Next Life はジョージアか?

中国雲南省に約7年ロングスティし、2017年4月に新たな旅と新鮮な生活と刺激を求め旅立ちます。

トビリシ生活事始めー治り始めた。

2017-09-27 19:37:11 | 日記
もう数週間以上前のある日、朝目覚めると背中の痛みがかなり和らいでいた。丁度その日は涼しくもあり、気を良くして地下鉄に乗って街に出た。隣駅のルスタヴェルリ駅から次の駅近くの自由広場の方に歩いて向かった。目指すはナショナルギャラリーだ。



ルスタヴェルリ大通りにそって。



ルスタヴェルリ大通りにそって。土産物屋も並んでいた。



綺麗な建物もある。



ここがナショナルギャラリー。

ナショナルギャラリーで観たかったのはこの国の民族的代表画家ニコ・ピロスマニ(1862~1918)の絵だ。私は少年の頃に確か本か雑誌でロシアの作家として紹介されていたのを観た記憶がある。素朴派に分類されルソーに近い画家だ。



ギャラリーの内部。



女優マルガリータ



名前不明。



名前不明。もっとも名前があるのは後世付けられたらしい。



小鹿のいる風景。

絵画はまだまだあるがここでは4点だけ紹介しておく。暗い色調の絵が多いがその世代の世相を映したものか個人的な感慨なのか、私には見極める事ができなかった。だが彼は恵まれた生涯ではなかったようだ。近いのでこれから何回も観に行きたいと思っている。

帰ってから調べると彼の絵は日本に1986年と2008年とに2回ほど来ているらしい。その頃私はあまり展覧会に出向く事はなかったので知らなかった。でも日本で人気のありそうな画風だ。

さて2時間ほど絵を観て通りへと出るとカシュヴェテイ教会と言う綺麗な教会があった。早速イコンが観たくて中に入る事とした。



カシュヴェテイ教会。



教会の荘厳な内部。



イコン。聖なる絵だ。





私はイコンが好きだ。遠近法を使わない聖なる絵を知ったのは30歳代。ブルガリア大使館員からブルガリイコンの写真を何十枚も観せられすっかり魅了された。ブルガリアイコン展の企画をしたぐらいだ。実現はしなかったが。やがてアジアを陸路横断してブルガリアイコンを観に行ったほどだ。

この国には沢山の古い教会がありグルジア正教のイコンが保存され息づき信仰されている。近代絵画と異なる絵画的手法の中に聖なるものが宿る。私はクリスチャンではないがそれらを身近で観られる事はこの上ない幸せだ。

丁度この日は土曜日そのせいか結婚式が賑やかに厳かに行われていた。部外者でもお構いないようだがお邪魔にならないようにとイコンの撮影を中止した。



女性のイブニングドレスも綺麗だが男性たちの民族衣装のようなものがとてもカッコよいではないか。

教会を堪能して更に歩くと国会議事堂があった。どうやら今、私はトビリシの中心街近くに住んでいるようだ。



国会議事堂。夜になるとライトアップされて綺麗らしい。

さてこの日は数カ月振りのまあ遠出の外出となった。約6時間も外出した。帰りしなには買い物すらした。でも背中の痛みは襲ってはこなかった。トビリシに着いたら1週間ほどの間に行こうと思っていたナショナルギャラリーにもやっと行けた。こんな近くの所に行くのに4カ月半も掛かった訳だ。やっとトビリシ生活が始まったような思いだった。


ところでここまでの内容はこの翌日にブログにしようと作業を始めたが、やがてきつくなり作業を止めた痛みがぶり返すのが怖かったからだ。

その数日後まだ調子が良かったので20分~30分歩き中央駅近くの市場にも行った。ここはバザールとも旅行者には呼ばれている。近所の八百屋では売ってない生姜が買いたかったのだ。それを知って買いに来るのに1か月かかった。生姜はこちらの料理ではほとんど使われないらしい。



この市場は野菜市場。ここで生姜は買ったが、まだまだ電気街とか雑貨街とか色々あるらしい。まだ全てを把握は出来ていない。こんどゆっくり見て回ろう。

まだそれでもパソコン作業の姿勢はきつい、治り始めだ無理は禁物だ。慎重には慎重を重ねようぶり返しては元も子も無い。

ところで語学の勉強も始めたがベットに座り低いテーブルに向かう作業はどうしてもつらく続かない。無理をしてぶり返すのが怖い。ここで暮らすのには必須なのだが。困ったものだ。色々な姿勢を試みたがやはりつらく続かない。時を待つしかないのか。横になりネットを観る分にはまああまり良くはないのだがどうにかなる。

