歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

消えた足跡

2017-04-18 02:06:20 | 日記
大分むぎ焼酎 二階堂 「消えた足跡」



近道は遠回り。

急ぐほどに、

足をとられる。

始まりと終わりを

直線で結べない道が、

この世にはあります。

迷った道が、

私の道です。

(大分麦焼酎二階堂CMより)



子どもの頃からTVで流れている二階堂のノスタルジックなCM。

なんとなくずっと気になる存在だったけど、改めてその言葉に立ち止まる。



言葉って凄いな。

「そんなの前から知ってた」って?



自分の中にあるものを言葉にするってなかなかできることじゃない。

詩人然り、哲学者然り、作家然り、コピーライターしかりしかり。

なんというか、発した言葉を形に残して普遍的な存在にしてきた人たち。



形にされた言葉に共感して一丁前にわかったつもりでいるけれど、

共感するのはきっと当たり前なことでその先が難しい。

ある友達が自分は「死ぬまでに人の心に残る言葉を1つでも残せるだろうか」と憂いていた。

どうだろうね。

誰かにとっての詩人にならなれるのかもね。



実家に帰ると大抵父に映画などの映像作品を勧められる。

前回の帰省で一番のヒットだったのが1994年のイタリア映画『イル・ポスティーノ』。

一人の詩人と郵便屋さんの話だ。

控えめな演出で静かに語りかけてくる。

こんないい映画は滅多に出会えるものじゃない。

その中でハッとした言葉がある。



「詩は書いた人間のものではない。必要な人間のためのものだ。」



誰かの残した言葉は、私のものでもあるんだ。

それを許してくれる言葉は今までなかった。

イタリアから遥か遠く離れたこの地で、それを必要としている私がいる。

知っているようで分かっていない言葉の力に、可能性に、魅力にはたと気づく。

何度でも気づく。

何度でも失望し、また気づく。

何度でも何度でも出会う。



言葉が普遍的な存在になるのは、発した人と受け取った人がいたからかな。

もてはやさず静かに受け取ろう。

それができればいいんだけどね。


TSUTAYAの駐輪場
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ハリウッド版『GHOST IN THE SHELL』鑑賞

2017-04-10 04:08:53 | 映画
数ヶ月前に、ハリウッド版『GHOST IN THE SHELL』のトレーラーが解禁され、

その数分に垣間見える実写の質の良さについて興奮気味にレポートを書いた。

端々に映る研究施設や怪しい町並みなど物語を構成するディディールにこだわり、

さらにハリウッド版であるというプライドを持ってヴィジュアルをデザインしていると感じだ。

その最たるものが芸者ロボット。

この何とも言えない怪しさは西洋から見た芸者なのか、

士郎正宗の原作でも押井守の『Ghost In The Shell』でもなく、全く新しい攻殻機動隊の一端を見た気がした。

こんなの見せられたら観に行くしかないと、公開2日目のレイトショーにいざ出陣。





ここからはネタバレになるので、純粋に映画を楽しみたい方は見ないでください。





私は押井守の『Ghost In The Shell 攻殻機動隊』と『イノセンス』がとても好きだ。

崇拝していると言っても過言ではない。

作品の完璧さも不完全さも、未だ理解したとは到底言えないその全体像を感覚的に捉え、

自分が抱く感情を制御することも言葉にすることもできずに、ただ作品の中に沈んで行く。

埋没する。



しかしどれほど好きでも、今回その大元をそこまで重要視するつもりはない。

むしろ、最も興味深かったのは「攻殻機動隊」というコンテンツを実写でいかに表現するかという点だ。

ハリウッドが全力で作った「攻殻機動隊」を観てみたかった。



ストーリー

主人公は難民ボートの事故により脳以外全ての身体を失い、全身義体化されることで命をつなぎ止めたミラ。
ミラの全身義体化は史上初の成功例であり、それを成功させたのが義体技術を開発しているハンカ・ロボティックス社だった。
彼女は人類の未来、進化においての重要な存在となり、公安9課に配属され少佐となった。

ある日、芸者ロボットがハンカ社の幹部をハックし殺すという事件が起きる。
この事件の担当となった公安9課は芸者ロボットを操り事件を起こした黒幕を追うことになった。

少佐は芸者ロボットの記憶装置にダイブし、黒幕の片鱗に接触したが、
彼は「ハンカ社と組むと危険だ」というようなメッセージを残し消えてしまう。
その後それがクゼと呼ばれるテロリストだということが判明する。
クゼの目的とは?
ハンカ社とのつながりとは?
プロジェクト2571とは?

そして事件の進行と同時に描かれる、全身義体であるがゆえの少佐の孤独と葛藤。
断片的な記憶、時たま現れるフラッシュバック、自己を自己たらしめる根拠の曖昧さに思い悩む少佐。
彼女はいったい誰なのか、それが分かる時事件の全容が見えてくる。

