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本日を持ちまして

以前からたびたび記事にも書いておりましたが
この「踊り子の雑記」は正式に引越しをさせていただきます。

引越し先はこちらになりますので、お手数ですがリンクをたどって下さい。

「真・踊り子の雑記」

ハヤテを契機に定期的かつ本格的にブログを書くようになり、より自由にカスタマイズできるようなブログを利用したい、と考えたことが主な原因です。

ここ数週間は自分でも驚くほどにアクセス数が向上した上、実家に戻っていたこの一週間の間でさえも、100を軽く越すアクセスを見ることが出来ました。何より、このブログを訪れてくださった皆様のおかげです。

今後引っ越し先でも、今まで以上に頑張りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

ではでは、新しいブログでお会いしましょう。
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矢継ぎ早ですが

あと数分後には家を出て、実家に帰省いたします。

だもんで、向こう一週間くらいは余裕で更新が途絶します。

その上、その後は新しいブログに乗り換える可能性大です。
(一応リンクははってありますが、殆ど手をつけてませんし、準備中みたいなもんです。スミマセン)
準備が整い次第、こちらのブログでも記事を載せたいと思います。

てなわけで、NAGANOまで行ってまいりまっす。
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いろいろ考えた結果……

もしかするとブログを引っ越すかもしれません。

いや、確定してはいませんけれども。

ただ、これからもハヤテを中心にいろいろとブログを活用していくとなると、ココのブログでは如何せん立ち回りずらいかも……と思い始めました。

きっかけはこちらの記事を読んだからなんんですが。

こちらのアドバイスをよ~く読んでから、いろいろ考えてみまっす。

まあ、いずれにせよ今週中にネットの繋がらない実家に帰省するので、それらが確定するのはえらく後の話になるのは確かですけど。
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エンディングではなく、むしろスタートライン。あるいは戦列に並んだというべきか

難しい理屈や、肩の凝る話ではない。ていうか、そういうのはハヤテという作品に似合うはずがねえ。

とにかく、今週のハヤテ116話を一言で言い表すなら……


「お見事ぉ!!」


とだけ言わせていただく。

いや本当にお見事だ、すげえストレートだ。しかしそこがいい。スバラです。
とにかく畑先生入魂の見開きに惹き込まれましたね。これは感想サイトでも単行本でもなく、サンデー本誌のサイズでがっちりと見ていただきたいです。マジで震えました。

ナギの迷子から始まった3週かけての下田行脚で描きたかった最大の見せ場はここだったのだ、と思わず納得。

てか畑先生、これを全部丸々1話分として考えていらしたのかと……?

さて、個人的には満足だった今回の話においても、ただ1つ懸案事項が。というのは、果たしてこの描写を西沢さんENDとして捉えていいものかどうか、ということ。

読んだ当初は私もそれで構わない、と考えていたのですが、Moon of Samuraiさんが述べられていた考察を拝読して、少し思いとどまりました。これをエンディングとして考えるには、西沢さんに対する心理描写がまだ足りていない、とのこと。

そうした見解も加味しつつ、しかしこれはエンディングなのだろうという考えも普通にあり得るから、う~ん、と唸っているのが今のワタシの状態です

ただ、とりあえずの私なりの解釈を示すなら

「これはエンディングではなく、むしろスタートラインに立った状態である」

という、表題にも挙げた言葉がそれです。

 この考えを拡大解釈すると、ヒナ祭り編についても、あの話はヒナギクENDではなく、むしろ「ヒナギクがスタートラインに立った」という描出のされ方の方が自然な気もします。

 この作品ではメインヒロインであるナギとマリア。そしてサブヒロインと言うべきヒナギクと西沢さんという4人の少女と、ハヤテとの関わりがメインです。tanabeebanatさんの解釈を織り交ぜると、これらのヒロインたちは作品の世界観において、それぞれの空間(三千院の屋敷・白皇学院・普通の人々の生活)の象徴的な存在でもあります(tanabeebanatさんの言葉を借りるなら、それぞれ「ナギの世界」「ヒナギクの世界」「西沢さんの世界」となります)。

