句だけが字余りの8音で歌われている。その8音にふかぶかと毛に包まれている羊の柔らかさ、親しみやすさが滲み出ている。羊が本来持っている群棲になぞらえているのであろう。旅の同行者達がガイドの後についてひとかたまりとなって歩いている姿が目に浮かぶ。観光地などでは日本人は金持ちと思われているのであろう。下の句の表現に今観光旅行をしているわれらはつつましやかな小さなグループであり有色人種である日本人だ。だが金持ちなどではないとの思いを込めたのであろう。結句に作者の笑い声を聞く。(崎尾)


     (当日発言抄)
★レポート3行目、初句「8音」とあるけど初句は7音です。この作者は、旅の都度この傾向の歌
 をよく作っていますね。(鹿取)
★「羊のやうに」はキリスト教文化をずっと見てこられたので、羊がここに出てきたのかなと思 
 った。(慧子)
★大聖堂の高さ、壮大さと比べて、その下を歩む人間の小ささを表している。迷わないようにく 
 っついて歩いている。「金持われら」はレポーターのいうように金持ちでないのではなく、金 
 持ちである自分たちを皮肉って歌っている。自虐的に。(藤本)
★ずいぶんと卑下した歌だが、それは矜持の裏返し。(曽我)
★それは先生の遊び心です。(N・I)
★下の句は考えようによっては重い。人種のこととか金持ちとか重いテーマを軽く詠んでいる。 
 影、カラード、金持ちとカ音で繋いでいるのが面白い。軽いリズム感が出ている。(鈴木)
★黄色人種は実際にカラードとして差別されている訳で、それはやはり重いこと。またチェコとい
 う貧しい国から見たら、個々人の違いを超えて外国旅行に来ている日本人はみんな金持ち。重い
 ことがらを鈴木さんがおっしゃったように軽くいなして歌っている。アフリカへ行った時もカラ
 ード、金持ちについては歌っていて、後ろめたさなど複雑な思いを抱えている。建物の外か中か
 の解釈はいろいろ出たが、聖堂を出て、聖堂に沿って歩いている場面というのが私の感じ。中に
 いたら影とは歌わないと思う。西洋人に比べて背が低いので「小さき影」になる。羊のように調
 教されておとなしく歩いている日本人。そういう自分たちの影を見ながら複雑な苦さを噛みしめ
 ている。その苦さをカラードというような語ではね返しているような感じ。(鹿取)




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