団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

2010年10月14日 | 文科省・教育改正

  所詮は勉強不足が原因ですがそれでも日本語は本当に難しいと思います。例えば、まのあたりにする」という言葉もよく使いますが漢字で書くと「目の当たりにする」となって、油断するとすぐに「めのあたり」なんて読んでしまいます。麻生さんが「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだのなんか誰にでも有り勝ちなのじゃないでしょうか。それが証拠に菅さんは「疾病(しっぺい)」を「しつびょう」と読んだそうです。
 ところが、麻生さんは散々叩かれ、菅さんは報道もされません。マスコミの意図がモロに表れていますね。

   ところで、その「目」を「ま」と読む法則があるのだそうです。

   10月8日読売新聞 コラム「なぜなに日本語」より

  「港」は「水(み)な門(と)」!?

  前回、「くだもの」は「木だ物」の意味で、「だ」は今でいう「の」にあたる、と書きました。古代の日本語には「だ」以外にも、「の」と同じ働きをするものがあって、今も私たちが使っている言葉の中にかくれています。たとえば「が」。「我が国」「我が家」は、「我(私)国」「我が家」は、「我(わたし)の家」の意味ですね。
  他には「な」があります。「港」は、川や海の水が出入りする「水(み)な門(と)」=「水の門」に由来します。水の(流れ出る)本は「水な本」です。これは「源(みなもと)」と書くようになりました。目の瞳(ひとみ)の部分を指す「まなこ」(眼)は、「目な子」から来ています。「目」は他の語と合わさる時、「ま」となります。
  「まつげ」は「目つ毛」で、目の(辺りに生えている)毛のこと。この「つ」も「の」の意味です。百人一首の「天(あま)つ風(かぜ)雲のかよひぢ吹きととぢよ をとめの姿(すがた)しばしとどめむ」の歌をご存じですか。「天つ風」は「天の風」、空を吹きわたる風を表す言葉です。(用語委員会・関根健一)

  「目」は他の語と合わさる時、「ま」となるか、こんな法則があるなんて全く知りませんでした。これで、「目のあたり」も間違わずに「まのあたり」と読めるかもしれません。全く「目からウロコ」です。これは、「まからウロコ」じゃない。「目」と「うろこ」が合わさっているのじゃないからですね。
  戦後の日本語教育の弊害で教養のなくなった我々団塊の世代の語学力が落ちているのは確かでしょうね。その子供となればもっと悲惨なのでしょう。こうやって日本の伝統が失われているのはやはり怖いしもったいないですね。
  今回の日本のノーベル賞受賞者のお話などを聞いているとやはり相当勉強しています。そうでなければああいう偉業は成し遂げられないのでしょう。それに比べると、今の政治家を筆頭に戦後の教育を受けた日本人は相当劣るようです。日本の国が駄目になるのも必然でしょう。

日本再生はやはり教育から!