 さて、メインヒロインの2人に関する構図は、連載の第1話と第2話で既に決定付けられ、その後の話の中でその位置づけが強化されてきたわけですが、残る2人のサブヒロインは言うなれば作品に途中入場してきた人物達です(時間軸からすれば西沢さんとハヤテのつながりはもっと昔からですが、ここでは作品を読む我々の視点から解釈を展開しています)。彼女達がハヤテとの関わり合いでメインヒロイン達とタメを張ろうとすれば、当然のことながらメインヒロインの2人と同等の距離にまで、ハヤテと接近しなくてはなりません。それも途中入場というハンデを背負いながら。

 そりゃあ苦悩も悲しみもあるでしょう。連載開始直後にいきなりヒロインとして確定されるのではなく、その後時間をかけてハヤテとの距離を縮めていく必要があるわけですから。ましてサブヒロインの2人には、執事としてナギに仕えるような必然性をハヤテが持ちにくいという決定的な差異があります。

 言うなれば、ナギもマリアもプライベートな空間にいるのに対し、そのライバル足りうる2人は外部の空間に存在しているわけです。この時点で、時間的にも空間的にも、ヒナギクと西沢さんは、ナギやマリアに大きく遅れを取っているわけです。
 まあ逆に言うと、このハンデが存在しているからこそ、ナギは自分よりも年上であるヒナやハムに対してそれでも張り合っていけるんでしょうが(まあ、互角といえるかどうかは別として)。

 さて、ナギがハヤテにお熱というのはご承知の通り。そしてヒナギクも作品中では数週間前にハヤテへの好意を自覚しています。

 ワタシの解釈の仕方だと、この話で初めてヒナギクは「ナギと同じスタートラインに立った」ということになります。つまりエンディングではない。時間的にも空間的にも優位にあるナギと、ハヤテに関して張り合うための土俵に立つ準備がようやく整った。本当のラブコメ、本当のエンディングははるか先にある、というわけです。あの夜景の見開きは、エンディングとして用意されたのではなく、むしろヒナギクの恋路の始まりとして用意されたのではなかろうか、と。

 ではもう一人のサブヒロインであり、もとからハヤテにお熱だった西沢さんは? といえばそれが今回というわけで。
 正直言って深い根拠はありません。そう考えた方が個人的にはしっくりくるというだけです。

 今までひたっすら片思いで、しかもハヤテには一度振られちゃってて、それでも思いは断ち切れなくて。そんな彼女にとって、ハヤテと2人っきりで初めて笑い合えたのかもしれない今回。ある意味初めて彼女が報われた話。自分の思いを再確認し、ハヤテの思いを彼自身から聞く。苦悩していたのは何も自分だけではない。自分の思いをどう汲み取るべきかを、彼自身もまたホワイトデーという形で思い悩み続けていたのだと知るわけです。

 まさしく対話じゃあないですか。コンテクストの摺り合わせじゃあないですか。

 そして、そんなハヤテを西沢さんは「許す」わけです。もう十分もらったから、と。

 もともと告白して振られてしまったという状況がある以上、バレンタイン以降の西沢さん周りは、他のヒロインとは一線を画して複雑な状況が続いておりました。そのこんがらがった状況を解きほぐしたのが今回の話ではないでしょうか。

 で、つまりは元のハヤテと西沢さんとの関係に戻った、ということ。そして

 他のヒロイン達と同じラインに立ち戻り、スタートラインに立つ準備が整った、ということではないでしょうか。

 エンディングとして、それまでの西沢さんのストーリー全てを包括するには弱いかもしれませんが、これが西沢さんのスタートラインに当たる話だとするのなら、すんなりと受け入れられる気がします。少なくともワタシは。

 ちなみに、このスタートラインに立つという行為に関しても、今週の話を見るに他のヒロイン達の協力を得て、初めて可能であったという点がなんとも西沢さんらしい気がします(笑)。ナギとヒナギク双方の最大級ともいえる譲歩がなければ、今回の話は成立しませんでしたから。


