古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

第六章 鯨方一条 その一

2011年08月16日 11時28分19秒 | 古文書の初歩

 

 

このブログ開設当初に宣言している通り、当古文書学習は、私が講座で教えて戴いたものを、一人でも多くの方に伝えて、古文書の魅力を広めて行きたいと願って開設したものであり、私の能力で解読しているものではありません。解読は全て講座の講師先生の力に依るものです。再度お断りしておきます。今日から第六章です。

古座浦鯨方一条、第一ページ(上の写真のはじめから)

解読

 古座浦鯨方一条ニ付別紙御書付之趣

 夫々被仰渡拙者当分兼勤被仰付候ニ付

読み方

 古座浦鯨方、一条に付き、別紙御書き付けの趣(おもむき)

 夫れぞれ仰せ渡され、拙者当分兼勤仰せ付けられ候に付き

解説 「古座浦鯨方」・・・古座浦で鯨捕りを職業としている者。ここに言う古座浦とは、現和歌山県東牟婁郡串本町古座地区(旧東牟婁郡古座町)の事で、清流古座川の河口に位置する町です。古座鯨方は、和歌山藩直轄の鯨漁である点、近くの古式捕鯨で著名な太地町の民間鯨漁とは相当異なる面があります。藩直轄につき、鯨漁のみではなく、海難救助とか、異国船防禦等の役目も持っていたと言われています。 「一条」・・・事件などの一部始終。事のあらまし。 「趣」・・・判りにくいですが、一番下の文字は「趣」です。事柄、意味する所、内容。 「被仰渡」・・・仰せ渡され、「被」は受け身をあらわす。上席の人から言い渡された。 「拙者」・・・自分、私。へりくだって自分を言う言葉。 「兼勤」・・・役目を兼務する事。  

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント (7)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 第五章 浦證文・その二十八 | トップ | 第六章 鯨方一条・その二 »
最近の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
通りすがりのものです (ミッキー)
2015-04-15 14:22:13
古座浦の民間捕鯨と太地の藩直轄の捕鯨の違いを教えていただけますか?よろしくお願いいたします。
お待ちください (管理人)
2015-04-22 23:58:31
しばらくお待ち下さい。
Unknown (ミッキー)
2015-05-03 11:29:54
ありがとうございます。よろしくお願いいたします。
古座鯨方と太地鯨方 (管理人)
2015-06-26 19:19:14
たいへんお待たせ致しました。先日一度送稿したのですが、何故か失敗しまして、再度投稿します。遅くなりました。
ミッキーさんの御質問の趣旨が混同されています。「古座浦の民間捕鯨と太地の藩直轄の捕鯨」と書かれていますが、官営が古座で、民営が太地です。
太地の捕鯨は、慶長11年(1606年)和田忠兵衛が始めたとなっています。この後変遷はありますが、太地鯨方は和田家・太地家の経営で変遷は有りますが、官営とはなりません。苗字がついている処からすれば、大庄屋クラスの家柄であったと思われます。
一方、古座浦の捕鯨は、万治二年(1659年)が始まりとされています。和歌山藩が管理する様になったのは何時からか判りませんが、周参見代官所の古座目付が駐在していたのは、捕鯨業の監督の意味も有ったのかも知れません。古座捕鯨の年間漁獲頭数、重量等の記録が残っているのも、官営であればこそだと思います。藩営の目的には、勢子船(せこぶね)のスピードを活用した、難船の救助や、異国船の警備等の重要な役目も任されていました。以上ご満足戴けるかどうか解りませんが、お答まで。
Unknown (ミッキー)
2015-11-06 05:29:46
ご回答ありがとうございます。お礼を申し上げるのが遅くなってしまい申し訳ありません。
古座の捕鯨船は大事な役割をしていたのですね。すぐ近くの太地がそれに加わらなかったのは不思議です。
過去の歴史を知るのに古文書ほど現代で信憑性のあるものはないと思いました。
また1380古座捕鯨の年間漁獲頭数などの記録はどこで調べたら良いか教えていただけますか?よろしくお願いいたします。
Unknown (Unknown)
2015-11-06 05:35:14
申し訳ありません。誤って文章の途中に関係のない数字が入ってしまいました。
Unknown (Unknown)
2015-11-06 05:35:15
申し訳ありません。誤って文章の途中に関係のない数字が入ってしまいました。

コメントを投稿

古文書の初歩」カテゴリの最新記事