Mr.Dashのぶろぐ館

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2017年6月8日(木) 霧の高野山女人道と、不動坂旧道を歩く

2017年06月09日 | 山登りの記録
■メイン写真
現存する唯一の女人堂は、不動坂口にある


■今回のコース
女人堂→弁天岳→大門→助け地蔵尊→相ノ浦口女人堂跡→轆轤峠→弥勒峠→
奥の院前バス停⇒(バス)⇒女人堂→(不動坂旧道)→極楽橋


2016年10月、ユネスコ世界遺産委員会が世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に
女人道、黒河道、京大坂道不動坂を追加登録した。

かつて女人禁制だった高野山。各方面からの高野山への参道は「高野七口」と
呼ばれているが、女性が立ち入ることができたのは、それぞれの参道に建つ女人堂まで
であった。

したがって女性たちは、御廟を拝むため、女人堂から女人堂へ、外八葉と呼ばれる
いわば「外周道路」を歩いたという。これが女人道なのだ。

この女人道のうち、先日歩いた高野三山(摩尼山、楊柳山、転軸山)を除く、
西側から南側の部分の周回道を歩いてきた。

7つあった女人堂のうち、現存する唯一の不動坂口女人堂からスタートした。

お竹地蔵の右脇から西へ延びる山道を登る。



朝まで雨が降っていて、山中は霧に包まれており幻想的だ。
カッコウが遠くで啼いている。



看板しか残っていない谷上女人堂跡を過ぎ、ほどなく弁天岳の山頂に着く。
山頂にある嶽辨天は、「高野七弁天」のひとつだ。
高野山の境内を流れる御殿川の源流の水源部、7カ所に弁財天が祀られているのだ。
弘法大師が奈良の天川弁財天に千日参籠したときに用いた宝珠を埋めた場所だという。



ほぼ10年ぶりに踏む弁天岳の三角点。
前回は、不動谷川・弁天谷を沢登りした時に登頂したっけ。

南へ進路を変え、山を下る。大門口女人堂跡を通る。
ここは、町石道から大門に至る本来のルートがきついため、かつて、楽に
ショートカットできる道がついていたらしいが、今は消失している。



大門に下りてきた。気温17度。涼しいなぁ。
大門は霧の中で、屋根がもう見えないくらい。



延命地蔵の右手から、先に進む。
助け地蔵尊の左から山道に入る。モミジイチゴが実っていた。



ヨメナの一種かな?

途中で舗装道に出たりややこしいが、道標が完備されているので迷わない。
ところで、何年か前にクマが出たようで、あちこちにクマ出没注意の看板がある。



相ノ浦口女人堂跡を過ぎる。
相ノ浦は、南側の笠松峠を経て下ったところの集落で、有田川流域の上流にあたる。



鉄塔跡の小ピークを越える。



右が開けた明るい尾根になり、TV塔が建つ小ピークを過ぎるとコウヤマキ群落がある。



轆轤峠に到着。ここは大滝口女人堂の跡地だ。
女性たちは、この峠から「ろくろ首」のように首を伸ばして山内を見たことから
峠の名がついた。
ここからほんのしばらく、小辺路とルートが重複する。



路傍に見える古い切株には、新たな生態系ができていた。

ものの数分で、小辺路と分かれる。



左の山道に入って尾根道を下れば、円通律寺の手前に出る。
円通律寺は、今も厳しい修行道場であるため、参拝できない。
遠く山門を眺めるのみとする。



崩れた石灯篭がある橋で少し道を外れると、水垢離の行場があり、不動明王が
いらっしゃった。



弥勒峠で小腹を満たす。すぐ先が大峰口女人道跡だ。
大峰の山上ヶ岳から洞川、阪本を経由して高野山に巡礼するための道が出合う。
このルートは、最近拓かれた尾根づたいの「弘法トレイル」のルートとは異なる、
実際に巡礼者が歩いた道だ。

だらだらと長い坂を下ると、奥の院前の立体駐車場の脇のトイレ横に着く。
意外な場所にひょっこり飛び出るものだ。
ちょうど正午を知らせるメロディが鳴った。

今日はガシガシ歩く気はなかったので、バスで女人堂に戻ることにした。
外国人旅行者にまぎれて、バス停で握り飯をパクつく。

女人堂からは、ケーブルカ―の運賃をケチるわけではないが、極楽橋まで不動坂を
下ってみた。



不動坂は、かつて高野山参詣道としてにぎわった。
現在の不動坂は、高野山開創1100年にあたる大正時代はじめに、元の不動坂ルートを
変更して県道が拓かれた。
今では、見た目は良いが非常に滑りやすい石畳が敷かれ、お世辞にも歩行者に
やさしい道とはいえない。

しかし、2012年3月に、不動坂の旧ルートがおよそ100年ぶりに再生され、
今回は旧ルートをたどる。石仏群のすぐ先がその分岐点。



清不動で、一度、新道と合流する。
ところで清不動の裏側にある洞窟のような空洞は、森林軌道の跡だ。
ここまでは機関車は来ていなかったとの話もあるが、トロッコを人力か牛馬で
引いていたのだろうか。

4段40mとされる稚児滝(もっと長い気がする)の音を聞きながら、旧ルートに入る。



岩不動(わかりにくい)、万丈転などの旧跡を通って、つづら折りの難所・いろは坂を下る。



この旧ルートは、平安時代からあったとされ、高野山を門前に控えた最後の難所で
あった。とくに「いろは坂」は、登る人たちにとっては、かなりこたえたことだろう。



ケーブルカーの線路が見えてきた。



赤い極楽橋を渡り、川沿いの旧トロッコ軌道跡の道をたどって南海極楽橋駅へ。
1時間に1本しか電車がないので、人けのない駅で40分ほど待った。


※高野七口:
不動坂口、大門口、龍神口、相の浦口、大滝口、大峰口、黒河口。

※高野山の女人禁制について:
・1872年(明治5年)、太政官布告で高野山女人禁制廃止命が下ったが、高野山側では
 独自に女人禁制は続けられた。長年の伝統は、国の命令より重かったのだろう。
 ただ、徐々に女性参拝者が増え、受け入れ態勢が整っていなかった高野山は
 混乱したらしい。
・1879年(明治12年)8月、萱野イチノさんという女性が21歳で高野山に入山。
 高野山側は、かなり抵抗したらしいが、信念を貫き永住した。
・1906年(明治39年)、開宗一千百年記念大法会を記念し、高野山の結界残部のこらず
 解除し、実質の女人禁制が解除された。これて完全に女性の居住が認められたそうだ。
・1904年(明治37年)、禁制が解禁されたとの情報もある。


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