 ここで改めてハヤテという作品の時間軸を計測してみると、まだ3ヶ月程度しか過ぎていません。この話が1年間で終結すると考えてみても、まだ起承転結の「起」の段階すら終えていないことになります。
 おそらくメインヒロインとサブヒロイン、彼女達がハヤテとの関わりにおける位置づけを明確にし、その上で同じスタートラインに立つための準備期間。それこそがこれまでの3ヶ月に相当するのではないでしょうか。

 言うなれば「ハヤテのごとく!」という作品は、単行本にして10巻以上を経て、ようやく本編に突入したのでしょう。そういう意味では、今週のラストの描写もなんとなく納得がいきます。
 ワタシもラストの1コマで「うをい!」と驚きましたが、それ以上に、むしろ次のページにハヤテの新しい扉絵が描かれているような錯覚を覚えました。ここから今週の本当の話が始まる、とでもいうような。

 で、こう考えたのであれば、次週の閑話休題の後、真っ先に起こさなければならない話もある程度想像がつきます。端的に言えば

 ナギとハヤテとの関係の強化

 でしょう。ナギと互角に「無理じゃない!」と張り合う女子高生と、どう考えてもナギでは太刀打ちできそうにない完璧超人な生徒会長様が同じレースのスタートラインに立った以上、ナギ嬢にこのまま彼女達とスタートさせるのではなく、何らかのサポートが必要でしょう。それと各所で囁かれている今回の旅の目的を照らし合わせれば……

 今回のワタシの解釈は、てんで外れているというわけでも……あるか?

それはそうと「難しい理屈や肩の凝る話ではない」と最初に言ったにもかかわらず、この文章量はなんなんでしょうね。

……まあ、それが風車クオリティってことで、勘弁してください。


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10巻を読み返してみると……

はい、結局買ってしまいました。

そして4コマの咲夜嬢はグレートでした。

まさに「Yグレード」ってところですか。

ただ、個人的にこの巻はヒナギクについて描いた話というよりは

雪路の周辺を描いた話が多いと解釈した方がいい気もする(お見合い話といい、強盗話といい……)。

で、今回読み返した話の中で気になった(もしくは気に入った)ところをピックアップ



その1:強盗の話(単行本第9話・第10話)

やっぱり雪路が絡んでくるような、こういうアップテンポなギャグ話がワタシは好きなようです。そしてワタシのお気に入りキャラでもあるシスターが登場してるのがポイント。とらのあな編以降、数少ない彼女の出番です。

ただ、この作品でのシスターはなんというか、ファイアーエムブレムで言うところの「ステータスは決して悪くない、というかむしろいい方なのに、反則的な能力の下級クラスユニットのせいで2軍落ちに甘んじている登場時から上級クラスのユニット」みたいな印象が……具体的に言うと「封印の剣」のパーシバル(普通はノアを育てるよね)とか「烈火の剣」のガイツ(ヘクトルとバアトルがいたら……)とか、そんななんとも言い難い位置づけな気が。

とにかく周囲のキャラのアクが相対的に強すぎるのですな。おかげで巻末のプロフィールにあるコメントのような状態に……

ちなみに、個人的にはこの回の4人に牧村さんを加えた最強麻雀軍団でもって「兎」のパロネタをやって欲しい(笑)


 「兎 野生の闘牌」


史上最年少代打ち集団「ZOO」ならぬ「GOO」みたいな(深い意味はなし)。ヤクザ相手の賭博麻雀であっても、雀力だけじゃなくケンカもハンパなく強いこの人たちなら全然問題ない! うん、イケルイケル!

ハヤテが兎の位置づけとして、雪路はネコ。肉弾戦特化型のシスターはジャッカル。ヒムロはシャモアかタンチョウで。精神年齢が一番低いであろう牧村さんには香那ちゃん役を張ってもらいましょう。

うん、まさに兎のネタを実演するためのような集団だよ!
これならシスターも十二分に活躍できるし!

