天照の独り言

つれづれに思った事を書き綴るブログへと変更(2019年1月1日より)
以前は「某宗教団体の欺瞞を世に知らしめるブログ」

霊障について(詐欺宗教に騙されないための知識 2)

2015-11-01 23:05:38 | Weblog
さて前回の続きに参りましょう。今回は「霊障」について、です。

霊障とはみなさん聞いたことがある言葉かと思います。

多くは「先祖の祟り」とか「成仏できないでいる霊の存在で、特に生きている人に悪影響を与えている存在」との認識が多いようです。

おおよそで言えばそういう感じですが、それを詳しく述べて行きたいと思います。



字を読むと「霊の障り(さわり)」とあるように、死んだ方が生きている方に障りを与える存在となっています。
障りというとあまりピンとこないですが、要は生きている人が死んだ方の成仏できないでいる状態が何らかの良くない影響を与えている、と言えましょう。

阿含宗的に言うと、死者は大きく分けて2つのものに分かれているようです。
1つは死後成仏できていないが、障りなどを与えないような状態(存在)を「不成仏霊」と呼び、もう1つは死後成仏できないでいる苦しみのために生者に悪影響を与える存在が「霊障の仏」と呼んでいます。

ですから「霊障」というと、成仏できないでいる死者が生きている人に「悪影響を与える存在」であります。



そういうと「死んで尚生きている人に悪影響を与えるというのは困ったものだ」と思うので供養を勧める。
また生きている人間が運が悪くなる原因として阿含宗は挙げているので、死者を成仏させるために供養しようとするのがあります。

もちろんその悪影響を与えているから困る、と言うのだけではなく、その死んだ方というのは子孫側からすれば先祖です。
可哀そうと思ってご供養をされる方ももちろんいます。ですから単なる運をよくするための供養もあれば、先祖への懇ろな供養心から供養を行うというわけです。




そして阿含宗では霊障を起こしていない存在は阿含宗で授ける「勤行」というおつとめがあります。
これを長年行うことで成仏が適うとされています。

しかし霊障を起こすに至るまでの仏は阿含宗管長である教祖「桐山靖雄」でなければ成仏させてあげれない、ということを述べています。
ですから阿含宗信者および阿含宗に縁のある方は阿含宗宗務局に申し込んで「解脱供養」というものを行ってもらいます。
一体10万円となっています。




ここまでが概要ですが、では本題はここからです。

本当に桐山靖雄氏が言うように「霊障の仏」というのはあるのか。先祖が成仏した・してないはあるのか?について考えてゆきます。




まず仏教開祖であるお釈迦様の言動録であるお経~阿含経から調べますと、死後先祖が成仏する・しないは書かれていません。



そういうと「え?成仏云々って仏教の言葉であり、葬式など色々するし、あるでしょう?」と言う方がほとんどです。

そうです。巷の流れや認識としてそういうのは「巷にあります」 
しかし、肝心のお釈迦様がそういうことを言ったか、については「言ってない」と言うことが正解です。




何だか不思議な話をしているな、と思う方もいるでしょうが、よくお聞きください。
ここが非常に重要で肝心なところです。ここを抑えてないと詐欺宗教にコロリと騙されるのですから。





まず、有名な「成仏」ということですが、これは正式に言うと「仏陀に成る」と言う意味で語を前後入れ替えたので「成仏」になっており、語のとおりに言うと英語じゃないですが逆読みで「成る仏陀に」と言うことになります。
つまり「仏陀になることが目的」なのが「仏教」なのです。そして仏教は「仏陀になるための教え」ということです。

そして仏陀になるというのは「生きている人間だからこそ可能」であって、死んでしまえばできません。




そうです。だって死んでしまえば肉体は動かないし、第一火葬にして焼いてしまいます。だから仏教を学び・講じようとしても死んだらできない。
だから仏陀になろうとするならば「生きている間」しかできないのです。だから「死者には修行ができない」のです。

まあ、ここは物理的にわかりますよね。肉体がないのなら修行のしようがない。
次に問題なのは「死んだら死者は成仏するか・できるのか」です。



これもお釈迦様は述べていません。つまり死んだら成仏するというのは、生きている間に仏陀になり、過去世からの悪業が無い状態であれば、その状態を継続できたまま死ねば転生することなく済む。
いわゆる「涅槃へ入る」となり、もう生まれ変わらない。これが完全成仏の状態であります。

