天照の独り言

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よく押さえて置かないと騙される危険性

2016-12-10 05:20:41 | Weblog
今回の記事内容ですが以前にも触れた事項なのですが、大事な事項ですので改めて触れながら、尚も深く顧みてみます。

なぜならば今回の部分もちゃんと押さえて置かないと、阿含宗でなくても似たような宗教。
つまり「因縁解脱を説くエセ宗教」に騙される恐れがあるのでそこを学んでおく。
次に阿含宗でやっていることへの回避ができるので詐欺宗教に騙されない上で非常に有効なものがあります。
ですから再度出す、というのはそこに理由と価値があるので行うのです。

まずは先の「因縁解脱を説くエセ宗教に騙されない」ための事を見てゆきましょう。

なんでこれを説くのかというと、実は因縁解脱というのは阿含宗だけが説いているものでは無いからです。

逆から言うと阿含宗が詐欺宗教を講じるために、昔からあった「因縁解脱論」を他所から拝借してそれを使用したというわけです。
ですから因縁解脱というのは阿含宗の特許でも持っているかのような感じを受けますが、そうではない。
厳密に言うと他所からのパクリはパクリだが、阿含宗なりの解釈と味付けを桐山氏が行っていて、その味付けが「阿含宗流」または「阿含宗風」ともいえるし桐山教ともいえるわけです。

なので大元のパクリ元の因縁解脱と阿含宗の中の「因縁解脱」には違う点があるわけですが、基本がパクリなわけですからやはり阿含的味付けを抜けば差は左程ない。
ですから核的なものを押えれば、阿含宗でない「因縁解脱」も対応というか分かる点が見えますから、そこを通じて騙しから抜け出す、または騙される前でしたら騙しに遭わないで済みます。

つまり自分は阿含宗に居たわけですから阿含宗の中の事項で話すのですが、阿含宗以外の宗教での「因縁解脱」ということにはある程度通用する事項であるというわけですね。



さて、因縁解脱というのはこのブログを見ている方には承知の事項です。
つまりこの語は後世の人間が勝手に作った造語であり中身も後世の人間が勝手に作った概念です。
これを一言で言うと「仏教の中に存在しない語と概念」ということです。
もっと易しく言うと「因縁解脱って仏教にはないんだよ」ということです。



そういうと「仏教では解脱を得るとか目指す」とか「因縁」とか言うでしょう? 仏教の語であり内容じゃないの?
その様に思われる方も多いと思います。かくいう自分も過去「因縁解脱」という言葉と内容を聞いたとき「ちゃんとした仏教用語であり内容なのだ」と思っていましたからね。



ところがちゃんと仏教を学んだり知っている人からだと「何、この造語と嘘」と分かってしまいます。
それだけ全くのデタラメと嘘と内容が詰まったのが、この「因縁解脱」というものなのです。



一番手っ取り早く分かる方法はこれです。語だけ見る方法です。
因縁解脱は字の如く「因縁を解脱する」とあります。

これは仏教には全くない事項です。




どういうことかというと仏教では確かに修行をして解脱をするわけです。逆から言うと解脱を得るために修行をするわけですね。
だから解脱、という語や内容は確かに有ります。

また因縁というのもあります。因縁というのは物事の通りや流れを表した語で別名「縁起の法」とも言い略して「縁起」と言います。
因縁果報、因果応報という語がありますが、それはその流れを表した語であり、これも仏教にある語であり内容です。
ですから因縁といえば、このことを言うわけです。


ところがこの2つを勝手に一緒につなげてしまって尚且つ勝手に後世の人が解釈を施したものが「因縁解脱」というものです。
まさか2016年に流行った「PPAP」じゃあるまいし(笑)


だってそうでしょう? 因縁解脱というのは因縁を解脱する、という意味です。
仏教には厳密には色々な物(内容と修行)がありますが、その細かい物を省いて簡単に説明すれば「煩悩を無くして解脱に至る」ということを説きました。
ですが、因縁を解脱するなんてものは微塵も説いてないのです。

