かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠221(中国)

2017年10月07日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌29(2010年6月実施)
     【李将軍の杏】『飛天の道』(2000年刊)178頁
     参加者:Y・I、T・K、曽我亮子、T・H、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H
      司会とまとめ:鹿取 未放

*219~222番歌の李広についての記述は、塚本靑史氏の小説『飛将軍李広』や
  Wikipediaの記事等を参照した。
     
221 李夫人の兄李将軍そのひと生(よ)たたかひて今に杏残せり

     (レポート)
 「李夫人」の兄「李将軍」は、その一生を匈奴との戦いに終始し、晩年はあまり恵まれなかった。馬場先生の「李将軍」への哀惜の情がよく出ていると思う。(T・H)


     (まとめ)
 馬場のエッセーの中に「前漢の武帝は李夫人を熱愛し」、「政治的駆け引きに疎いその兄李広は恵まれず、一生を戦闘に費やした。」とある。李広は李夫人の兄というところは馬場の勘違いのようだ。
 李夫人には李延年と李広利という二人の兄がいる。長兄李延年は作曲家で、美人の妹を武帝に引き合わせたことで帝の寵を得た。次兄李広利は軍人として活躍したが、匈奴に投降後、匈奴に重用されたがために周囲からは妬まれ処刑されたという。杏を植えたのは李夫人の次兄李広利ではなく李広だが、名前が似ている上に同じ武帝に仕え匈奴と戦った軍人である点、紛らわしい。李広の没が紀元前119年、李広利の没が紀元前88年ということなので、李広利の主な活躍は李広没後ということになるだろう。李広利・李広・李夫人ともに生年が伝わっていないので年齢差は分からない。
 蛇足だが有名な李陵は、杏を植えた李広の孫に当たり、唐の詩人李白は李広の末裔だという。李白は万人が知るところであるが、李陵の方は李将軍に劣らず悲劇的な生涯を送っている。すなわち武将として活躍したが匈奴に降伏し、それがもとで家族は処刑される。しかも李陵を庇った『史記』の作者司馬遷は死刑はまぬがれたものの宮刑に処せられた。後日談がまだあって、李陵の郷里隴西の人々は匈奴に降伏した李陵のことを長く恥じたと伝えられている。ところで隴西に李という名字は多かったのであろうか。中島敦『山月記』の時代設定ははるかに下った唐代だが、主人公李徴は隴西出身の李氏ということになっている。(鹿取)



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