続きは割愛します。



感想

見終わった率直な感想は「中途半端」。

ネガティブな感想をこういう場に書くのはあまり気が進まない。

しかし、予告レポートであれだけ煽ってしまったので責任も兼ねて感想を書くことにした。

以前書いた記事「<Ghost in the Shell>ついに4月7日公開」



いくつかの目を見張るような美しい映像表現、原作にない面白い発想など、

作品を部分的に考察するといいところもたくさんある。

挑戦的な作品なわけで、よくぞ作ってくれましたという気持ちも強い。

しかしそれを踏まえても1つの映画として面白いとは言い難い。



その一番の原因は脚本、ストーリーだ。

攻殻機動隊じゃなくてもいいじゃないと言いたくなるような既視感漂う単純なストーリー。

それでいて今まで日本で作られてきた連続性がないはずのいくつもの「攻殻機動隊」が盛り込まれている。

「Ghost In The Shell」「イノセンス」「Stand Alone Complex」「S.A.C. 2nd GIG」、

それぞれが重厚な物語を有しているにもかかわらず、これらをパッチワークのようにつぎはぎしてオリジナルストーリーを作っている。

物語を構成する多くのパーツは、乱暴に組み込まれ無責任に放置されたまま終わる。

原作の中で重要な場面を、その場面を見せたいがために表面的にさらっている。

CMを観て「きっと監督は相当なGhost In The Shellファンだ」と思ったのは思い違いかもしれない。

無理矢理寄せ集めたために矛盾や隙が増え、結果リアリティの全くない映画になった。



我ながら厳しいこの感想を読んで、「そう思うのは攻殻機動隊ファンだからだよ」と思うかもしれない。

しかし、それは大きな間違えだ。

むしろ攻殻機動隊ファンだから曲がりなりにも観ることができたのだと思う。

「この場面がこういう風に使われているのか」、「クゼはこういうビジュアルなんだ」、

というように原作との違いを発見したり、実写での描き方を少なからず楽しむことができるからだ。

攻殻機動隊ファンではなく一人の映画ファンとして観る方が厳しくなってしまうこと必至。



原作ファンと大衆性どちらも大切にしたかったが、それゆえどちらにおいても中途半端になってしまったという印象を受ける。

どちらに寄るにしろ、もう少し割り切って作ってほしかった。

超が付くほどの原作ファンが原作と切り離して観るのには今作は相性が悪い。

観る自分も中途半端な視点で観てるわけで、ある意味一番厳しい観察眼を持ってして観てしまったのかもしれない。



余談だけど、今回吹き替えの声優をアニメのスタッフ陣がそのまま演じるという面白い試みをしたそうで、

これを見た人たちの評価は結構いいらしい。

私は原作と切り離してみたかったので字幕で観たけど、原作を大事にしたかったら吹き替えで観るのもありかもしれない。



なんにせよ元々のファンとしては作ってくれて感謝。

アメコミ的なザ・エンターテイメントが好きな方は面白いかもしれない。

それに美しく逞しいスカーレット・ヨハンソンは見物だ。

そういえば、発表当初懸念されていたビートたけしの荒巻は別物だけど思ったより渋くてよかった。

私の思う現実性を纏っていたのがたけしで、だからこそ少し浮いていたとも言える。



次は神山健治だ!

すでに攻殻機動隊で実績積んでいるから期待を裏切らないはず。

楽しみだ〜。

『攻殻機動隊』新作アニメの制作が決定 監督は神山健治&荒牧伸志
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「落語」と聞いて構えるなかれ

2017-04-06 17:38:26 | 落語
最近、深夜に民放で『昭和元禄落語心中』というアニメが放送されていた。

原作は雲田はるこによる漫画で、これを少しばかり読んでいたので入りやすかったのもあるだろう。

何とけなしに見ていたけれど、これがなかなか面白かった。



話の始まりは、刑務所から出てきた一人の若者が「弟子をとらない」と有名な八雲師匠に弟子入りを懇願する場面から。

なんでも慰問で刑務所に訪れた八雲師匠の落語「死神」に聞き惚れたのだとか。

「与太郎*」と名付けられた明るく大柄で粗暴な若者は、そのまま師匠の家に転がり込む。

頑なに弟子を拒んだ八雲師匠がなぜ与太郎を受け入れたのか、それには師匠の頭にちらつくもう一人の男の顔があった。

『昭和元禄落語心中』は戦前から昭和を生きた二人の落語家の人生と時代とともに変容していく落語の世界を描いた物語。

単純な感情では計れない深い友情と落語への愛を辿る名作だ。

漫画は最後まで読んでないけれど、アニメのクオリティーも高いのでお勧めしたい。

Amazonプライムでも全話見れます。

*与太郎は江戸時代から使われている「馬鹿」「間抜け」「のろま」「役立たず」といった意を含む擬人名で、落語で使われたことから広く浸透した言い回し。


アニメヴァージョン


単細胞というかなんというか、これを見て落語を見よう!と思い立った訳だ。

以前から聞いてみたいという淡い願望はあったけれど、いざ聞いてみようと思うとあまりにも広大で手の付けようがない。

しかし私にはそれをひも解く手がかりがあった。

以前母が「落語、落語」と騒いでいたので、母に聞けば少しくらいはイメージ出来るだろうと思ったのだ。



丁度先日実家に帰る機会があって、さっそく「落語に興味がある」という話をすると、

母だけでなく父や近所の寺の和尚さんまでいろいろと教えてくれた。

こういう大人が近くにいるというのはありがたいことだ。

そうして母が聞かしてくれた桂枝雀(かつらしじゃく)の「親子酒」と、

父と一緒に聞いた立川談春の「紺屋高尾(こうやたかお)」が私の落語生活の始まりと相成った。



桂枝雀の「親子酒」は涙が出るほど笑い、立川談春の「紺屋高尾」は笑いあり涙ありの人情話で、

いずれも落語という一見分厚く屈強に見える扉をパーンと開け放ってくれた。

これほど話が通じることに、江戸時代も今も人は変わらず人なのだと納得させられる。


桂枝雀


立川談春



家で「落語、落語」と母のように騒いでいると、先日夫になったKが「じゃあタイガー&ドラゴン見よう」と言ってきた。

「タイガー&ドラゴン」は宮藤官九郎脚本の2005年のドラマでやくざが落語家になる話を描いている。

一話ごとに有名な落語の演目をテーマとしており、ドラマのストーリーが落語のように進んでいく。

主人公の小虎が現実に起きたことを落語にして高座(寄席の舞台)でお客さんに聞かせ、最後きれいにさげ(落語のおち)る。

これもまたなかなか面白い。

「芝浜」からはじまり「饅頭怖い」「茶の湯」とんで「子は鎹(かすがい)」と締まる。





落語には古典落語と新作落語があり、その名の通り古典落語は昔から伝わる話、新作落語は新しく作った話だ。

最初は噺家にこだわらず、古典を軸に聞きまくろうと思っている。

「死神」「居残り佐平次」「野ざらし」「品川心中」「芝浜」とアニメの知識に加えて、

「紺屋高尾」「文七元結」と両親に勧められた話もいくつか、

さらには「タイガー&ドラゴン」に出てきたもろもろ、これを手札にじわじわ攻めている最中。



今まで気にしたこともなかったけど、TSUTAYAのレンタルCDコーナーに落語のCDがたくさん並んでいて驚いた。

しかも結構借りに出されているもんだから、知らないところで聞いている人はいるんだなと感心した次第。

早速好きな演目かつ聞きやすそうな人を選んで15枚借りてきた。

一話に1時間かかるものがあったりして、CD1枚に物語一つしか入っていないものもある、そういう発見の一つ一つが面白い。

実家から帰ってきて約一週間、作業中はずっと落語を聞いている。

これがおなじ話を何回聞いても飽きないんだから不思議な世界だ。



こんなに素直に落語が入ってきたのは、もともとが江戸時代ファンというのもあるかもしれない。

小説や映画、ドラマに漫画と媒体に拘らずとにかく一定期間江戸時代に触れていないと、禁断症状のようにその片鱗を探してしまう。

厳密には「江戸時代らしきそれら」という曖昧模糊な偶像を追いかけているわけだが、

そういう意味では落語という媒体は他のもに比べ江戸時代に強く結びついているような気もする。

言葉で伝わってきた分説得力があり、落語という綱を引っ張ればいつか江戸時代にたどり着きそうな妄想を起こさせる。



いやぁ面白い。

すぐそばにこんな面白い世界が潜んでいたなんて。

新しいことに出会うと、いつもそのことに驚く。

「落語」と聞いて構えるなかれ、いつでもそれはそこで待っている。
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頭を冷やす

