かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠222(アフリカ)

2014年06月14日 | 短歌一首鑑賞

  【阿弗利加 3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171
                参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                 レポーター:T・S
         司会とまとめ:鹿取 未放

 
55 群れて行く日本人の小ささをアフリカの夕日が静かにあやす

     (まとめ)(2008年4月)
 「照らす」なら誰にでも言えるだろうが、「あやす」で深い思索の歌になった。アフリカの夕日は日本人の小ささを愛撫するかのように、慈愛にみちた暖かさで包み込んでいるのだ。「群れて行く」の所にいくらか性格的なものを含んでいるだろうが、慧子発言のような「存在の小ささ」までは作者は思っていないのではないか。
 それにしてもアフリカの人々はよほど体格がよかったのだろうか、既にレポートした阿弗利加一連には日本人の小ささをうたった歌が他にもあった。
   日本人まこと小さし扶けられ沙漠を歩むその足短し
   モロッコのスークにモモタローと呼ばれたり吾等小さき品種の女


     (意見)(2008年4月)
★レポートの「静のあやは『綾』であろう。」って何を言っているのかよく分かりませんが、「静
 かにあやすのあやは『綾』であろう。」じゃないですか?私は「綾」とは思いませんが。その前
 の文「全身を包むとのいい表わしである」も意味がとれませんが。(鹿取)
★T・Sさん、あやす、は赤ん坊をあやすの「あやす」、「綾」の字とは関係ありません。(藤本)
★小ささ、は日本人の体と心。(崎尾)
★存在の小ささ。(慧子)


   (レポート)(2008年4月)
 馬場先生一行がアフリカを旅行され、そこで出会った夕日。落日の輝きに魅了された。その一行のわれわれ日本人にアフリカの夕日が射す。さらに内容を深めているのはそれだけでない「小ささ」のところで、全身を包むとのいい表わしである。静のあやは「綾」であろう。(T・S)