団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

沖縄戦の二人の知事

2017年04月04日 | 沖縄

  我那覇さん達が、反日売国左翼・在日などと命を懸けて戦ってくれているにも関わらず、沖縄の知事の翁長には呆れるしかないです。
 
  何時ものねずさんが、沖縄戦での対照的な知事を取り上げてくれています。この話は、ねずさんが何度か取り上げてくれていますが、何度読んでも、自分が助かりたい為に沖縄県民を見殺しにした知事には、呆れるしかないですね。
  その知事が、香川の知事に移動したと言うので、尚更、腹が立ちます。

  何時ものように、全文をリンク元で読んでください。リンク元に、ねずさんが、その最低の知事の画像もアップしてくれています。

  ねずさんと学 ぶシラス国の物語よ り  

  沖 縄戦と荒井退造警察部長   2017年03月27日

  …略

 沖縄戦では、その後第32軍の牛島軍司令官が6月22日に沖縄本島南部の摩文仁で自決、その数日後、荒井はアメーバ赤痢で亡く なられ、島田県知事は、近くの海岸の自然壕でピストルで自決されたといわれています。
ただ記録では、島田知事と共に6月19日に牛島司令を訪ねて最期の挨拶をされたあとの足取りは不明のままで、目撃談としては、現 在島守の塔が建立されている場所で26日に目撃されたという話があります。
おそらく、知事と荒井部長は最期を共にされたのでしょう。

昨年もこのお二人の遺骨を探す方々の活動が県内のニュースになりました。
けれど、もしかすると神々のお計らいで、お二人に匹敵する人物が県内に現れなければ、出て来られないのかもしれません。

沖縄県民の疎開を、自分一人が助かりたいからと故意に送らせ、多くの県民の命を奪うきっかけをつくった泉守紀元沖縄県知事と、県 内政部長は、戦後も生き残りました。
そして、こうした卑劣な卑怯者が、戦後の政治や思想の中心になっていきました。

ひと昔前までは、「反動」という言葉がよく使われたものです。
戦前戦中の価値観を否定する戦後政治において、戦前戦中の思想や価値観を取り戻そうとする動きは「反動」だというのです。
けれど、実はすこし考えたら誰にでもわかるのです。
戦前戦中、卑怯、卑劣で自己中の人の人がいると、そのひとりのために、多くの命が犠牲になったのです。
そうでないまともな責任感の強い人は、ほとんどが戦争で死んでしまいました。
結果、戦後は、戦前に排斥された卑怯、卑劣な人が、天下をとることになりました。
そして彼らは、卑怯、卑劣だった自分自身を正当化するために、彼らを否定する戦前戦中の人を「反動」と呼んだのです。

けれどあれから70年。
いまにしてみれば、戦前戦中を「反動」と呼んでいた人自体が、人の世の常識を否定する大馬鹿者であったことがよくわかります。

沖縄ではいまも、戦時の記念日ともなれば、毎年平和集会が行われます。
そしてなぜかその期間中は、市内のホテルは、そうとう小さな旅館にいたるまで、宿泊施設は満杯になる。
要するにその反戦平和集会に集ってきているのは、沖縄県民などの地元の人々ではない、ということです。

そういう無責任な連中が、平和運動家と称して毎年やってきては、エセ平和運動を展開する。
ことさらに被害を強調する。

しかし、はっきりと申し上げれるのは、それら平和運動家さんたちは、いざとなったとき、沖縄県民を守るために命をかけて戦うとい うことを、絶対に「しない」人たちでだということです。
ひらたくいえば、卑怯者の集まりです。
祖国も歴史も郷里も、誰かが守ってくるようなものではありません。
尖閣も沖縄も、まずは私たち国民が「大切なものを守る」という意識を持たなければ護れないのです。
そして戦後という時代の政治は、まっとうな人たちが死んだり口封じされ、そういう卑劣な卑怯者が生き残って天下をとった時代でも あったのです。

戦後に見事に日本が復興できたのは、陛下と臣民の力です。
それを貶め、歪め続けたのが、この卑劣卑怯な連中です。

おもしろいもので、上にある泉知事と島田知事の写真を見比べると、泉知事は実に押し出しの立派そうな大物然とした方に見えます。
一方で、島田知事は、軽くてなんの貫禄もなさそうにみえます。

けれども、戦闘など、実際に命のやりとりをする場にいたったとき、本当に真剣になって身を捧げて働いてくれるのは、見た目が立派 だったり、強そうだったりする人ではなくて、妻や子を愛し、職務に忠実で誠実で責任感のあるな人たちです。
なぜなら、おそろしい戦場で、最後の最後まで自分に与えられた任務を遂行できるのは、責任感だからです。
そして責任感は、常に誰かに対しての強い愛を持つ、愛しい愛(おも)ひを持つところにしか存在しないからです。
つまり、愛が人としての、いざというときの強さを生むのです。

口先だけの平和運動家には、いまの尖閣や沖縄、そして日本の危機は護れません。
彼らには愛がないからです。

戦うべき時に戦うのは、愛する心を持つ者なのです。

  沖 縄戦の二人の知事   2017年03月25日

  …略

 島田叡の座右の銘です。
「断じて敢行すれば鬼神も之を避く」

いまどきのマスコミ関係者、反戦平和主義を叫ぶ市民団体等は、非戦闘員が日米両軍の地上戦闘に巻き込まれた全責任を、日本軍(第 三十二軍)せいにしようとしています。
けれど、これは間違いです。
約十万人の沖縄県民を死に至らしめた全責任は、疎開を故意に遅らせた泉沖縄県知事にあると私は思います。

けれど、戦後社会では、泉沖縄県知事の問題を出すと都合が悪いのです。
なぜかというと、泉知事の問題を出すと、当然その後任の島田知事の話題が出る。
島田知事は、軍と連携を密にして、沖縄戦の最後の最後まで、県民の保護のために尽力されました。
そして島田知事と親交のあったのは、大田実海軍少将であり、牛島満陸軍中将です。
そしてそうなると、いきおい、彼らがいかに立派に最後まで戦ったのかという話になってしまうのです。

しかし思うのです。
歴史の真実を、政治で誤魔化してはいけない。
歴史は常に真実を語り継がなければならないと。

沖縄戦の物語は、横家伸一著『群青の墓標』が小説で描かれています。
是非、ご一読を。
  

  それにしても、泉と翁長と、沖縄は知事に恵まれないですね。最低の泉ですが、こちらは、自分の命が惜しくてやったことで、沖縄を中国に売る翁長よりはまだ許せるのじゃないかと思ってしまいます。

  どちらにしても、最低の知事二人ですが、翁長を選んだのは沖縄の人達だけに、自業自得でもありますね。

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