2017-03-16 23:35:40 | 日記
「あれさえ手に入れば平穏な日々が送れるというのに」

という”あれ”があったとして、

いったい私たちはどこまで求めるのだろうね。



もし”あれ”が手に入って一過性の平穏を手に入れたとして、

はたして満足するのかね。



「人生は苦しいものだ」という言葉が蔓延しているけど、

自分にその苦難が降り掛かった時、

その苦しさを認めることができるだろうか。



「人生は苦しいものだ」なんて簡単に言うけど、

その深みに自分が陥るなんて考えもしない。



突如現れた苦難に「自分だけがなぜ」と頭を抱えるけど、

いつかその苦しみを受け入れることができるだろうか。



言葉の先駆者たちが数多の教訓を産み落とし、

それを目の端において足下に続く道をひたすら歩いていく。



「月に叢雲、花に風」っていう好きなことわざがあるけど、

さんまさんの「生きているだけで丸儲け」なんていうのもいいかもしれない。



人と比べなければ案外十分な気もして、

他人の幸福も苦しみも知ることはできないけど、

自分にはそれほどの苦行が強いられていないことに気づく。



未来も過去も幻想のようなもので、

自分には今この瞬間しかないのだと頭を冷やす。

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<Airbnb>新しい宿泊のカタチ

2017-03-14 17:24:00 | 日記
つい先日、とある用事で群馬県に行ってきました。
2泊3日の短い滞在でしたが、なかなか面白い体験ができました。



私はホテルに泊まるのがとにかく嫌いです。
ホテルに泊まっているとせせこましい気持ちになり、旅を楽しんでいてもそれすらしぼんでしまうのです。
要は無機質で清潔で狭いあの部屋が性に合わないという訳です。
旅館は好きですが値段が高いうえにどこにでもあるわけではありません。

といいつつ私は遠出をするとき大抵知り合いの家を訪ねて行くので、人の家に泊めてもらうことが多いです。
しかし、諸事情でそれが難しい場合も多々あります。

そんなときの救世主が「Airbnb(エアビーアンドビー)」です。
今回初めて利用しましたが、とても良かったです。




Airbnb(エアビーアンドビー)について




Airbnb(「エアビーアンドビー」2008年8月創業、本社・カリフォルニア州サンフランシスコ)は、
世界中のユニークな宿泊施設をネットや携帯やタブレットで掲載・発見・予約できる信頼性の高いコミュニティー・マーケットプレイスです。

公式ホームページより)

これだと説明不足なので簡単に補足すると、

Airbnbとは『空いてる部屋や家を貸したい人』と『借りたい人』とのマッチングサイトで、
今人気のシェアリングエコノミーサービスの1つです。
昨今、環境問題や、人々の所得が低下していく中で、
『所有するものを減らし、人々とシェア(共有)する』というシェアリングエコノミーといった考えが広まってます。
現在車や駐車場、服に家具まで、ありとあらゆる無駄なものは買わずに全員でシェアしようという考えが広まってます。
その家(部屋)版がAirbnbになります!
『使ってない家や部屋があるなら、それを必要としてる人に貸そう!』これがAirbnbの生まれた概念です。

エアログ(分かりやすかったブログ)より)



つまり、泊まる側の話をすればホテルや旅館などの宿泊施設ではなく、一般人が貸している部屋に泊まることができるシステムです。
貸し出されている部屋も、お城やログハウス、船室(主に海外)など多種多様。
もちろん普通の部屋もたくさんあるので、旅先で気に入った部屋を借りて悠々自適に滞在ライフを楽しめる画期的な宿泊手段といえましょう。



Airbnbのいいところ(エアログ参照)

①値段が安い
まず驚くのはその宿泊料金。
もちろん泊まる部屋で値段は変わりますが、宿泊施設を利用した際の宿泊料金を考えると圧倒的に安いです。
今回の宿泊料金一泊なんと2900円。


②自炊ができる
今回泊まったところも立派なキッチンが備え付けてあり、塩や砂糖など必要最低限の調味料が揃っていました。
今回はその家にほとんどいなかったので料理はしませんでしたが、みんなで泊まってパーティーなどもできそうです。
旅先じゃなくても、普段から何か有効利用出来そうですね。


③その国の暮らしをそのまま体験できる
Airbnbのコンセプトは「暮らすように旅をする」だそうで、ホテルに泊まるよりその国を知れそうな予感。
海外旅行した際には是非利用したいですね。


④広い部屋に泊まれる/大人数で泊まれる
ホテル嫌いの一番の理由はあの狭さです。
暗くて狭くて本当苦手。
しかし、Airbnbは部屋を選べるので広い部屋でも格安で泊まれます。

また大人数で泊まろうとした場合、ホテルだと何部屋もとらなければいけませんが、
Airbnbの場合いっそのこと一軒家を借りちゃえばいいんです。
今回6人での宿泊で一軒家を借りてみましたが、かなり快適でした。
部屋は6部屋くらいあって、フローリングのリビングと畳の居間まであって6人でも有り余る広さでした。


と、いくつかいいところを挙げてみましたが、私が経験不足なだけで探せばもっとありそう。



実際に利用してみて

今回は群馬県にある一軒家を6人で借りました。
宿泊料金はひとり2900円です。

夜9時頃到着!


玄関もいい感じで期待が高まります。


手作り感がいいですね。


リビングルーム!
冷暖房完備でさらにこたつやヒーターまであり、至れり尽くせりでした。


ちょっとした飾り付けもありました。
つくりものだったけど、自分で作ったのかな?


ルールが書かれた紙。
日本語と英語で説明されているので、海外の人も気軽に泊まれますね。



お風呂や奇麗な洗面台、洗濯機などもありました。
さらに、トイレが一階と二階に1つずつ付いています。

もちろんWi-Fiも使えるので、ネットも快適に利用出来ました。



夜はみんなでこたつに入り、深夜までウノ大会で大いに盛り上がりました。
本当にいい時間を過ごせました。

よくAirbnbを利用するK氏によれば、今まで泊まった部屋で1番奇麗だったそうで、
まぁ民泊なので多少の当たり外れはあるのでしょう。
1つ注意点があるとすれば、潔癖性の人は苦手かもしれません。
既存の宿泊施設のように専門の人ではなく、一般人が管理しているわけですから。



まとめ

遠出をする際安い宿を探すくらいなら、Airbnbを利用することを強くお勧めします。
もちろん古い旅館など他では得難い魅力ある宿は例外ですが。

まさに安くて広くて楽しめる新しい宿泊のカタチ!
所有じゃなくシェアの時代になってきてるのかもしれませんね。
私は借りる側につきますが、空いた家、部屋があるという人も貸す側で参加してみては?