ここを間違ってしまわないようにしないといけません。
なぜならここをちゃんと把握しないと、騙しに遭うからです。




どうしてそのように言うかというと必ず次に出て来るのがこれだからです。


「仏教を知らない人は語だけ追ってそのように言う人が多い。違うのですよ。因縁解脱というのは”悪因縁解脱”という意味なんです」


このように言ってくるからです。



ですが、この事への対応もこのブログを以前から見ている人には「ああ、またあれか」とすぐにわかることでしょう。
しかし、このブログを見て間もないとか比較的新しく見た方には「何のこっちゃ」と思っているかもしれませんから、古参の方は耳にタコでしょうがお聞きください。
(もしくは文章スキップしてください)



人生とはいろんなことが起きます。良いことや悪いことがランダムに起きる。
その良いことや悪いことは何で起きるのかというと、それは自分が過去世に於いて行った行為の反映だからです。

良いことは善果といい、良いことを行ったことの結果。悪いことは悪果といい、悪いことを行った結果です。
この流れは因縁と言い、因果応報、因縁果報とお釈迦様が説いているものです。
(こうやって仏教のエキスを出して説明してきます)

つまりは良いことをすれば良いことが返ってくる。悪いことをすれば悪いことが返ってくるというものです。
これが現世に於いて反映されているので、人生で良いことがあったり悪いことにあったりするわけです。




良いことは良いことなので手放しでよろしいのですが、悪いことの方はそうはいかない。
例えばですが過去世に於いて人を殺した、なんて悪業があったらそれが自分に後で返ってくる。
つまり自分が人に殺される運命を持ってこの世に生まれ、いつかそういう時期が来たら殺されて死ぬ、ということですよね。

出来ればそういうものを何とかしたい。ですが先ほど言った因縁の法則では自分自身が作った報いは基本的には自分が受けなければいけないと言われています。



しかし仏教で様々な修行をして仏という存在になった方にはその悪いものを消すことができる。
いや、消すという言い方は変なので言いかえると「解脱する」と言うことですか。悪因縁から解脱するということですね。

仏教では解脱と言って様々ものから離れてゆくことを修行としています。ですからその悪因縁から解脱してしまうために修行をする。
また人間だけの力や修行では足りないので仏様のお力をいただいて、悪因縁から解脱する、というわけなんです。
これがいわゆる修行というやつなんです。




・・・・・と何も知らない人が言われたらどうなります???





「ああ、そうなんだ~」とか思う人や、「何か胡散臭いなあ」とか思う人、様々でしょうね。




信じてしまう人は別としても、疑う人も仏教に詳しくないですから反論が簡単にはできない。
だから間違っている内容でありながらも、世の中でまかり通ってしまっているのがここにあるわけです。




そして信じてしまったら最後、そこの嘘の上塗りの世界へ引き込まれるわけです。





ですからちゃんと押さえるのは「仏教には因縁解脱というそのような語と内容は無い」ということ。
つまりお釈迦様が説かない語と内容なのだ、というのをまず押さえる。


次に「悪因縁を解脱する」と言っても、なびかないことです。
なぜなら、お釈迦様はそういうことを説いてないからです。


因果応報、因縁果報は確かにあります。そしてこの法則は絶対的なものがあります。
それは「誰もこの法則から抜け出せない・逃れられない」ということです。

言い方を変えると「誰もこの法則を消したり相殺・減滅できない」ということですし、深く言うと「因果は自分に返ってくる」ということなので、良いことも悪いことも自分の身で受けなければいけない。
どこをどう考えてもどのようにしても「悪因縁からの解脱」は「誰もできない」のであり、かの「お釈迦様」でさえできないのですから、どうしようもないわけです。

つまりは「悪因縁解脱なんて嘘っぱち」ということです。



だが、その原理をそのままにしたら「あなたに起きる運命は運命だから仕方ないんだ」で終わりです。
そこには何の救いもない。

しかし、仮に嘘でも「運命は変えられる」というような謳いがあったら、なびかない人は居てもそれにしがみつきたい人ならどうなるか?

