日本の危機が迫っている今、民進党は相変わらず安倍さんの揚げ足取りにしか興味がないようです。どうして、ここまで日本の政治は劣化してしまったのかと思っていたら、どうやら、戦前も同じようなものだったようです。
何時ものねずさんが、そんな戦前の様子を尼港事件の背景として書いてくれています。何時ものように、是非全文をリンク元で読んでください。
ねずさんと学ぶシラス国の物語より 2017年03月11日
今日は尼港事件(にこうじけん)があった日
…略
ちなみに、こうしたいまにしてみれば、はっきり言って中途半端としか言いようがないような国家安全保障上の政治決断しかできなかったというのが、大正から昭和初期にかけての日本の政治です。
当時の日本は、政党が民政党と政友会という二大政党に別れ、互いに党利党略のために足の引っ張り合いを行い、また同じ政党内部でも、激しい権力闘争が繰り返されていました。
そしてどちらかが与党第一党となって政権をとるためには、なんとしても選挙に勝って議席を増やさなければなりません。
従って多くの議員の目線は、自らの選挙区にいる選挙民に、どれだけの利益供与ができるかということと、対立候補や対立政党にどれだけのダメージを与えることができるかのみにあって、外地にいて日本国内の選挙に関わりのない人の命など、はっきりいってどうでも良いという情況にありました。
これが議会制民主主義の怖さで、だからこそ、外地に兵を派遣するとなったときには、猛烈な反対運動が起きて、政府は中途半端な対応しかできなくなったわけです。
これは、その後に続く支那事変でもまったく同じ構造です。
このために日本の軍は、常に10倍、20倍の敵との戦いを強いられることになりました。
それでも勝ち続けたのですから、どれだけ日本の軍が優秀だったかということなのですが、問題は、軍隊の作戦行動ということであれば、本来ならシベリアから北満州方面の治安の完全な確保という面では、その作戦計画には国家の安全保障のために完璧をつくさなければならないのに、それができなかった、政治的に許されなかったということです。
よく、支那事変から大東亜戦争にかけてを「軍部の暴走」という人がいますが、いったい軍部って誰のことを言っているのかという話です。
暴走どころか、必要な最低の兵員の確保さえ、させてもらえなかったというのが実情であったのです。…以下略
何と、今とそっくりですね。何と進歩のない国なんでしょう。
さて、週末の【討論】も、戦前のそんな平和ボケ日本が、反日プロパガンダにやられ放題だったことを語ってくれています。
世界に誇れる素晴らしい国に育った日本人の民度の高さが、対外的には大きな災害を齎すということです。
やはり、日本は、内と外での違いを弁え、外に対する対応に心することが絶対に必要です。ところが、GHQなどの企みによって戦前以上に平和ボケになってしまっているのですから何をかいわんやです。
一日も早く、目を覚ましましょう。