私も今回初めて利用したので、もっといろいろ試してみたいです。
ちなみに登録にはパスポートが必要ですので、予め用意しといてください。
このためにパスポートをとってもすぐに元とれそうですね。



では是非試してみてください。
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侵略

2017-03-01 20:10:09 | 日記
二度寝の折、とてつもなく怖い夢を見た。

夢だからオチも何もないけれど、あまりに鮮明に覚えているのでここに残しておく。



侵略

私は実家に帰省していたようで、その日は寺の庭でゴロゴロしていた。

周りには幼なじみやら、知らない家の子どもらがいてかなり賑やかな感じだった。

建物の中では親たちや大勢のお客さんがわやわやしていて活気がある懐かしい風景だ。

ゆったりとした時間の中で異常なまでに皆穏やかであった。



ぽかぽか陽気の昼下がり皆が昼寝や雑談に興じている頃、

向かいの山の峰に沿って空が少しずつ赤く染まりはじめた。

その赤色が大分広がり誰かがその異変に気づくと、大声で家の中に非難するように呼びかけた。

誰もがその異様な空を見て、何か危機的状況が迫っていることを感じてとった。

外にいた者は大急ぎで建物の中に入り、大勢の人が寺の庫裏で身を潜めた。

誰がいて誰がいないのかも把握出来ないほど皆混乱していた。



しばらく大人たちは身動きもとらず状況を見守っていた。

すると向かいの赤い峰はそのままに空全体がどんどん暗くなっていった。

こんなときでも小さな子どもたちは楽しそうで、窓の外を眺めてはきゃっきゃしていた。



しかし空から無数の光線が地上に降りそそいだときはさすがに皆絶句した。

この事態が「宇宙からの侵略」であるということが判明したのだ。

その後も絶え間なく光線や炎に包まれた隕石が入り乱れるように地上を襲い、

皆もうダメだと子どもを抱き寄せ近くの者同士で身を寄せ合い祈るように目をつむった。



現実的な時間の経過はわからないけど、

しばらくすると(1時間かもしれないし、一日かもしれない)外で響いていた轟音が鳴り止んだ。

するとそこにいた子どもが「ひこうき」「ひこうき」と窓の外を指差した。

それに釣られて窓際に行き外を見てみると、

山の木が焼き尽され、その向こうの空が宇宙空間のように暗くずっしりと佇んでいた。

半壊した飛行機の群れが宙に放り出されて浮いており、飛散した地上の塵が舞っていた。

理解が追いつかなかった。



それでもそれまでなぜか寺の庫裏に被害はなく、

私の中にもしかしたら助かるのではという淡い期待が芽生えていた。



しかし危機とは唐突に訪れるもののようで、

金色に燃え上がった隕石が庫裏に向かって飛んできたときは力のある限り走るしかなかった。

近くにいた幼なじみのFちゃん(なぜか子どもの姿)の手を引き、

もう一人小さな子どもを抱えとにかく死にものぐるいで走った。

走っているときは「生きたい」とか「死にたくない」とか考える余地もなく頭の中は真っ白だった。

どちらかというとただただ「怖い・恐しい」というお腹にくる感情に支配されていたのだと思う。



それから寺の離れに着いた。

実際の庫裏からの距離は数十メートルだけど、夢の中では1キロくらいは走ったと思う。

まだそこに火は飛んでなかった。

辺りも静かで先ほどとは別世界だった。

そこにどこの子かもわからない一人の少年がいたけど、

その子がなんだったのかは最後までわからなかった。



息も絶え絶えにぽつぽつと難から逃れた人たちが離れに入ってきた。

つかの間の休息という感じだ。



もしこれが宇宙レベルの「災害」であったなら、助かる余地もあったはずだ。

でもこれは「侵略」、きっと全てが破壊し尽くされるまで終わらない。



真っ赤な向いの山の峰を緑色の輪郭が覆いやがて下の方に広がり近づいてくると、

身の毛がよだつ程の恐怖心に襲われた。

近づいてくる緑のそれは宇宙人の軍隊だった。

まさに「数十万の大群」という表現にふさわしい迫力だった。

無数の旗をはためかせ、屈強な鎧を身にまとい、隊列を崩さず山を下りてくる緑の軍隊。

「宇宙人」と言うにはあまりにも人間に寄り添った容姿で変な感じだった。

どちらかというと『ロード・オブ・ザ・リング』に出てくるオークのような見た目だ。



彼らは生き残っていたわずかな者たちすら見逃すつもりはないらしく、私たちの方に進軍してきた。

離れにいた人たちは逃げ惑った。

私もFちゃんともう一人の子どもの手を引いて、死にものぐるいで反対側の山へ走った。

後ろでは何かが爆発したり、他の人が襲われたりしていたのだと思うけど、

振り返る余裕などなく実際に何が起きているのかは分からなかった。

とにかく無我夢中で走った。

気づいた時にはFちゃんも、もう一人の子もいなかった。



私は山の麓にたどり着き、近くあった大きな木造の納屋(実際はない)に逃げ込み、

必死の思いで天井裏に隠れた。

人が横になって丁度人一人入れる程度の狭いスペースだ。

動機が激しく呼吸も乱れていたが、一生懸命息を潜めた。

なぜか外が見えていたのだけど、今思えば夢独特の俯瞰した視点だったのかな。



宇宙人の軍隊は目の先まで迫ってきていた。

納屋の前の広場で隊列を組み直し、陣を敷いているようだった。

しばらくして軍の真ん中に道が開き騎馬の小隊が入ってきた。

他の者たちに比べ派手な鎧を装着している。

どうやらお偉方のようだ。

そしてその中に白衣を着た一人の日本人男性がいた。

眼鏡をかけ耳にかかるくらいの長さの黒髪で歳は多分40前後。

もう一人秘書みたいな髪の長い女の人もいたけどそれはよく覚えていない。



群衆が生み出す地鳴りのようなざわめきの中から、博士らしき日本人と宇宙人の会話が聞こえた。

「どうやら電気で溶けると融合するらしいです。」


ロード・オブ・ザ・リング



ここで目が覚めた。

布団の中で15分くらいか、鼓動が激しく脈打ったままだった。

意味の分からない言葉が頭の中でやまびこみたいに呼応していた。

「デンキ…トケル…ウチュウジン」



こんな夢を見たのは、トイレに長い間星新一の『ようこそ地球さん』が置いてあるせいかもしれない。

あるいは漫画『ガンツ』や『キングダム』の影響か。

はたまた最近NASAが発表した恒星「トラピスト1」の話によるかもしれない。

なんにしろ宇宙人だが、想像しうる以上のヴィジュアルは夢では見れないらしい。



夢でも現実でもここまで恐怖したのは何年ぶりだろう。

とにかく恐い夢はもうたくさん。

よくわからんけど、無性に『ロード・オブ・ザ・リング』を観たくなった。
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<T2 Trainspotting>4月8日公開!

