dancing soleil

ひまわりは踊っている

ヘンリー・ダーガー

2008-11-02 14:04:00 | 日記

2009/03/03
ぽかぽか春庭ことばの海を漂うて>非現実の王国で(1)ヘンリー・ダーガー

 年ごとに狭くなる我が家。昔はかろうじてテレビの上に載せた小さな男雛女雛も、テレビが薄くなって載せるところがないから、出さなくなって久しい。それでも娘は、今年手作りのミニ内裏びなを作り上げて、ゲームソフト置きの箱の上に飾りました。私の駄本古本と娘息子のゲームソフトばかりが増えていく我が家。

 私の今年のひな飾りは、ヘンリー・ダーガーの少女像。とてもカラフルでちょっと不気味な少女達のイラストです。
 ヘンリー・ダーガー(Henry Darger  1892~1973年)の描いた挿絵のいくつかが見られるサイトURL
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4DBJP_jaJP264JP274&q=%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC&lr=&um=1&ie=UTF-8&ei=WWOeSc_MEo_akAXUlc3XCw&sa=X&oi=image_result_group&resnum=4&ct=title

 生前のヘンリーを知っていたのは、ごくわずかな人たちでした。彼のアパートの大家と少数の隣人。仕事先の病院で清掃の仕事をもくもくと続けるヘンリーに目をとめる人はあっても、声をかける人はほとんどいませんでした。声をかけても、返事が返ってくることはないから。だから、生前の彼を知っていたわずかな人々も、彼が亡くなるまで、正式な名さえ知らず、それぞれが自分流の呼び名で彼を呼んでいました。「ダージャー」「ダーガー」「ダージュア」。

 ヘンリーは、死ぬ半年前までの後半生を掃除人としてすごした、という以外には誰にも何も知られておらず、無名のままシカゴの片隅で暮らしていました。彼とじかに話ができた人は、アパートの大家夫妻、ネイサン&キヨコ・ラーナーほか何人もいませんでした。

 ヘンリーは感情障害をもっているため、人とコミュニケーションをとることが難しく、「知的発達障害者」と誤診されて障害者施設に送られたこともありました。1892年生まれのヘンリーが入れられていた20世紀前半の孤児院や障害者施設は、前時代的な過酷な場所でした。誤診されたものの知能に発達の遅れはなかったヘンリーは、17歳になると施設を脱走し、シカゴで掃除人として働いて生活しました。ほとんど他の人とことばを交わすことなく、一生を孤独にひきこもってすごしました。

 ヘンリーは80歳をすぎると老化のため掃除夫を続けられなくなり、シカゴの「貧しい老人のための施設」へ送られることになりました。
 アパート退去後の処理をまかされた大家がヘンリーの部屋に入ると、そこには驚くべきものが存在していました。足の踏み場もないアパートの狭い部屋に、膨大な彼のファンタジー小説とその挿絵が残されていたのです。ヘンリ・ダーガーが19歳から80歳まで60年間書き続けた作品です。ヘンリーは老人施設に入居して半年後に亡くなりました。1892年4月12日から 1973年4月13日までの、81歳と1日の生涯でした。

 アパートの大家ネイサン・ラーナー(1913-1997)は、自身がアーティストであったために、ヘンリー・ダーガーが残していった作品の価値を理解し、「焼却処理」されるところだった作品群を世に紹介しました。
 ヘンリー・ダーガーは、現在ではアウトサイダーアーティストとして、MoMA(ニューヨーク近代美術館The Museum of Modern Art)にも作品が収められている有名画家兼作家として知られています。

 彼の一生を紹介したドキュメンタリー映画『非現実の王国でヘンリー・ダーガーの謎』が2008年3月に日本で公開され、2008年9月のDVD発売に合わせたテレビのバラエティ番組「ベストハウス123」で11月20日にDVDの内容が紹介されて、日本でも知られるようになりました。

<つづく>


2009/03/04
ぽかぽか春庭ことばの海を漂うて>非現実の王国で(2)アウトサイダーアート

 アウトサイダーアーティストとは、フランス語の「アール・ブリュット(Art Brut、「生(なま、き)の芸術」)」の英語翻訳語です。芸術大学などで正規の絵画工芸教育を受けていない人々の芸術作品を、「生の芸術」と呼びます。
 私が2008年6月に紹介したアボリジニ画家エミリー・ウングワレもそのひとりですし、日本では裸の大将こと山下清が有名。アートセラピーとして老人施設や知的発達遅滞者施設などで描かれる作品も含めてアウトサイダーアートと呼ばれています。

 彼の大家であったネイサン・ラーナーと妻のキヨコ・ラーナーは、ヘンリーの部屋を別の場所に移転して再現し、記念館として公開しています。
http://imperialpress.jp/detail.html

 ヘンリーは、親切な大家夫妻の理解のもと、誰にも知られることなく何十年間もアパートと職場の病院を往復し、教会でミサに出るほかは外出もせずにすごしました。昼はひたむきに掃除の仕事をつづけてわずかな賃金を稼ぎ、夜はひたすらファンタジー物語と挿絵をかきつづけました。大家夫妻以外の人とコミュニケーションがとれなかったヘンリーは、もし、他の場所ですごしたら、「狂人」扱いされてトラブルを引き起こし、追い出されていたかもしれません。

