天照の独り言

つれづれに思った事を書き綴るブログへと変更(2019年1月1日より)
以前は「某宗教団体の欺瞞を世に知らしめるブログ」

気が付かないからこそ「騙される」

2017-05-24 02:01:55 | Weblog
2chを見てるといつも思うことですが、どうも擁護側の言い分を見ていると「本当の仏教を講じるつもりが微塵もない」というのに気づかされます。
逆を言うと「どうしてこうもオカルト要素のあるエセ宗教や偽仏教を好むのか」と呆れるほどです。



私も過去を顧みると騙された人間の一人です。
しかし、その騙された背景には「無知だったゆえのミス」で騙されたわけです。



なんで、では2010年からすっぱり阿含宗から辞めれたのか、というとこれがあったからです。




それは「根幹として釈尊を敬う気持ち・考えがあったから」です。



つまり、釈尊が本当に教えたかったことや内容が知りたかったし、知ったから偽物から離れられたのです。





私などは阿含宗に居たから阿含宗を特にフォーカスしそこから話をしていますが、元をただせば阿含宗だけでない。
多くの巷に有る仏教を見ていれば「本当の仏教」でないことに気づきます。






例えば先般テレビで放送されたあるものをみて尚も思いました。




お釈迦様の脇には何らかの「尊」がいて云々、とやっているのですが、こちらからすれば「また有りもしないことを」と一笑に付すだけです。



それこそ過去の自分もそうでしたが、何も知らない人には「そうか~」とか「ありがたや~」と感じていたでしょう。
しかし、本当の仏教の内容を知れば



「何、後世の人間が作った嘘の内容をありがたがって放送しているんだよ?」と分かるから全然違います。









現実を見るとか本当の内容を知ろうとしないからそういうのに絆されるのです。







例えばお釈迦様が生きていた頃には傍には誰が居たか?
アーナンダを含め弟子ら達ですよね。


だから現実的にそういう「尊」だとかというのは無いんだという事。





次に「ああいう尊を持ち上げるのは必ずあの世というか仏界などでの観念事項として出している」ということです。
つまり現実的に見たり言うならば調べれば私の言うとおりであって、この世でのお釈迦様の傍にいたのは「なんとか尊」とかではなく実際に居た弟子たちです。



だけど、あのよくいう「脇侍には文殊菩薩や普賢菩薩がいて・・・」というのは現実世界の話ではない。
仏界などでの話であって違うのだ。そのように言うはずです。






では、聞きます。
その仏界とかあの世でのことは「お釈迦様がそうだったよ」と言われた内容なのでしょうか?







違いますよね? 後世の人間が考えたものであって、決してお釈迦様自身が言われた内容ではありませんよね?



もし「いや、お釈迦様が言った」というのなら阿含経にそのような記述がある箇所を出してもらいたいですね。
本当にそのように言われたのなら、その言った箇所があるはずですからね。





ところがどんなに調べてもそのよう箇所は「有りません」
まして未だかつてそのような文言があったのをどの学者さんも研究者さんもそれらを挙げたことがありません。


なぜなら、そういう事実はないからです。











つまりは「あの世だろうが何だろうが、お釈迦様が説かないことを説いた風にしてしまっているのが大問題なのだ」なわけです。
だから、話がおかしくなるし内容がオカルティになっているのに「気づかない」わけです。







お釈迦様が説かれたものには霊障も無ければオカルト的な物も有りません。
そこには何回もくどいほど「仏陀に成る」その教えが書かれています。





それこそ例えるならばキリンビール社のマークに「麒麟」の図柄が描かれていますが、あれが本当の「麒麟」だというのを今やマジで受け止める人は居ないのと同じです。

今は本当の麒麟たるものを見れて分かる時代ですから、あの図柄を用いて「これこそが本物の麒麟であって動物園やアフリカにいるキリンは偽物なんだ」という馬鹿はいません。

むしろマジでそのように言っている人がいたとすれば「精神病院行き」な人であり、まともな人でないことは明白です。

あのマークの麒麟を麒麟だと言えた時代は情報が無くあのように考えて作った絵しか分からなかった時代しか通用しないものです。
今の時代にあの絵(図柄)をマジ本物と言わないのが正常なように、巷に有る偽仏教を「マジ仏教」というのが「おかしい」と思わないのに私は異を唱えるのです。




幼稚園児でもあの麒麟の図柄を見せて「これがキリンさんだよ」と言ったら多くの幼稚園児が「違う」と否定します。
それだけ本物のキリンが世に伝わり認識されているということです。



ところがいざこれが「仏教」となると、どの寺院でも「モノホンだろう」というかそれとも「どこも派があって色々あるから」なんて誤魔化す感じでしょう。
絶対に今示した「麒麟」の例えの様に多くの人が巷の仏教を「違うよ」と言わなければならないのに実際は「それがない」



本当に情けない話です。





そういう背景が未だ世に有るから、新興宗教が開かれても、または各所が嘘をついても「まかり通る」のがあるわけです。
それに輪を掛けて「本当の仏教」を知る気も講じる気も無い人がそこにいたらどうなるか・・・・・。




世の中は「信教の自由」が多くありますから、本当の仏教の内容があっても「それ以外は偽物」としないのがあります。
だからこそ未だに嘘がまかり通っている現実があります。



私はせめて小学校の歴史の授業などでちゃんと本当の仏教の内容を教えてほしいと思います。
教えたのに偽物を欲しがる・進む人はその人が愚かなだけです。



義務教育の時代にちゃんとしたものを教えておかないと、大人になってからも騙される原因になると私は思いますね。
だから、多くの人が未だに「騙される要素」を抱えながら生きているんだと、つくづく思います。




自分が高校生の時代に「本当の仏教を」と思っていたところに阿含宗の嘘を見抜けなくて騙された。
本当に悔しい気持ちです。


せめて騙される前に何か情報を得れたら良かったのに。
今の時代の様にネットがあって調べられる時代だったら、危険は回避できたと思いますね。





偽仏教は決して阿含宗だけでは有りません。この世に多く存在しています。
だからこそ「気を付けて」と言っている次第です。




後から後悔する前に今の時代はネットがあります。
これでもか、というくらい調べて精査ができる時代です。




宗教詐欺に遭わないためには一番なのは「宗教自体を講じない」のが一番ですが、そこまで判別できる人も少ないでしょう。
ならばせめて自分が講じている、または講じようとしている物に対して「よく精査する」のが必要だと私は思います。



宗教詐欺は何の利益も有りません。騙されて終わりです。
そんなものにうつつを抜かすぐらいなら、自分の人生に時間を使うべきです。


ぜひ、皆さんも今講じている宗教が「本当のものか」精査してみてください。
そして阿含宗を講じている人は間違いなく「宗教詐欺」ですから、辞めるべきです。

本当の仏教はちゃんとあります。阿含宗には本物は有りません。
どうぞお気をつけていただきたい。そう願っています。