2017-02-21 20:20:57 | 映画
T2 Trainspotting Official Trailer – At Cinemas January 27






『T2 Trainspotting』
監督:ダニー・ボイル
脚本:ジョン・ホッジ
原作:アーヴィン・ウェルシュ
音楽:リック・スミス
主演:ユアン・マクレガー
国:イギリス
公開年:2017



言わずと知れたダニー・ボイルの名作『トレインスポッティング(1996)』ですが、ついに続編が4月に公開されます。
初めその話を聞いたときは、続編なんていらないでしょうという気分でした。
なんたってあの映画はあれで完成しているわけで、変に付け足して汚してほしくないのです。

しかし、製作陣、俳優陣がそのまま引き継がれ、あの物語の20年後をそのまま見せてくれるというのだから、つまらない訳がない。
前作と比べずにただ彼らのその後を楽しみたいというファン冥利に尽きますね。

なんやかんや言いつつも、このトレーラーを見たら理屈抜きにわくわくしてしまいます。
レントン(ユアン・マクレガー)がバーの扉を開けると、そこにはビリアードをしているシック・ボーイ(ジョニー・リー・ミラー)が!
『トレインスポッティング』のラストを思うとこの最初のシーン(多分)は感慨深いものがあります。

続編についていろいろ書いてあるホームページがあったので載せておきます。
「映画『T2 トレインスポッティング』について現在までに明らかになっていること」
(観るまであまり知りたくないので全部は読んでいませんが)

続編を見る前に前作を少しおさらいしようと思います。
以下ネタバレあります。



トレインスポッティングについて
大きく「スタイリッシュな映画」と評される分野において、誰もが賞賛するのが『トレインスポッティング』ではないでしょうか。
脚本、音楽、演出、映像、テンポ、どれをとってもかっこいい。
物語の舞台はスコットランド、ある若者たちの退廃的な日常を描いています。
イギリス人監督が描くドラッグ、セックス、暴力の世界は、ハリウッドで量産されるそれとは一味も二味も違います。(もちろんアメリカ映画にはアメリカ映画の良さがあるけど)

不衛生で不健康で不健全な現実では目も当てられないような若者の日常が登場人物の主観で描かれているおかげで、時にドラマチックに、時にアイロニックに、時に叙情的に観ることができます。



キャラクター


個性豊かな仲間(?)たちも魅力的です。
写真右から重度のドラッグ中毒者で主役のレントン、
間抜けでダサいがどこか憎めないドラッグ中毒者スパッド(ユエン・ブレムナー)、
007オタクでぽん引きのドラッグ中毒者シック・ボーイ、
クラブで出会った黒髪美女のダイアン(ケリー・マクドナルド)
喧嘩中毒でことあるごとに暴力を振るうベグビー(ロバート・カーライル)、
写真にはいないけどイギー・ポップが好きでセックスしか能のないトミー(ケヴィン・マクキッド)。

薬から逃れどうにかしてまともな生活を送ろうとすると突如現れるこのやばい仲間たち。



音楽


物語の冒頭部、この写真を見るだけでイギー・ポップの「Lust For Life」が聞こえてきそうです。

トレインスポッティングで特質すべきはなんといっても音楽です。
物語は90年代後半に突入しようかという頃、主人公たちは急速に流れて行く時代の変化にさらされます。

高校生であるダイアンとレントンとのジェネレーションギャップを浮き彫りにする会話があります。
「老けちゃうわよ。
 世の中も音楽もドラッグも変化しているのにジギー・ポップに憧れて家にこもるなんて。」
「イギーだ。」
「どうせ死んだ人よ。」
「生きてる。去年もツアーをやってた。」

そんな置いてけぼりの主人公たちを励ますかのように、イギー・ポップ、ルー・リードの名曲が流れる一方で、ブラーやニューオーダーやアンダーワールドのような当時最先端のエレクトリック音楽も多く起用されています。
そこにすら物語性を感じるのは観る者のエゴかもしれませんが。

トレインスポッティングのサントラはおすすめです。
この映画を見なければ出会わなかった曲も多かったでしょう。
それくらい見た当時の私には影響力のある映画でした。

続編ではどんな音楽が使われるのか、非常に楽しみです。
ちなみにトレーラーに使われている2曲目はWolf Aliceの『Silk』です。


アメリカでは既に公開されており、ちらほら評判が耳に入ってきていますがどうやら面白いらしいとのこと。
トレーターを観る限り、前作を観てない人、忘れた人はまず『トレインスポッティング』を観てから、映画館に行った方が良さそうです。
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風が連れてきた大きな生き物

