かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠220(中国)

2017年10月06日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子の旅の歌29(2010年6月実施)
     【李将軍の杏】『飛天の道』(2000年刊)177頁
      参加者:Y・I、T・K、曽我亮子、T・H、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:T・H
      司会とまとめ:鹿取 未放

*219~222番歌の李広についての記述は、塚本靑史氏の小説『飛将軍李広』や
  Wikipediaの記事等を参照した。
     

220 隴西(ろうせい)の雲暗き日の李将軍物思ひ埋めし敦煌の杏

     (レポート)
 「隴西」中国甘粛省南東部。蘭州の南東部約140キロメートルにある県。李将軍の物語は『史記』下巻列伝参照。彼は幾多の匈奴との戦いに出征し、武功を立てたが、晩年はあまり恵まれなかった。馬場先生は敦煌の杏をご覧になって、その李将軍の心中を思いやっておられる。物思いを埋めたとの言葉に、深い哀愁を覚える。
     (T・H)


     (まとめ)
 前述のエッセー「李将軍の杏(あんず)」によると、『和漢朗詠集』に、「隴西(ろうせい)雲暗く李将軍家に在り」という詩句があるそうだ。エッセーの中で、馬場はこう書いている。「将軍が家に居るかぎり戦争はない。そんな平穏なある日、李将軍は何を思って砂漠の広がる辺土に杏を植えたのだろう。」と。
 Wikipedia等で調べると、一説には作物の乏しい貧しい民の飢餓対策として杏や桃を植えたとある。李広は勇猛な武将だったので匈奴からは「飛将軍」とあだ名され恐れられたが、必ずしも政治的には恵まれなかった。そんな李広が戦いのない日日鬱々と物思いに沈みながら植えた杏の苗。もちろん、民の飢餓を救いたい純一な思いの他にも、世に思うように入れられない暗いたぎりがあったであろうその複雑な胸中を思いやった歌である。
     (鹿取)

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