 ヘンリーは晩年、大家夫妻の飼っている犬に心を開き、自分も犬を飼いたいと思いました。しかし、犬の餌代が1ヶ月に5ドル500円必要だと聞いて、「そんなに払えない」とあきらめたという。1ヶ月5ドルの余裕もなかったヘンリーがアパート代を払えないことがあっても、大家夫妻は彼を追い出すようなことはしなかった。

 大家のキミコ・ラーナーは映画のなかで、ヘンリーのような人への世の人々の反応を評して「お金があれば『変わった人』扱いですむけれど、お金がなければ『狂人』扱いする」と、述べています。ヘンリーは、貧乏な掃除人であったけれど、彼がコミュニケーション障害をもっていても「狂人」として排斥されずに80歳まで生きることができたのは、大家夫妻や彼を見守っていた人々のおかげでしょう。

 ヘンリー・ダーガーは、一生のあいだ「非現実の王国で」というファンタジー物語を描きつづけ、物語の中に、自分自身を登場させています。物語のなかで、彼は世界に正義をもたらすため、少女たちと共に悪と闘います。彼の精神生活のほとんどが、自分の創り出した物語の中にあったと思われます。

 少女たちは、子供を奴隷にしようとする悪の一団と闘うなか、拷問され闘い傷ついて死んでいきます。少女達のむごたらしいシーンが続き、「ゴスロリ・グロテスクGothic & Lolita Grotesuqe」愛好家たちが「よくぞたった一人でこのようなゴスロリ・グロ垂涎のイラストを300枚も描き続けた」と評する絵が残されました。
 ヘンリーが17歳まで押し込められていた発達遅滞児施設での劣悪な生活状態や、管理者たちによる執拗な体罰の黙認される環境が、感情障害によって他者とコンタクトがとれなかったヘンリーの精神に複雑なトラウマを残したのだ、と分析する評論家もいます。

 『非現実の王国でIn The Realms of the Unreal』正式には『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』
 タイトルには「非現実」とつけられていても、ヘンリーにとっては、この王国こそが彼の真に生きている場所であり、現実の世界は彼の王国を維持するためだけに存在する仮の世界だったことでしょう。

<つづく>


2009/03/05
ぽかぽか春庭ことばの海を漂うて>非現実の王国で(3)ヴィヴィアンガールズ

 ヘンリーは正規の美術教育を受けていないので、病院の掃除の合間に拾った新聞写真や雑誌挿絵を利用して自分の絵にコラージュしていきました。幼いときに母に死なれ、妹は里子に出されたので、一生のうちに女性の身体を見たり触ったりしたこともなかっただろうと言われているのですが、ヘンリーが描き出した「悪と闘う9人の少女たち=ヴィヴィアンガールズ」は、鮮やかな色彩で描かれ、ドキュメンタリー映画ではこれらの挿絵がアニメ化されて動き出します。ヘンリーの内面では、このように挿絵の少女たちが動きだし、ともに行動していたことでしょう。

 ヘンリー・ダーガーもエミリーウングワレーもそうですが、アウトサイダーアーティストは、「自分の絵をオークションで高く売ろう」とか「有名になって美術界に名を残そう」とか、考えたこともなく、ただ、描くことを生活の一部として描き続けました。

 多くの「売れないアーティスト」は、売れた人を見て「私のほうが芸術的価値の高い作品を作っているのに、彼のほうが作品を売り込むノウハウを知っていたから売れた」とか「私の作品を理解してくれる人さえあれば売れるのに」としきりにぼやきます。

 一生、理解されなくても売れなくてもいいじゃありませんか。ヘンリー・ダーガーのように、亡くなってからその作品が発見される人もあれば、理解のない周囲の人によって焼却処分されてしまったアウトサイダーアートもたくさんあることでしょう。
 描きたいから描く、つづりたいから文章を書いていく。人の一生はそれだけですごしてよいのだ、と思います。
 
映画『非現実の王国でヘンリー・ダーガーの謎』
http://www.youtube.com/watch?v=y_cIjMLCAuU

 ヘンリーダーガーの「非現実の王国で」は、まだ翻訳が出ていません。あまりに膨大すぎて、出版のめどが立ちにくい。ハリーポッターシリーズ、全7巻でも総ページ数は7000ページ程度。しかし、ダーガーの「非現実の王国で」は、12000ページに及び、続編も入れると15000ページ、日本語に翻訳すると単行本20巻くらいになる。しかも、ハリーのような「不幸を背負ってはいるが、きわめて健全な坊や」が成長する話ではなく、少女達が拷問を受け虐殺されるグロい描写が続く暗い物語ということなので、翻訳が読めるようになるのはまだまだ先でしょう。

 「ロリータ・グロ」マニアが日本にどれだけいるかわからないけれど、「ハリー」のような売れ方はされるはずもなく、出版社は挿絵に少々の説明文をつける程度の本は出版するかもしれないけれど、全訳には二の足を踏む。

 もし翻訳が出版されるとして。英語専門家が下訳をしたあと、日本語文章としてもっともよくヘンリー・ダーガーの雰囲気を保つ文体に仕上げられるのは誰だろう。嶽本野ばらあたりがいいんでないかい、と思っていたら、野ばらもヘンリー・ダーガーに並々ならぬ関心を寄せていたことがわかりました。『きらら』(2009年3月号)」の野ばらによるヘンリー・ダーガー紹介文がとてもよかったです。
 わらべは見た~り、野中の薔薇バラ。バラバラに切り刻まれたりする少女達を野ばらさんはどう翻訳するのでしょうか。

<おわり>

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