2017-02-17 14:47:48 | 日記
春一番が吹いた。

立て付けの悪い家の窓が、がたがたと音を立てている。

外からはびゅうびゅうと風の音も聞こえてくる。

強風は、得体の知れない何かをこの地へ連れてきた。

大きな龍か、大きな獣か、それはきっと季節を運ぶ役目をする。



見たことがないものを信じるかという質問がある。



例えば、中学1年生の頃友達に幽霊の話をしたことがあった。

彼女は「幽霊は人間が考えだしたものだからいない」と断言した。

当時はなんて頭がいい子なんだろうと感心したものだ。



高校生の頃数学の先生に幽霊の有無を問うたことがあった。

先生は「科学で証明出来ないものは信じない」と断言した。

そのときは、なんて現実的な考え方だろうと思った。



頭の良さそうな人たちの言葉はそれだけで説得力がある。

そして現実的なものの見方が格好いいと思った私は、

「見たことがないものは信じない」と豪語するようになった。



しかし私は「信じる」という言葉の意味を見誤っていたようだ。

「信じる」という言葉にはそもそも断言が通用しない。

「信じる」という方面を見渡すと視界の中には同時に「信じない」も存在し、

「信じない」という方面も同様に「信じる」がすぐ近くにある。

どちらが大きいのかという程度の尺でしか計れない。

あるいは自分の願望が反映されているのかもしれない。



例えば一組の夫婦があったとして、

夫に対して「あなたを信じる」と言う妻がいたとする。

これは信じていないからこそ念を押す場合に持ちいられる常套手段だ。

あるいは信じたいという願望か。



つい百数十年前までは当たり前のように見えない存在と共に生きていたというのに、

すこし科学技術が発達したからといって人間様々になるのもなんだかな。



妖怪博士の荒俣宏さんは人魚の有無について、

「人間が信じた時点で人魚は存在する」と言っていた。

偉そうだが、それを聞いてなんとなくこの人は信用出来る人だと思った。



ポピュラーだからか幽霊の話が多くなってしまったけど、

妖怪とか、精霊とか、おとぎ話に出てくる不思議な生き物とか、

漫画『蟲師』に出てくる蟲とか、小説『鹿男あおによし』に出てくる大ナマズとか、

迷信めいた曖昧な存在がどこかしらに潜んでいるというのは悪くない。

どこかに人間の手が及ばない尊い領域があることを信じたい。





余談だけど、同居人Kは幽霊が大嫌いだ。

トラウマでもあるのか、必要以上に怖がる節がある。

Kが寝ている時に起こさないよう暗い部屋でごそごそ動いたりすると、

寝ぼけたKがそれに気づき「うわぁーーー!」と叫びだす。

これがしつこくて敵わない。

「私ですよ。たんぽぽですよ。」と言っても声は届かず、

しばらくわーわーと勝手に恐れおののいてるもんだから次第に腹が立ってくる始末。

友達に話すと大げさなという感じだったが彼女が泊まりにきたときも発動し、

実際の姿を目の当たりにしてその子もかなり驚いていた。

いったい何がそんなに怖いんだか。

それ以後は笑いのネタになっている。
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至福のとき

2017-02-14 20:44:47 | 日記
福に至ると書いて「至福」という言葉は、「この上ない幸せ」のこという。

「幸せ」という言葉を好きになれなかった思春期からすれば、

今の私は「幸せ」を濫用しているかもしれない。

かつて糧だったはずのこだわりは枷となり、苦しいのは嫌だからとどんどん捨てる。

その結果、「幸せ」のハードルが少しずつ下がっているのかもしれない。



なにをもって幸せだと感じるかは人によって全然違うだろう。

私の場合、睡眠環境が恵まれている時に極上の満腹感を味わうことができる。

小さい頃からよく寝る子どもだったので、親からは「眠り姫」などと呼ばれた。

眠たいときに干したばかりのふかふかの布団に潜り込み、

朝は二度寝なんかして起きたいと思ったときに起きることを許される、これぞ至福のとき。

世のお父さんたちの日曜日のような。

至福でありながら凡庸。

凡庸であるが故に至福。



反対に睡眠不足は大敵。

睡眠不足で迎えた日の午後なんかはもう最悪だ。

限界までくると体が勝手に寝る態勢に入り、じわじわあたたかくなってくる。

それに抗うのは至難の業だ。

眠る方に向かう矢印を正面から押し戻す、

この時に生じる摩擦を感覚で例えると体の中を這いずり回るムカデに似ている。

似ていると言ってもそんな経験したことないけど。



ここまで読んでだから何だ?と思うかもしれない。

わざわざ文章に書くことなのか?と疑問に思うかもしれない。

いや、私がそう思っているわけだが、まぁいい。

睡眠不足は良くないけれど、寝過ぎも良くないらしい。

気をつけよう。


今年も梅の花が咲きました。
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<Ghost in the Shell>ついに4月7日公開

2017-02-06 20:27:26 | 映画
Ghost in the Shell Official Trailer 1 (2017) - Scarlett Johansson Movie


『Ghost in the Shell』
監督: ルパート・サンダース
脚本:ジョナサン・ハーマン、ジェイミー・モス
原作:士郎正宗
音楽:クリント・マンセル
主演:スカーレット・ヨハンソン
国:アメリカ
公開年:2017
公式ホームページ:http://ghostshell.jp/



1番好きなアニメが1995年の押井守監督作品『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』。
関係ないけど、あと大友克洋監督の『アキラ』。



攻殻機動隊というコンテンツはとても面白い。
士郎正宗が生み出した攻殻機動隊という器の中で、様々な映像作家が独自の世界を表現しています。
最初にそれを始めたのが『パトレバー』の押井守監督です。
そしてできたのが『GHOST IN THE SHELL』。
原作の1巻をアニメ化した訳ですが、キャラクターの性格等原作とは大分違い押井ワールドが炸裂しています。

私の中で『GHOST IN THE SHELL』は他の攻殻機動隊アニメの中でも別格です。
終始漂う張りつめた空気と、答えのない己への自問自答。
『機動警察パトレイバー2』にもありますが、押井作品の語りかけるような長ゼリフのやり取りがたまらなく好きです。





そして新たに提示されたのがまさかのハリウッドでの実写化。
攻殻機動隊という器の中で今度はハリウッドが本気で暴れると言う訳ですね。



発表された当時、日本のファンからは批判的な意見が大半でした。
そりゃ好きなものが実写化されるなんて嫌がる人の方が多いのはしょうがないことです。
大抵は主演の草薙素子をはじめキャストが日本人でないことに対してでした。
さらに唯一の日本人ビートたけしが超重要人物である荒巻を演じるという謎のキャスティング。

でも素子にスカーレット・ヨハンソンを持ってきた時点で本気だなと。
むしろ日本人の女優で素子をできる人がいる?ビジュアル的には菊池凛子とか?



なんにしろこのトレーラーを見たら黙るしかありません。
原作の世界観を非常に大事にしているのが伝わります。
それでいて、クオリティーには文句のつけようがなく、多分今まで作られたどの話とも違う。
ちらほら見たことのある場面も流れるし、ストーリーの大枠には『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』がからんできそうですが、新しい感性が注入されて今まで見たことのない攻殻機動隊が見れるだろうことは確実です。
↓見たことある場面例

↓私が大好きな『GHOST IN THE SHELL』の冒頭の場面がそのまま再現されていて感激




素子が飛び降りるホテルに「高級ホテル」っていう看板がついていたのは笑えたけど、
「あ〜日本語だ」っていう変な感慨があります。
荒巻にたけしはまだ想像出来ないけれど、日本人がそこにいてやっぱり嬉しい。
私の中で1番の懸念だったのが「たけしの英語は聞きたくない」ということでしたが、
どうやら日本語で喋るそうで本当よかったです。



たけしは本作について振り返り、「いま考えると、昔はアニメというものをバカにしていました。AIの存在感が突出していく割に刀で切ったりとか不思議なことも多かったんですが、この作品はようやく今の時代らしく、違和感なくはまっていると思います。そういった作品に、自分が出られて嬉しいです。容赦なくピストルを打つけど、でも身内には親族のように接する、冷静な判断と冷徹な心を両方持っている男の役でした。英語は嫌だと言ったら日本語で良いとなり、セリフ覚えが悪いとか字が読めないとかいろいろと難癖をつけていて(笑)、しまいには、スカーレット・ヨハンソンが俺のカンペを持っていた(笑)。あれを写真に撮りたかった!」と驚きのエピソードを披露!
公式ホームページより

11月にYouTubeで解禁された映像では押井さんもコメントしているので是非。
[Ghost in the Shell | Featurette: "Mamoru Oshii" | Paramount Pictures International]