そこを突いて来たものだと私は思うのです。




修行の末真理を悟って仏陀に成ったお釈迦様もやはりその辺りを調べたのでしょう。
物事の流れ・道理という物を深く見て行った。しかし、その果てにはやはり「因果の法」は絶対であり覆すものは無かった。
そういう結論の上で物を言っているわけです。全ての行いは自分に返ってくるんだよと。
だから努めて悪いことはしなさんな。そのように何度も言っているわけです。




だが、その真理が如何に正しいとしても認めたくない人だっているわけです。
自分の過去世なんて誰も見れないし知らない。生まれてきたら過去世の記憶なんてまず無い。

だから現世でどのような人生を送り、どのような目に遭うかはその時に成らないとわからない。
まあ、最悪でも横変死しなければいいか、ぐらいは思うが、もしも自分が横変死だったら。または家族などがそういう運命を持っていたとしたら・・・。

そう考えるだけと楽しいはずの人生も楽しくなくなります。



そういう真理に反したものが「因縁解脱」なんです。



仮に真理だろうか法則だろうがそういうものに逆らってそれが成せるのなら成せるだけ良いと個人的には思います。
阿含宗を退会してもそのように個人的には思う。


しかし実際に仏教が誕生してから2500年ほど経っているが、未だにその「因縁解脱」とやらはさっぱり無い。
誰も成した人は居ないし見たことがない。



というか真理を覆したらそれはもはや真理ではなくなります。
真理とは絶対的な物で永遠不滅で永続的な物です。ゆえに真理というわけです。

それが覆せたらもはや真理ではない。
またお釈迦様も「ザル」であった、と言わざるをえない。




そんな馬鹿な話は無いのであって、やはりどう見ても「因縁解脱論」を唱える方が間違っているわけです。




だから非常に旨味のある話である「因縁解脱」ですが、最初から成功しない夢物語であり想像物なんですよ。
そこを分かれば如何に巧妙に「因縁解脱できるぞ」なんて言われてもなびく必要がないわけです。


だから自分はそれが判ったんで、もうこの手には騙されません。
また皆さんもそのように成って欲しいと思っています。





次に私が最初の方で言っていた「阿含宗的に味付け」というやつです。
これは先に述べた「因縁解脱の嘘と基本」が判れば騙されませんが、これも見てゆきましょう。
意外とこの味付けに騙される人も居るようですから。




阿含宗では因縁解脱をただ他所からパクっただけではありません。なぜならそこに付加価値と別要素を付けることで「さも本当だ」と思わせる効果があるからです。



その付加価値というのは「本当の仏教教団である」というものと「成仏法」らなどです。
この物があるから因縁解脱が可能になると説きます。

また因縁解脱の仕組みとしても先祖供養の大切さを説き、霊障という概念を大きく知らしめたのも阿含宗です。
ですからこの要素も付けることで「阿含宗は本当の仏教教団だ」「因縁解脱が可能になるのは阿含宗だ」と思わせることが可能になったのです。



付加価値の方から見ると、まず仏教の要であるのはやはり「お経」です。
お経というのはお釈迦様が説いた教えと法が記されたものです。その最初のお経が「阿含経」です。
このお経は仏教学的にも他のお経と比べ信憑性がありますので名称は聞き慣れないですが、仏教を学び信奉するものであれば仏教を学び実践するために大切なお経です。
そのお経の名と価値を世に知らしめたのはやはり初代教祖「桐山靖雄」ですね。


そしてそのお経の中に「成仏するための方法」が記されているわけです。それを桐山氏はわかりやすい名称を付けました。それが「成仏法」という名称です。
この成仏法が記されているのが阿含経であり、成仏する方法を知っているのが桐山氏であると打ち出したわけです。

だから確たる成仏を目指して仏教を講じるなら「阿含宗」という風に世間に捉えさせたのですね。
なので阿含宗ができてから非常に阿含宗は流行りました。特に若い世代の子らが入信することで有名にもなりました。


今度は要素ですが、解脱するには先祖の影響を無視できないとして桐山氏は先祖供養の大切さを打ち出します。
先祖が成仏してないとそれが生きている子孫に悪い影響を与える、としたのが霊障の始まりです。


そしてこの霊障とやらは今まで世間に顧みられなかった「阿含経」にしかないものだから、今まで2000年を超える中で一度も成仏法に依る供養が成されてなかった。
だから世界のあちこちで不幸な事件や事故なども起きる原因にもなり、先祖も浮かばれないで苦しんでいる人たちが山積しているという風にも言います。

純粋に仏教を奉じて仏陀に成ろう、なんて思わないにしても先祖の供養をしたいと言う人は日本には多いものです。
ですから阿含宗で「先祖供養を完ぺきに行いたい」という風に考え入信する人も居たほどです。


