最近考えたことは、恋愛関係は社会文化的なジェンダー云々よりも、心理学の要素の方が大きいはずだ、ということです。
大枠ではなくて、一つ一つの事例を細かく見れば全然違う個人的な関係性だし、という点において。
平等で対等な関係というのは友達同士ですら有り得ないし、その日の気分や天気にすら影響されるから、日々変化する状況関数的なものだと思うの。変化はあって入れ替え可能だとしても、結局、支配・被支配構造からはどうやっても逃れられないと思うの。
だから恋愛に限らず、人と一対一の関係を持続する方法は限られていて、
1.お互い我慢しないで言いたいことはその都度言う。小さい喧嘩は伴っても、納得するまで話す。→支配・被支配構造を固定させず、常に対等であろうとする努力。
2.お互いがお互いの核には干渉しない。同じ土俵に立たない。→互いの生きてる次元が違うので、支配・被支配構造も生まれようがない。
3.立場の弱い方が相手の言動を受け入れ、自分の主張を我慢する。→支配・被支配構造を敢えて積極的に固定化する。
という、以上の3つの方法を、状況関数的に時と場合に合わせて、人間は無意識に使い分けていると思うわけです。
そういうのも踏まえて、好きになってくれた人で生理的に無理じゃない人ではなく、とにかく自分が好きな人と一生じゃなくて一瞬でもいいから付き合いたい、という目標を掲げた時にどうすればいいのか?(社会性皆無のくだらなさ!)
取る方法は3.ですね。これは例えば、相手が1.の関係を求めてきたら自分も1.で対応したり、ということも起こりうるわけです。
「女の子は愛された方が幸せ」「二番目に好きな人と結婚するのが良い」「追いかけるより追いかけられる女になれ」的な言説は、ある程度の普遍性を持っているから定着してるんだろうけど、そうなると結局、恋愛がジェンダー論に回収されて、恋愛の決定権も選択権も最終的には男が持っているから女がそれに合わせなければならなくて「女は一番好きな人とは付き合えない」って真理が証明されてしまう。それは、女のわたしにはあまりにも不公平な真理で絶望です。
でも、男女どちらにも当てはまる人間心理の問題だと考えれば、個人個人の性格の問題であって、方法の取り方次第では誰もが好きな人と付き合える可能性を持ち得る、ってことになるから、まだ救われるし生きる希望が湧くよ。
ちなみに、関係あるかはわからないけど、自分統計では、末っ子タイプ(特にお兄ちゃんのいる女子)は自分から好きになった相手と付き合ってる確率が高いです。恋愛観には、ジェンダーよりも育った家庭環境が影響するのかな、やはり。