天照の独り言

天照の個人的動向やちょっとしたことを書き込むために作成。

ブログ読者の質問に答える

2016-11-07 06:15:12 | Weblog
ある方からこういう質問が来ました。
最近、質問が多いので何だか嬉しい限りですね。いつも一人語りなブログですからね。

では、質問です。



「天照さんのブログを見ているものです。
 内容はある程度理解はできるのですが、その中で疑問に思った物がありますので伺います。

 天照さんは「本当の仏教を知った方が良い」とよく言われますが、その意図は理解できます。
 しかし、その一方「本当の仏教を講じないとアウト」のような物言いに聞こえます。
 そのような考えはいかがな物でしょうか。」



なるほど。確かに私のブログをみていると私にはそういう発言が多く見られると。
特にそういった物を感じる、というのがあるというわけですね。


ですが、私からするとこのような考えで言っているのがあります。

「ごった煮的な仏教や偽仏教、オカルト仏教を信じたいという人はそのようにすればいい」と思っています。

そして逆を言うと

「本当の仏教を講じたい人は本当の仏教を学び・講じてほしい」ということです。




一見、こういう風に文章で見ると


「なんだ、当たり前の事ではないか」と感じるし、簡単な事のように思えますよね。

しかし、その当たり前の事や実際的に私の言うことをさらりとやっている人は意外と少ないんですよね。

だから私は何度も言うし、批判を絡めていう言葉が「本当の仏教の内容を知って講じるべき」と言うのです。



実はなんでこういう風に言うのかというと、世の中の大半の人は過去の自分もそうでしたが本当の仏教を知らない人が多すぎます。
だから未だに詐欺宗教(詐欺仏教)・偽仏教に騙されていも気が付いていない人が多いわけです。

尚且つ始末が悪いのは、偽仏教を本当の仏教と信じ切って噛みついて来ることです。



そりゃあ噛みつこうが怒り狂おうがそれはその人の勝手ですし、こっちは知ったことではない。
しかし、知らないで騙されている人が本気で本当の仏教を求めているのだとしたら「ちゃんと勉強されてはどうか」というのが自分です。

なぜなら自分がそういう輩だったからです。




本当の仏教を知っていてわかっている人だったら、自分はその人から正しい教えを心から請うていたことでしょう。
桐山氏のような詐欺師に騙されるというロスをすることなく生きて来れたなら、こんなありがたいことはなかったでしょう。
だからもしも阿含宗に入る前にそういう人と出逢っていたら、自分の人生はかなり変わっていたと思いますね。



なので人生をやり直せるとしたら、その辺りを特に要望したいほど後悔しているんですよね。





だから、自分は自分と同じそういった考えの人に呼び掛けてもいるし、阿含宗を「偽仏教・詐欺宗教」と知らずに居る方への呼びかけで活動をしているんですよ。
それで、自分は誤解が多少生まれようとも自分のスタイルである「本当の仏教を知ろう・講じよう」と呼びかけているわけです。




ただ、私の呼びかけを「うざい」とか「要らない」という人には「そうですか」というしかないわけです。

実際2chなどでそうですが、阿含宗が如何に偽仏教であるか、欠陥があるか、と言っても聞き分けがない人が居ます。
そういう人などは私の意見が不要だという典型的な現れの人の例です。

なので、そういう言っても聞かない人には「好きな程、騙されてらっしゃい」と言いますよ。お好きになさいと。





ましてや偽仏教は阿含宗だけではないわけですよ。新興宗教の仏教教団はほとんどが偽仏教です。

在来仏教だって完全なる本当の仏教を教えているわけではない。本当の事項も入ってはいるが多くは無い。嘘も混じっているわけです。
特に新興宗教の教団は嘘の比率が非常に濃い(多い)わけです。

ましてや、今の巷にある仏教の大半は「葬式仏教」か「詐欺宗教」のどっちかです。それらが大半です。
そういう中に埋没して「俺は本当の仏教を講じている」という輩が居たら「頭イカレている」か「騙されているのに気が付かない」かのどっちかでしょうね。

なので、基本は「信教の自由」がありますから、お好きにどうぞ、というしかないわけです。






ただ、マジに本当の仏教を知りたい。そして講じたい、という人は応援しますよ。
また、こういう人もいるでしょう。



本当の仏教は知りたいが、講じたくは無い。




これも自由なんですよ。「知る」と「講じる」は別物ですからね。



だったら講じたくない人は「知るだけ」でいいでしょう。
正しい仏教の内容(もしくは概要)だけでも知っておけば詐欺に遭わない可能性は大きいまま経過できる。




また仏教を講じるのは結構面倒なんですよ。如何に在家でも講じれる、とは言えども仏陀に成るのは至難の業です。



そういう手間やら苦労やらをするよりも本当の仏教の内容だけ知って講じるのはしない、のも実は有りなんですよ。






だったら、そのようにすればいいだけの話です。個人の自由です。





結局、この質問をした方は私の言い方が「恩着せがましい」と言いたいのでしょう?
知るだけで充分なのに「講じるべき」とまで言う私を「訝しく思った」という。




ならば、「知るも自由。講じるも自由。拒否するのも自由」これでよろしいでしょうか?