「……こんなのは痛みじゃない
私達は最初から、頭をひしゃげて生まれてきたんだ!!」


……まあ、小中学生にこのネタを理解してもらうのはまず不可能でしょうけれど……



その2:お見合いの話(単行本第3話)

開口一番「最近どーなのよ」とサキさんに振ってくる友人2人に、すげえリアリティを無駄に感じてしまった。うちのサークルの飲み会で、先輩方は基本的にこのセリフから話題を振ります……。

更にその後のサキさんとの会話も、いろんな意味で胸が痛くなるんですけど……

そう、俺は自分探しの旅を……

……スイマセン、ドラマの「東京タワー」があまりに痛すぎて見ていられない大学4年生でした。

まあ、それはさておき(笑)

それにしてもワタルくんはこういう直情的なアプローチの数々がフラグに発展していくということを本能的に分かっていらっしゃるんでしょうかね?

「なんでここに伊澄が出てくんだよ!!」ってあーた……

彼の将来が普通に心配です。

それと薫先生は普通にいい人だなあ、と思った。巻末のプロフィールを見るに、サキさんとのコンビは(カップリングではなくて、あくまでコンビです)これからも描かれないかなーとか思ってしまう。

俺も五年後にはああいう大人になっていたいなー、とか思う。

いやいや、2次元ジゴロになりたいってワケじゃないぞ!



その3:13号の話(単行本第6話・第7話)

咲夜嬢の活躍が眩しいこの話。しかし今回話題にするのは敢えて13号

実はすげえいい人(人じゃないけど)じゃねえか、と思った。
「人間って複雑だなあ」という、そんな13号の独り言から、ワタシは1つの本を思い出したのですよ。


 「アイの物語」


「人間は不完全な生き物である。だから我々は人間を滅ぼす
というのが多くのロボットもののお話で、ロボットが反乱を起こす原因なんですが、この作品ではロボット達の間に

「人間は不完全な生き物である。そんな彼らを満足させ、幸せにするということは我々にとっても非常に難しく、しかしやりがいのある、興味深いことでもある。だから我々は人間達との共存と幸福のために尽力する

というようなロジックが働いています。で、おそらく13号のロジックは後者。

ロボットにしてみれば、人間の思考回路は理解できないことばかり。だからこそ、そんな気まぐれな人間達を幸せにさせることは、ロボット達にとって人間を滅ぼすこと以上にやりがいのあることで、そうして作り上げられた人間とロボットとの間の記憶(メモリー)は、より幸せな事柄で満たされていくに違いない。人間と違ってメモリーとして半永久的に、それも忘れることなく記憶を残し続けるロボットならではの行動理念ですな。

そしてロボットだからこそ、いくら人間に迫害されても、設定した目的に対して嫌気が差して放棄する、ということは考え付かない。むしろそういった多くの制約や障害があるからこそ、ロボット達はより人間の幸せを生み出す行為に挑戦しようとする。

なんか13号を見てたら、そんな美しいロボット達のお話を思い出してしまったよ。うん、よく出来たロボットだ。すげえよ牧村さん。どうやってブレイクスルーさせたんだろ(笑)


それから全然関係ないけど、気分が落ち込んでる方が集中力が出やすいっていうハヤテくんの言葉はワタシも経験あります。なんかアンニュイな方が、勉強する気になったりしますなあ。


そんなこんなでしっかり読みふけってしまった10巻。
ヒナ祭り編以上にこれら単発の話もいい味出してるので、個人的にはそういう意味でもお勧めです。


 「ハヤテのごとく! 10巻」



追伸1:「Yグレード」と「ブレイクスルー」はさっき挙げた「アイの物語」に登場する単語だったり。普通にいい話なので読んでみたい方は是非に。



追伸2:ハヤテの10巻と一緒に、こんな本も買ってみた


 「ミミズクと夜の王」



なにやら電撃文庫にしてはかなり毛色の違う気もする(つまりは普通の文芸書っぽい)第13回電撃小説大賞受賞作

冒頭で惚れました。今回の大賞はアタリかも。これは最後までぐいっと読みきれそうな予感。感想はまた後日ってことで。


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マンガが図書館に置かれない理由って

なんなんだろうなー、と昨日はずっと考えていた。

まあ、コトの発端はワタシがハヤテの単行本最新刊を買おうか買うまいかすげえ考えているってところからなんですがね。

基本的にワタシは、週刊の少年マンガはよく読むんだが、その中でたとえ自分の好きな作品でも、単行本を買おうという気にはなかなかなれない。というかむしろ、週刊連載されているようなマンガほど、単行本を買う気にならない。

