日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名がある。はなれ版 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

数学の心と長岡亮介先生

2017-05-16 00:02:49 | 日記
 どうにももう一段の内部の熱量が数学に対して、増やせないかと思っていたが、やはり心の問題であった。


それは長岡亮介先生の教授法にあるんだと思う。この先生の講義を長年受けたいと思っていたが、そんなにお金が自由に使えるわけでは無い私は出来ることの範囲で、受けられる方法を模索するという方法に頼るしかなかった。


そして、その中で言葉を送ったことがあったモノが先生に伝わっていたのか、その後の先生の行動が大幅に変わったことがとても嬉しいことだった。


伝えた言葉は多くある。が、頻繁によく使っている言葉は基礎と基本は全く違うという話と、数学は暗記であると送った事と、しかし、ある時に数学の心を感じたという話との整合性が自分での課題ということ。


そのことを先生に送り、私はその心について先生に現代教育も交えつつの内容だった。


暫くして、先生の本のを手に入れその、中で使われているとは思ってもみなかったが、とても嬉しいことだった。


しかも先生が私と似たような経験をしていた事にとても驚いたこと、それは先生の回想が述べられていた文章の中で知り、知らないで書いて送って送った所が影響したのかどうかは分からないが、先生心に響いたのだろうかと、何だか胸が熱くなり、何故か瞳に涙が滲んでしまう思いだった。





そういう事もあるのか、心を捉えたものを重ねてみると自分が疑問に思っていた事を当時の数学の先生に嫌な顔をされたり、思いが伝わらなかったりしたことを思い出しつつ、長岡亮介先生の映像の授業でその心が見えて来ると心の熱量が数多くの上昇し、数段上がる感覚を覚える。


何故こういう風なことが教えるという場面で波紋の様に拡がらないんだろう。多くの科目でこういう先生が多く学校に居れば英語などで私が経験した思いを感じることも無いだろうにと、胸の奥に感じる心の痛さ。何と表現出来るだろうか。現実世界の皮膚をそんなに速くない調子で刃物で切り裂き、そして尖った刺身包丁で刺す感じだろうか。


眼が無い私には本当に感じ入るということなんだろうか。
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