とにかく楽しみだ。

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ロジャーとラファとルーティーン

2017-01-31 21:00:00 | 日記
スポーツ観戦において、個人競技で最も熱心に観るのがテニスだ。

何時間もの間たった二人の選手が注目され続ける競技というのはあまりない。

技術力ももちろんだが、終盤になるにつれて精神力の戦いになっていくような泥臭さ、

これで決まりだと思ったところからはじまる大逆転、

見終わるころには長い時間を共有した選手たちへの感情移入がより一層強くなっている。



今年の全豪オープン決勝は見物だった。

いずれも現役にしてレジェンドになりつつあるフェデラーとナダル。

面白くない訳がない。

こんな後世に語り継がれそうなマッチを前にしても、的外れな会話が飛び交う当ハウス。



「フェデラーの顔色が悪すぎる。真っ白だよ。」

「フェデラーは髭が濃いから、剃ると青白くなるんだよ。よく見たらおでこは血色いいでしょ。」

「お〜そういわれればそんな気がしてきた。」

「ナダルは応援したくなる人で、フェデラーは負けてほしくない人。」

「フェデラーのユニフォームカッコいいね。センスが抜群。」

「フェデラーがセンス良く見えるのは、スタイルがいいからだ。」

「ナダルの顔ウサギに似てる。」

「フェデラーの目がくぼみ過ぎて、影で目が見えない。」

「ナダルの奥さんすごく奇麗。」

「フェデラーの奥さんの隣に座っているスキンヘッドの人、頭の形が奇麗。」



とにかく言いたい放題。

そんな中、その日抜群のくだらなさを発揮したのがKの言葉。

「ナダルは食い込まないパンツをはいた方がいいね。」



ラグビーの五郎丸選手のキック前のポージングが話題になり、

ルーティーンという言葉が注目されているが、

ナダルも厳格にルーティーンを守る選手として有名だ。



ナダルのルーティーンはサーブ前に行われる。

私の確認した所によると、

左手でラケットを持ちボールを弾ませている数秒間、

まず右手でパンツの食い込みをなおすところからはじまる(そう見えるが厳密には分からない)。

Kはこれのことを言っている。

それから左肩ちょん右肩ちょんとユニフォームをひっぱり、

鼻を上からなでて左耳にそってなぞり、鼻をなでて右も同じようにやってサーブに入る。

サーブの時顔の左側を歪ませるのも一連の流れに組み込まれているのだろう。

初めて見たときは、ナダルは敬虔なクリスチャンで、

毎回「アーメン」をジェスチャーで唱えているのだと思っていた。

いずれにしろ、厳密に何度も同じ動きを繰り返す姿は神経質に見える。

それが表彰式の笑顔を見て、イメージとは本当にいい加減なものだなと思った。

試合が終わると人のいいラファになるのだから。



今回優勝したのはフェデラー。

5セットからの流れの持っていき方は見事だった。

これまた彫りの深い彫刻のような顔が笑った瞬間、こっちの心までほぐれていく。

歴代1位の優勝経験を誇るフェデラーだけど、

優勝が決まったとき泣いていたのを見て、珍しくKがうるうるしていた。

怪我で半年も離脱して、今大会前まで世界ランク17位まで落ちていたわけだから、

今回の優勝は特別なものだったんだろうね。



3時間半を共有した二人に親しみを込めて、今日はロジャーとラファと呼ばせていただきます。

長かったけど、ドラマチックでとても面白い試合でした。

スポーツ選手にはいつも元気をもらいます。

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右向け左

2017-01-23 13:23:08 | 日記
スッスッスッ、シャッシャッシャッ、スースッスッス。

電車の中に充満する不穏な空気。

皆首を垂れスマートフォンに従事している。

仕事をしているのかもしれないし、

ゲームをしているのかもしれないし、

SNSをしているのかもしれない。

なんであれ皆が一様に下を向いている姿は異様だ。



皆空いた時間を嫌がる。

何もすることがないと人はそわそわして落ち着かなくなる。

そんな時スマートフォンは救世主だ。

あんな小さな姿をしているのに、

あれ1つあればいろんなことができる。



誰が見ている訳でもないのに、

自分までもがその風景に同化するのは許せない。

誰かがこの風景に歯止めをかけなければ、

というまこと勝手な使命感に燃えているわけだ。

そういうこともあって移動時間が長いと分かっているときは、

必ず軽目の本を持っていくようにしている。



私は空間の在り方というのを気にしてしまう癖がある。

特に皆が同じことをしている空間が嫌いだ。

電車内もそうだし、知人とお茶を飲んでいるときなど、

片方がスマートフォンを触りだしたら意地でも自分は触らない。

端から見たら、本当にどうでも良さそうなことだ。

全体的なバランスを私一人の行動でどうにかできる訳でもなしに。



2016年爆発的に流行し社会現象となったポケモンGOは、

ゲーム自体は斬新で魅力的だろうし楽しむ分にはなんら問題ない。

しかし夜な夜な公園に集まる大勢の人々の姿を目の当たりにするとゾッとする。



限定された空間内で、ある一定の時間を過ごさなければならない移動時間、

暇を嫌う人たちにとってこれほど苦痛な時間があろうか。

今のところはスマートフォンを触っている人が多いが、

近い将来、紙媒体への関心が高まり皆本や新聞へ回帰したらどうだろう。

電車の中で皆熱心に本を読んでいたらそれはそれで異様だな。

その時私はどうすればいいんだろう。



メールも電話もゲームも本もパソコンもスマートフォン一つに集約されたわけで、

皆下を向いて同じ姿勢を保っていても違うことをしていたりする。

何をするかよりも、何かをするための媒体が少なくなりすぎたのだ。

ただただ風景が寂しい。

しかし、それも今にはじまったことではないのだろう。

その時代、時代に流行はあるし違う形でそういう現象があったに違いない。



私は今よりも昔に憧れを抱くけれど、

昔を懐かしんであの頃はいい時代だったと言うのは幻想だと思っている。

その連鎖は永遠に続くものだからね。

今は未来人にとっての古き良き時代になるのだ。

時間が過ぎるだけで時代に価値がついていく。

それもノスタルジアに取り憑かれた妄想が育むあたたかくも薄っぺらい価値。



右向け左、回れ左!