纏めますと、阿含宗は生きている人間は阿含宗の教えるところの内容を自身の修行で成仏を果たし、死者には阿含宗の教祖が持つ成仏法・成仏力で成仏せしめる。
また生きている人間の完全なる解脱のためには、先祖の霊障が成就を妨げる原因にもなるので供養が必要として霊障解脱なるものを出します。
この2つがあることで阿含宗は価値ある教団であると言える。そのように世間に訴えたわけです。


何も知らない人がこういう事項などを述べられると「そうなのかあ」と思ったり信じてしまう場合が出てきますよね。
そうやって段々信者を増やしていった経緯が阿含宗にはあるのです。


しかし如何に”まことしやかな”訴えも本当の仏教を物差しにしたら化けの皮が剥がれてきます。
なので自分が何度も言うのが「本当の仏教の内容を知らないと騙されますよ」というのがそこです。
つまりどんなに見事に嘘をついても本当に有る事項や真理は覆せない。嘘はやはりどこまで行っても嘘なのです。


では、その嘘を見てゆきましょう。


まず先に言ったものは「因縁解脱」というものは仏教に無いものであり、後世の人間が勝手に作った概念と語である、というのを述べました。
ですからそれはすでに説明したので省きます。

次にある「騙し」は先祖供養系についての事です。これは霊障などを含む先祖が成仏していないために生きている人に災いが及ぶ、というものです。
これがでは本当なのか、を見てゆきます。



実はこのブログでも何度も話している事項ですから「ああ、またあれか」と察する方もいることでしょう。
ですから今回は軽くだけ触れて置きます。もっと深く知りたい方はこのブログの過去記事を読んでゆけばわかります。
現在より比較的新しめの場所にありますから左程探すこともなく見つかるでしょう。ぜひ、お読みいただきたい。

ですので概要だけ述べておきます。


暴きの1つは「もしも桐山氏が言うように霊障があるならば、地球上の生物が霊障が原因で暮らせなくなっている」ということです。


過去から人類は自然災害や戦争などが度々起きています。そのために亡くなる人はたくさんいます。
その死んだ方が浮かばれないのなら、その死者が出た場所や子孫は霊障のために良くない人生を送り、まともに生きられないでしょう。
またその霊障のある土地などに住むこともできない。そうなると地球上で霊障のなく安全な場所など皆無に近くなります。

また場所云々は横に置いても霊障のために子孫が絶えてしまうことも考えられる。
ですから、霊障などの論はさも有りそうな理論ではあるが、落ち着いて考えれば「破論」であるのが見えてきます。

なので死者の霊の祟りというのは全くないとは言わないが、ほとんど無いに近いのではないか、というのがあるというのがありますね。



次はお釈迦様の発言から見る、ということです。
それはお釈迦様が阿含経で言っていることですが。それはこうです。


「死者はその人の赴くところへ行く」
「自分は生きている人も死んだ人も”どうこうすることができない”」


この2点です。これは非常に驚きました。

なぜなら、この2つがある、ということは阿含宗はおろか在来仏教の勧めている「供養」さえ「嘘だ」となるからです。
だから如何にこの言葉が強烈であり重要であるかが良くわかるのです。


これらの事を深く説明した項があるのでそれはご自身で当ブログ内にあるので、ぜひお読みください。
必ず皆様の役に立つのと、詐欺宗教の餌食に成りにくくなることと思います。




だから自分は阿含宗に何も知らないが故に騙された。
だけどそれから20数年経って2chにて阿含宗の元信者さんらに「本当の仏教の内容」と「阿含宗の欺瞞」を教えてもらいました。
またその他に自分がわからないことも教えてもらいましたね。そのお蔭で確実に阿含宗を退会することができました。



ですからこういった宗教詐欺に遭わないためには、多少なりとも本当の仏教の知識を各自が覚えておくことです。
または知らなければ今はネットという素晴らしい物があるのですから、PCやスマホで調べて把握することができます。
それをすることで騙される前の人は「予防」として効果が。現にすでに騙されている(いた)人は、退会して被害を早く無くすこと。
そうすることで無駄な時間や労力とお金を失わずに済むのです。



そういうわけで、阿含宗という物をベースに行われている「宗教詐欺」の核である「因縁解脱」とそれに纏わる嘘の解明をしました。
皆さんもぜひこの肝心な部分を押さえておいて、宗教詐欺に遭わない。遭ってもすぐに回避できるようにと願っています。



以上、「よく押さえて置かないと騙される危険性」について、でした。
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