黒い瞳のジプシー生活

生来のさすらい者と思われた私もまさかの定住。。。

古代中国の王の役目

2011-10-27 23:34:53 | 日常
昨日、NHKの番組「歴史秘話ヒストリア」で
卑弥呼が題材になった。
私は古代史は全くの守備範囲外であるが、
日本ではなく中国の古代史について
一つ気になった点があったので、そこだけ
少し記しておきたい。


昨日の番組で取りあげられた松本清張の話に
よれば、古代中国の王は神官でもあり
彼が天候をコントロールできなかったり
戦争に負けたりすると、その責任を負わされて
殺されたのだという。また、番組によれば
日本の平戸でも、頭蓋骨に何かが刺さった跡の
残る女性の人骨が見つかっていて、
彼女もまた何らかの責任をとらされて
殺された神職だったのではないかという。
そして、「実は卑弥呼も平戸の巫女のように
戦争かなにかの責任を負わされて殺されたのでは
ないか」――という推測を番組は展開していた。

一方、いつのことだったか、これは白川静という
人が唱えた説を紹介した本を読んだ時の
私の記憶である。本の題名は『白川静さんに学ぶ
漢字は怖い』だったであろうか、
たしかその本には、「謹」「嘆」の「つくり」の
部分や「勤」の「へん」の部分は、
古代中国の神官が自ら火あぶりになることで
雨乞いをしている姿を現わしているのだ――
という話が述べられていたかと思う。
そして、「古代中国の王が神官も兼ねている」
という話はこの本でも説明されており、
王より位の低い神官が雨乞いをしても効果がない
場合は、王自らまでもが火あぶりになって
雨乞いをしたのだということである。

私に記憶違いが無いと言える自信はないが、
仮に記憶違いが無いことを前提にして述べると
すると、「古代中国の王が神官も兼ねていて、
彼には寿命を待たずして死なねばならない場合も
あった」という点では番組も本も一致している。
しかしながら、古代中国の王が寿命を全うせずに
死なねばならない理由と、その死に方については
微妙に見解が異なっているといえる。
思うに、戦争に勝とうとする場合、例えば
そのために兵器や軍隊の質・量を向上させるなり
経済力や情報収集能力を高めるといった
科学的な対策をとることもできるであろうが、
天候をコントロールすることについては、
科学的な対策を講じることなど
全く不可能だったのではあるまいか
(例えば「天候をコントロールするのではなく、
天候不良に強い国をつくるのだ」というふうに
発想の転換をしたのであればともかく――)。
古代中国の王の務めも、つくづく大変そうだ。


ちなみに、17世紀に日本の水戸藩を治めた
藩主・徳川光圀は、若いころ、長兄・頼重を
差し置いて藩主の座を継承することに
複雑な思いをいだいていたため、非行に
はしっていたが、司馬遷の『史記』伯夷伝に
感銘を受けるとそれまでの蛮行を改め、
学問を目指すようになったという。
その伯夷伝には、殷代の王の長男・伯夷と
三男・叔斉が次代の王座を譲り合った挙句に
2人とも国外へ出てってしまうという
エピソードがあるのだが、三男坊だった
徳川光圀はこの兄弟を自分と長兄の頼重の姿に
重ね合わせたのである。
この伯夷・叔斉兄弟の話は、朱子学的観点から
すると美談という評価になるのだろうが・・・、
「天候をコントロールできなければ
死が待っている」という、古代中国の王の
責務の厳しさに強いインパクトを感じた私では、
ついつい「彼らは内心『天候をコントロールする』
という、科学的対策をとるのが不可能な責務を
負わされ、その挙句に責務を果たせなくて
殺されるのがイヤだから、お互いに王座を
譲り合ったのではないか」などと勝手に勘ぐって
しまうため、なかなか「美談」だと感じることは
できないのである・・・!


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