もしも過去世の悪業が残っていたり、現世で仏陀になったが陥落したり、何か足りない部分があればやはり生まれ変わってきて再チャレンジすることとなります。
ですから、生きている人間が完全成仏するのは、大変な事項ですが生きているからこそ可能であり、また成りきれなければ生まれ変わってきて何度でもやり直すことができる、というわけです。




一方、死者は?というと死者成仏のことは書かれていません。つまり以前にも掲示板や当ブログのだいぶ前に書いた記事にありますが、お釈迦様が言ったのは

「死者はその人の赴くところへ行く」としか言われていません。




そうなると、如何様にも取れるので後世の人たちは「死んだら成仏できないぞ」と言う認識を持つようになり、それが普及してしまったと言えます。
なので、今巷にある認識~死んで成仏できない云々、というのが「出来上がってしまった」ということです。




ですから仏教を特に講じてない人たち~一般の方々や他宗教の方々は「成仏できない」と言われても、別に仏陀になるわけではないですから「別に」で済みます。
だから文字通りで受け取るならば(追うならば)成仏できないのは当たり前であり、そんなこと知っちゃことじゃない、です。



しかし今取り上げているのはそういうことではなく、死んだら死後自分たちも成仏できないであの世で苦しみ、子孫などに悪影響を与える存在になるのか。
またそういう恐れがあるのか否か。そしてかつて先に亡くなっている先祖たちはどうなのか?ということですよね。




答えは「無問題」です。なぜならその証拠がありません。
見ることも調べることも適わないからです。



よく霊感や超能力があるからと言って「先祖の祟りや障り」を言う方がいますが、その根拠はどこにあるか?です。

霊やあの世の世界は誰もが見ることができたり知ることができません。
だから如何様にでも言えるものです。

物体や何かで示すことができるのならまだわかりますが、その先祖がどのようであり、またそれへの手助けができるか、にかかってきます。




結局判断材料が乏しい中で唯一信用できるものがあります。それがお釈迦様の言葉です。

お釈迦様はこのような内容で言われています。


「生きている人間が仏陀になるのも、その人の如何による。自分が他人を成仏させてあげることはできない。自分は道を示すのみである。
死んでいる人も同じで、生き返らせたり死者をどうこうすることはできない。死んだ人はその人の赴くところへ行くのである。
だから自分が死者に対しても何もできないし、生きている人間も同様である」

このように言われています。




そうするとお釈迦様は「超能力があってすごく偉大な人」とみられていますが、そうではなくとっても普通な人に見えてきます。

つまりお釈迦様は仏陀になる方法(道)を発見し悟り、実践し成られた方である。
修行の結果神通力などを得たが、別にそれを人に誇示するために使うということもなく、ほとんど見せなかった。
そして淡々と仏陀になった状況を永続し、そのまま仏教を広めたまま亡くなられた。

凄く自然な方でナチュラルであった、といえますね。




だから新興宗教などで見られるような「死んだら成仏できないで霊障の仏になるぞ」なんてことは一切言わなかったのです。







というか、はっきり言って霊障なんて言葉は脅しのようなものです。
お前の先祖が成仏してないぞ。尚且つ苦しんでいて子孫に悪影響を与えている。

こういうことを言って供養を勧めるわけです。





一方お釈迦様は死者への供養はどのようかというと、これも過去に当ブログで言いましたが

「先祖を偲ぶこと」が基本で、それにもしも生きている人間のやりたいこととして死者が生前好きだった食べ物など供物を供えることぐらいを容認したぐらいです。

本当はそういう供物も不要で、先祖を偲んで思う心、これがあればよかったのです。
だから先祖供養はお金もほとんどかからず、仰々しい法要も不要なのです。




だったら、もう見えてきますよね?
豪華で派手な葬式も、年忌法要も、高額な戒名も、新興宗教の説く特別な供養も「要らない」になるのですよ。





阿含宗の批判をしている自分ですが、なぜに批判するのかというと、教祖が明らかな大嘘をついているからです。



お釈迦様が生きている人はもちろんのこと、死んだ人を如何様にできるということはない、と言うのを述べました。
一方、阿含宗教祖、桐山靖雄はどのように言っているか。



桐山氏は長年の修行の末、阿含経にこそ成仏する方法が書かれてあるというのを見つけた。
そして阿含経に書かれてある修行法を行い、自らが成仏された。
それだけに留まらず、釈迦の成仏法により「死者を成仏させる」ということが可能になったと言います。