もちろん単行本で揃えている(あるいは揃えていた)マンガはありますよ。具体的にはこの辺かな。



 「ポケットモンスタースペシャル」


 「まほらば」


 「よつばと!」



ただし、これらは全部単行本として知った作品です。つまり連載を読んでて買う気になった作品ではない、ということ。
そして上記の作品は全て月刊誌に連載されているものです。

まあ、早い話が、週刊連載さえ読んでいれば話の筋は追えるし、それも週一のペースで話が進んでいくから、単行本としてまとめて読むメリットをあんまり感じなくなってしまうんですな。
こういう感覚って、私だけでしょうか?

しかし、一昨日発売されたハヤテの10巻に関して、各所での話題を見るにどうやらオマケの4コマに描かれている咲夜嬢がアツイらしいとのこと。


 「ハヤテのごとく! 10巻」


ならばこれはマジで手にとって読みたい、と普通に思ってしまうじゃないですか。

正直こういう感覚で単行本を買おうと思うのはなかなか私には珍しかったりする。そしてワタシにそんな気を起こさせる咲夜嬢の涙に乾杯(笑)。


まあ、そういうわけで明日にでもハヤテの10巻を買いに行こうかと思っているのだが……
しかし寮の後輩が既に買っているという可能性も無きにしも非ずなので、とりあえず少し待って様子を見てみようかと逡巡していたりいなかったり……

でも多分買うと思う。この勢いだと。

ビバ・咲夜嬢。オイラはあんさんのために財布からナケナシの金を出しますぜ。


……で、そういうことが脳裏を渦巻いたもんだから
「もしも図書館にマンガが置いてあるのが普通だったら、こんな無用な逡巡はしなくて済むのにな~」と本気でろくでもないことを一日中考えてました。てことで、やっとタイトルに行き着いた。なげ~前振りでした。

だけど本当にどうしてマンガが図書館に置かれたり、マンガを専門に閲覧できるような施設が流行るってことがないんだろうなあ、とふと思ったりします。マンガを本当に気兼ねなく借りて読めるのはこういう場所か、あるいはマンガ喫茶くらいしかない。マンガをそういう風に読もうとすると、どうしてこうも単行本代以上にお金がかかるんだろうか……ちょっと不思議です。


マンガだって、日本の立派な文化だろうに。


「図書館の本分は資料の検索や調査、調べ物といった学術的な部分にあるから、マンガなんて図書館に置くのは不純だ」なんて理論は受け付けません。そんなのは大学の付属図書館で十分です。コチラの本を読んで、図書館本来の役割を再認識していただきたい。


 「図書館戦争」


自分の好きな本を好きなだけ読んで楽しめる。それが図書館のあるべき姿でしょうに。まあ、それはさておいて。

あるいは、マンガというのはそもそも「本」という分類に属さないのだろうか。ではマンガと本の違いってなんだろうか。ライトノベルと小説の違いを模索するよりはハッキリとしている気もするが……。

でも、もしそうであるなら、マンガ専門の図書館でも作る必要が出てくるんだろうか? それはそれで面白そうな気もする。だいたい小説や業書に比してマンガは読了速度が格段に速いはずだから、貸し出しはせずに館内で手続きをして閲覧させるだけでもちゃんと読めるだろうし、回転も速いだろうから多くの人が読める気もするんだが……。

まあ、おそらくワタシの気づかないところでいろいろと問題点がありすぎるから、図書館のような体制ではマンガを読むことはできないのかもしれませんが。これについてはいろんな人の反論とかも聞いてみたいですね。