さてそれからしばらくしてルームメイトの日本の友達親子が来て初めての夜の外出と外食に同行させてもらった。歩く分にはさして問題が無い。外食の料理はこれも初めてのグルジア料理だ。これまでは行きたくとも行けなかった。そしてやがて食べるグルジア料理は実に美味しかった。



ハチャプリ、手前もそうですが生卵とバターとチーズが乗っていてかき混ぜパンと一緒に食べる。これの名前はアルジャルリと言うらしい。いやあ美味しい。



これは名前はよく覚えていないが美味しさに変わりはない。



パドリジャーニ。茄子のソテーにクルミ、ニンニク、香草のペーストが中と上にあり実に濃厚でトロットして美味かった。



オジャクリ。ジャガイモ料理。これもいける。

と言う事でほぼ4カ月半以上たってやっと食べられたグルジア料理。どれもこれも聞きしに勝る美味しさだった。これまで食べた海外料理で五本の指の上位に十分入るだろう。単品ならさして高くもないようだ。これからも機会を見て食べよう。それにしてもこんな豊かな食文化があったとは。

さて今日は長い事ブログをUPしなかった間の事を一気に書く事が出来た。しかしグルジア料理を食べてからしばらくしてまた背中に圧迫感が出て腹の上の肋骨も少々痛い日が続き痛みの揺り戻しがあった。それがやっと昨日から良くなってきた。確実に回復傾向にあるがまだまだ完全ではない。無理は禁物だ。でも行動の幅は広がりつつある。季節は10日ほど前から秋になり始め楽になった。

と思ったら今日はいささか寒く雨も降っている。数日前まで30度近くあったのに。足早に冬はやって来そうだ。そんな中一番大きな問題の時期になりつつある。今日ここまで一気に書いてきたのはその事に触れるためだ。

実は私のルームメイトは11月には日本に帰国する。つまり私もここを出て部屋を探し10月中には引っ越さなければならないのだ。主にこちらのネットで部屋探しをしている。またルームメイトが協力してくれている。昨日初めて部屋を一緒に見に行ってもらったが私のミスでか空振りとなった。また幾つか見つけた物件は既に決まっていた。

こちらは9月半ば過ぎに夏休みが終わり同様に地方から人々が集まり部屋を探すのには難しい時期らしい。昨日が駄目だったのでまた1週間後位にネットのチェックをして探さなければならない。

言葉が分からないし地理も分からない。物件があったとしても交渉も出来ない。5カ月近く何もできなかった付けが今現れている。全く自立的に探し決める事が出来ないのだ。ルームメイトが快く協力してくれうから良いもの、申し訳が無い。だが今は体が動けるだけが救いだ。

次に部屋が決まったとして言葉が出来ない私が一人暮らしが可能かどうかだ。1か月ほど前の断水のような事があったらどうするかだ。

だがその経験から私は日本語通訳を探していた。日本大使館に聞いてみようかとも思っていた。するとルームメイトの友達で日本語ができる人がいていざと言う時に通訳をアルバイトでしてもらえる事となた。それでちょっと光明が差してきた。

そして1週間ほど前にお会いする事が出来た。仕事の合間や電話などで対応してくれる事となった。感じの良い若い人だ。ありがたい。更についでにこちらの大学の日本語学課の学生で相互学習をしたいような学生にアポイント取れないか聞いてみた。

すると今は日本のアニメが人気で日本語を勉強している人が増えているので直ぐに集まりますよっと言ってくれた。ありがたい、それと私も知っていたのだが日本語教育文化センターと言う処がありそこにも日本語を勉強したり話せる人達がいるらしい。

さてかなり負傷が良くなってきた私の課題はまずは部屋を探す事。そして通訳と日本文化センターを通じ、私の生活に協力してもらえるネットワークを作る事だ。こちらに関しては可能性が広がって来た。近々日本文化センターに行ってみよう。

後はせっかく良くなりつつある痛みを悪化させない事だ。そしてジョージアの方に冬場の寒さの防ぎ方を聞かしてもららい対策を考える事だ

長い事ブログを休ましてもらいましたがやっとここまでは辿り着きました。

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