誠におかしなことです。




例えば、桐山氏自身が「我は仏陀になった」というのは胡散臭いですけど、話上まだわかりますが、「死者を成仏させられる」というのは明らかな嘘です。




お釈迦様が「我はできない」と言っているのに、お釈迦様が亡くなってから2500年も経っている現代になって、世界でただ一人「それが可能」という。
そうなるとお釈迦様を乗り越えて、唯一世界でただ一人の「奇特な人物」となる。

また桐山氏いわく「釈迦の成仏法」と言うのですから、お釈迦様の説かれた「仏陀になる方法」が死者にも通用が可能、ということになる。
本当(本来)は生きている人が仏陀になることを成仏と言うので、死者成仏というのは無いのだが、生きて仏陀になった人が「悟りの念を死者に注入することで死者成仏を果たす」と言っています。
つまり死者は死後様々な状況下に陥り、成仏できないでいる。
その状態から一度目を覚まさせてあげ、その後死者が抱いていた怨念や無念などを消えさせて、霊界へ送るというのが桐山氏の主張で、死者成仏を可能にできる内容です。




しかし肝心のお釈迦さま自体が「できない」と言っているのに、そのお釈迦様による成仏法により「不可能が可能」と言う。

こういうところが明らかな大嘘つきたるところです。



釈迦の成仏法なんて言うのは詭弁でして、そういう物はありません。桐山氏が勝手につけた名称です。
また死者を成仏させてあげられる、というのはお釈迦様の説いた法にあると桐山氏は言うわけです。
つまりそれは、お釈迦様が成仏させてあげている、というのに等しい行為・内容です。

お釈迦様は「そういうことはできない」と述べられているのですから、如何に2500年後の今になって世界初の行為が成される、というのはおかしい。
また証明するものもありません。

結局「言ったもの勝ち」のことで、悪列な犯罪者か精神異常者が放つ言動に近いような主張です。
つまりは、桐山氏の言うような「トンデモ論」でも言わないと死者の成仏が可能、というのは、言えないくらい不可能な行為です。



いつから師匠越えのような奇術ができるようになったのでしょうか。尚且つベースはお釈迦様の法によるものです。
ベースはあくまでベースであり、それをアレンジして可能になった、とでもいうのでしょうか。




もうこうなるとオカルトと言うしかない世界ですね。


だから私は今までこういう知識がなかったから、過去見事に騙された。本当に悔やんでも悔やみきれないほど後悔しています。
もしもタイムマシンがあったなら過去の自分を教下し、阿含宗など講じさせません。

他の宗教も同様です。







だから本当の仏教を知るだけで、エライ違いが出てきます。
如何に巷に嘘や間違った認識が広まっていて、その影響をほとんどの人が受けているか、です。




だから自分の先祖が「成仏していない」とか「霊障を起こしているのではないか」なんて思わなくていい。
私の弟も6年前に亡くなりましたが、どこかに転生しているでしょうから、「頑張れよ」と心でエールを送っている。
それでいいのです。お釈迦様ができないことを誰ができましょうか?




今までの自分は阿含宗教祖の言うとおり、ご宝塔を前に毎日勤行し、真言やお経をあげていた。
それは「先祖が喜ぶから」というのでやっていた。


しかし自分の霊感には一切反応が無いのですよ。
もしも先祖が本当に成仏パワーが届いていたのなら、先祖は喜んでいて何らかの示しやお礼の言葉などを出してきたでしょう。

それが一切ないんですよ。





そして阿含宗の欺瞞を知ったら、すべてが嘘とデタラメとインチキであった。
かなりショックを受けたが、合点が行きました。ああ、だからいくら長年勤行をしても「何の反応もなかったのか」と。





だから変な「先祖が成仏してない」とか「霊の存在にビクビク反応する」必要はないんです。
実際、そんなに先祖が祟ってたらこの世はとっくに終わってますって。






そういうわけで「霊障」ってものはただの妄想や概念であって、何も根拠がなく「取るに足りないもの」です。無視してよろしい。
それよりも大事な自分の時間や家族との時間を有意義に過ごす。その方が重要です。




どうぞ以上のことを当ブログから学んで、詐欺宗教に騙されない人生を送ってください。