結局、なんだかんだ言っても選択するのは各々なんですよ。
私のブログを見て「そうかあ」と思うのも1つですし、「何だこれ」と思うのも1つ。


ただ、私は阿含宗という物に縁があって入信し、そこで長年在籍し騙されたわけです。
何で騙されたのか?また阿含宗は如何に欠点があり駄目ということを言えるのか?それらを述べているわけです。

そうしてその批判をする総括の上で「本当の仏教を知ってください」と呼びかけ、尚且つ「本当の仏教を講じたい」という人には「講じてください」と勧めている。
その勧めを嫌うのもやるのも「皆さんの自由」なんですよ、ということです。




ですから、私が「本当の仏教を知り・講じなさい」と言ったからといって「必ずやれ」とかではない。
その辺りの意図をよく理解してもらいたいとは思います。



ただ、毎回「知ってください。講じてください」というのも変な砕け方ですから、「本当の仏教を知り・講じなさい」という言い方になったのはあります。
ですが、それは強制でもないし、選択するのは「あなた方」なのですから、自由になさればいいのではないでしょうか。



ということです。



またこういうのもあります。


本当の仏教を知ったはいいが、今度は講じる場合はどうすればいい、と思った場合です。
自分がまさしくそれに該当したから、言っている、というのもあります。



まず自分の経緯で言うと阿含宗が如何に間違っているか。嘘の部分等を知るわけです。



その次に「では本当の事項はどのようにするのか」というのが来ます。
つまり間違っていた点を直すためには、正しい事項を行うということをしますが、それに該当するわけです。


例えば自分なんかは「先祖供養目的」で阿含宗に入ったわけです。
そして阿含宗で教わった内容や巷にある行為は本当の仏教の行為ではない、というのがわかったわけです。

すると本当の仏教のやる行為は?となると「先祖を偲ぶだけ」となる。




しかし、今まで長年間違った教えをやらされてきましたから、いざそれをやれといってもかなり抵抗があるし違和感が生じます。


それこそ間違った教えなのだが、お経や真言を唱えていた方が精神的にもラク、というのがあったほど心も体も頭も「毒されていた」んですよ。



いくらお経を唱えても真言を唱えても、それは先祖には届かない。意味がないんだ。
生きている人間の「自己満足」の世界だけであって、何ら先祖供養に繋がらないし効果もない。
だからそういう無駄な行為をやっても駄目なんだ、と自分に叩き込むわけです。


この叩き込みこそが「本当の仏教の行為」なんですよ。特段、崇高な何かをやることをやるのが本当の仏教というわけではない。
肝心なのは、自分が如何に正しい仏教の内容を実行できるか否か、です。



本当に難しいのは煩悩を断つのと戒を守るのが大変ですね。つまり仏陀に成るために実際的に自分を変えるという行為です。
尚且つ瞑想なども要するのでそこも大変でしょう。


そしてやはり在家に居ながら仏陀に成るのはかなり大変です。
せっかく精神を整えても、仕事の影響などがかなり邪魔をする。


家に居て平静でも仕事となると平静ではいられない。
尚且つあまり人と関わらなくて済むとか、技術職のような閉鎖的なものに就いているわけでは無かったら尚更難しい。

特に人に関わる仕事をしている人は、そういうのがあるので煩悩を断ちきるのは至難の業です。



あと、仮に仕事での煩悩を断ち切っても、世の中には様々な誘惑や影響を及ぼすものが沢山ある。
それらの影響を完全に断ち切れるほど仏道修行は簡単には行きません。



だから在家で解脱したという人は、マジすげえ、と思いますよ。




なので、本当の仏教を知るだけに留めて講じない、というのはその方が楽です。
だからそのようにする、という方は「賢いな」とさえ思います。



自分としては現世で解脱できるとは思っていません。
来世以降に解脱できるようにある程度できていれば御の字だと思っています。



厳密に言えば来世にも解脱できるなんて甘いでしょう。
ですが、最低桐山氏のような詐欺師に遭わないのだけは得たい。そのように思っている。



また、せっかく本当の仏教を知ったのだから本当の仏教のできるところだけを講じよう。そのように思ったのも有ります。




ですから、私の本意をご理解してもらい、そのようにしてもらいたい。
つまり「あなた自身が好きなようになさってください」ということです。

そしてもしも私と同じ考えの人だったら「ぜひ講じてもみてもください」ということですね。



以上、質問への回答でした。
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