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思考の大河

2017-01-21 15:33:10 | 日記
「思ったこと全部口に出さなくていいから。」とよく言われる。

「言いたいことの10分の1も言っていない」と答える。

忍ぶ美学というものが欠けているのか、単に自己主張が強いのか。

反対に「君の意見を聞かせてよ」なんて言われたら、

案外言いたいことがなかったりなんかして。

みんな何を思って言葉を口にするのだろうか。



頭の中を巡る数多の思考、

そのほとんどは表に出ることなく消えていく。

まるで大河の濁流のようだ。

どこから生まれてどこに消えていくのか。

あるいは存在したと感じる微かな気配自体錯覚だったのか。



言葉とか思考とか音とか想念とか、なんだかこんがらがりそうなので、

最初にそれらをどうやって使うか決めておこう。

その際に本来の意味と食い違う部分があっても決めた使い方を優先する。

ここで軸になるのは頭の中にあるものなのか、

話すなり書くなりして表に出したものなのかということ。

思考や想念は頭の中にあるもの。とても抽象的で存在自体が曖昧。

言葉や文章が表に出したもの。他者(自分自身も含む)への発信でありより物理的。



人は何を思って頭の中にある思考を言葉にするのかふと不思議になることがある。

どんなことなら言葉にし、どんなことなら口にしないのか。

多くの場合無意識的にこの選択が行われていて、そこに人間らしさを感じる。

その点私は言葉を口にする際意識的に選択しているという強い自覚があるが、

実際にはちゃんとできないことに気づき自分に対する妄想が打ち砕かれた時、

とても晴れ晴れした気持ちになる。私も捨てたもんじゃないななんてね。



もしかしたら、思考を取捨選択する濾過器のような物が頭の中にあり、

それによって濾過された思考が言葉になるのかもしれない。

濾過器といってもかなりいい加減な装置である可能性は高い。





人に伝えると言うのは本当に難しいことだとつくづく思う。

そもそも頭の中に流れる思考がまとまっていない。

例えば感情を表す言葉はたくさんあるが、

それ以外にもっと複雑な感情がお腹の当たりでごろごろしていたりする。

それでも共有出来るものが感情をあらわす代表的な言葉しかないから、それを使う。

あまり正確に伝えたら、それはそれで苦しくなりそうだけど。

正確に伝えようと考えた人たちが、いろいろな表現方法をもって小説とか書くのかな。

内に秘めるのがいいことか悪いことかは置いておいて、

周りを見ていると男性は内に秘める力を持っており、女性はその力が弱いような気がする。



いつ何時も人の頭を支配する思考、

膨大な想念は誰に気づかれるまでもなく生まれては消え生まれては消えていく。

その全てを拾い上げることなど到底できない。

去っていく思考にもう少し待ってくれと手を伸ばしたところで振り向いてもくれない。



さてはて、うまく発信された思考は置いておいて、

発信されなかった思考たちはいったい何者なのか。

思考の大河は自分だけのものなのか、それともこの宇宙と何処かで繋がっているのか。

思考の流れがあまりにも膨大で、自分だけのものとは思い難い。

例えば人々の思考を司る亜空間が実際にあり、

そこには思考の大河が脈々と流れているというのはどうだろう。

私は自分の脳を通して思考の大河の一部分に触れているにすぎず、

そこから救い上げたいくつかを自分のものにしていくのだ。

そう思えば自分自身の考えにそこまで囚われることもなくなるかもしれない。

そして誰に気づかれることもなく消え去っていく思考の孤独な旅も、

そんなに寂しいものではなくなるだろう。


思考の大河のイメージ図。天の川みたいな感じ。



坂口安吾の『文字と速力と文学』という短い随筆がある。

この文章が本当に好きでもう何回も読んでいる。

その一部をここに紹介したい。

何が面白いかって坂口安吾の選んだ言葉と、想念への執着、書く速力に着目している点、

そしてランニング姿の彼が情けない顔で机に向かっている姿が想像出来るから。

思考は瑞々しいままでで取り出さなければすぐに生気を失う、

まるで生ものを扱うように言葉を大切にしているのが伝わってくる。




『文字と速力と文学』(坂口安吾)より

私の想念は電光の如く流れ走つてゐるのに、私の書く文字はたど/\しく遅い。
私が一字づゝ文字に突当つてゐるうちに、想念は停滞し、戸惑ひし、とみに生気を失つて、ある時は消え去うせたりする。
また、文字のために限定されて、その逞しい流動力を喪失したり、全然別な方向へ動いたりする。
かうして、私は想念の中で多彩な言葉や文章をもつてゐたにも拘らず、紙上ではその十分の一の幅しかない言葉や文章や、
もどかしいほど意味のかけ離れた文章を持つことになる。



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『STAR WARS ローグ・ワン』は観た方がいい

2017-01-10 13:07:29 | 映画
昨年2015年の暮れに待望の『STAR WARSエピソード7』が公開された。

アナキン・スカイウォーカーが暗黒面に堕ちていく姿を描いた『エピソード3』から10年、

ルーカスフィルムがウォルトディズニーに買収されたり、

いろいろありながらもファンはその日を待ちに待っていた。

正直言うと私は期待すらしていなかったのだが、エピソード7の話を聞いたときは飛び上がった。

なんでこんなに好きなのか正直分からない。

両親が好きで子どもの頃から見ていたからかもしれない。



蓋を開ければ、主役のレイを演じた女の子がとても魅力的で、

ハン・ソロとチューバッカ、レイア姫が出てくるだけでも十分だった。

ディズニーの商業主義的な側面ももちろんあったかもしれないけど、

とても大事に作られたであろうことが伝わってきた。

世間の評価は結構厳しい部分もあったみたいだけどね。



それからたったの1年で『ローグ・ワン』が公開された。

やはりメインストリームでないからか、メディアも『エピソード7』ほど盛り上がっていないように思えた。

『ローグ・ワン』という言葉に対しても馴染みがなくピンとこない。

ファン心というのも複雑で、たった1年で新作が発表されるとなるとディズニーに対しての懐疑心が大きくなる。

金のために『STAR WARS』をかき乱すな〜、大量生産するな〜てな具合に。

そういう訳で映画館に観に行くなんて発想は皆無だった。



しかし、同居人Kが執拗に誘ってくる。

Kは『STAR WARS』旧シリーズの根強いファンで知識も断然私より豊富だ。

あまりにもしつこいので、結局観に行くことになった。

観るとなればそりゃあIMAXの3Dで。



正直なところ『エピソード3』と『エピソード4』の間の話ってことしか知らなかった。

それが途中ではっとする。

主人公たちのミッションを知った時、全てに納得する。

ああ、そうだったのか。

『エピソード4』のオープニングのあの一文にこんな壮大な物語が詰まっていたと思うと感慨深い。

そしてこの物語の一番の特徴はジェダイが出てこないことだ。

STAR WARSとういう舞台の上で、こんなにも多くの人がメインストーリーから外れて戦っていたことを知る。

誰かの物語ではなく、人々の物語。



映画2時間もあれば大抵少しくらい平和な時間が設けられているものだが、

この映画が凄いのは冒頭にはじまった緊張感が最後まで切れることなく続くこと。

我に帰る時間が全くない。

3Dで視界もかっちりガードされ、音響もIMAXの特別な環境というのもあるかもしれないけど、

物語自体がいつになくハードだという点は大きい。

何よりも、この映画を見ると『エピソード4』の理解が深まりより楽しめると思う。

家に帰ってからすぐに『エピソード4』を観たのは言うまでもない。



本当に期待を裏切られた。

面白いので是非観てみてください。

『STAR WARS ローグ・ワン』予告





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あけましておめでとうございます

2017-01-04 15:11:36 | 日記
ここ一週間、晴れやかな空が続いている。

冬と言うにはあまりにあたたかく、昼は外でひなたぼっこだってできそうだ。

つい数日前までは2016年だったというのに、年の境をまたぐだけで遠い過去のような気がしてしまう。



2016年の暮れ、たまに手伝いに行く麻布十番の料理屋さんでひたすらおせち作りの手伝いをしていた。

店長と店員一人の小さな店だが、店長こだわりの料理はいつもお客さんに好評だ。

おせちは常連さん22件92人分。

さっさと終わるものだと思っていたら、なんとも時間のかかる作業で驚いた。

でも少しづつおせちが形になっていく経過は見ていて面白い。

余った分は皆で山分けし、元日に高級料理店のおせちを食べるという贅沢な正月を過ごすことができた。











昨日は神奈川県の寒川町にある寒川神社に初詣に行ってきた。

わざわざ遠くまで初詣に行くというのは個人的にはしっくりこないのだが、行く人がいいならそれでいい。

同居人Kが寒川神社が好きで、去年から初詣は寒川神社になった。

神社の門には人がごった返し、正月独特の活気がいい感じだ。










おみくじ100円に人々はどんな願いを乗せるのか、とにかく来たからにはおみくじ引かねばと手を伸ばす。

おみくじにあまり期待していないからか、ここ数年は引くたびに大吉だった。

しかし、いつも大吉だから今年も大吉でしょと少しばかりの欲を持つと、小吉とかいうぱっとしないものを引いてしまう。

子どもの頃は大吉じゃなければいっそのこと凶がいいなんて本気で思っていたけれど、今となっては凶じゃなくてよかったという弱腰。

交際の欄がなんだか的を得ていて笑えた。






さてはて、2017年どんな年になるでしょうか。

一年の始まりでございます。



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