「どうしてマンガは図書館に置かれないのだろう?」と

まあ、そういうわけで、ハヤテの10巻読みたさにこんなしょうもないことを仕事中ひたっすら考えていたのでした……ひでえアルバイトだよな。傍から見てれば分からないかもしれんが。

さて、明日か明後日あたりにでも本屋に行くか、久しぶりに。
(基本的に書籍購入はアマゾンなもんで)
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(無意味に)語り損ねたことがいろいろあったもんで……

再び今週のハヤテについて言及してみたり。

とりあえず箇条書きでいってみよう。

1:西沢さんがナギの頬に缶ジュースを引っ付けるシーン

……もう分かっている人の方が多いと思うけど、これって「名探偵コナン」が元ネタだよね?

3巻だか4巻あたりで、蘭姉ちゃんとコナン(新一だったころもやっていたらしいが)の間で全く同じアクションがあったはずだが……ちなみに缶ジュース買ってきたのはコナンでした。

ていうか、あの頃俺はまだ小学5年生くらいだった気が……今更だが、すげえ長寿漫画だな、コナンって。
でも、もしハヤテの時間軸の進行がこのままだとしたら、いずれこの作品も同じ道をたどると……あなおそろしや

2:今回のタイトル「RUN TOGETHER」について

正直サッパリ分からん。劇団四季で「RUN TO THE FUTURE」っていうタイトルのミュージカルを見た記憶が再燃したっきり。でもゼッテー違うよね。

……わざわざ挙げといてこのザマ……


3:先週の自分の危惧は解消されたか?(辛口注意)

先週のハヤテの感想でワタシは、複数の話を同時進行させて、忙しく場面転換させていると、1つ1つの話の展開が疎かになりかねない。という危惧を書いてた気がしますが、これが果たして今週どうなっているかというと……

正直なところ、あまり改善されているとは言いにくいです。

これはかなり個人的な主観ですが、今回は西沢さんとナギの絡みを描くだけで十分だったのではなかろうか?
特にヒナギクとマリアさんの会話は、今週の話として持ってくる意図がどうにも読み取れない。むしろ熱海で合流した後にでも、回想として盛り込んでしまってもいいような気がしますが……

様々な話が盛り込まれてしまったがゆえに、西沢さんの決め台詞が(今週のハヤテを読まれた方々なら分かると思いますが)非常に唐突、かつ希薄なものになっている気が。他を削ってもっとそのあたりを追求して欲しかったなあ……
演劇でもそうだけれど、必要だから入れている場面転換であっても、話の腰を折る可能性が高いんだと思います。全然関係ないけど、こと子供相手の人形劇なんかで不用意に場転をすると、本当に子供達の集中力が途切れちゃうんだわ。

できればマンガの1話中では、ずっと同じ場面を描写するのが望ましいスタイルだと、ワタシはハヤテに限らず思っているのですが……
あるいはそれとも、今回の西沢&ナギの話はあくまで通過儀礼的なもので、今後のストーリーの上ではさほど重要ではない、もしくはヒナマリの絡みと同等の価値である、という位置づけなのだろうか? と勘繰ってしまう……

そんな今回の話も含めて改めて思ったのが、おそらくこの作品で畑先生が最も心を砕いているのは「何の話を描くか」ではなくて「どの話を描くか」ってことなのではないか、ということ。あれだけバラエティに富んだ登場人物がいれば、いくらでも話は出てくるでしょう。しかしそれらの話そのもののインパクトと、ストーリーにおける重要度との兼ね合い、そして時間軸の関係を加味すると、これらの優先順位は非常に複雑怪奇なものになっていきますから(考察Ⅳ参照)


4:今後の西沢さんについて
昨日の記事で西沢さんについて書いていて、今後ハヤテが屋敷に執事として居続ける限り、西沢さんにとっては受難だよなあ、と改めて思ったり。冗談抜きでハヤテとは接点持ち辛いよなあ。

おそらく話が進むに連れて、ハヤテとナギの(情報格差という意味での)距離は徐々に密接になっていくでしょう、闖入者であったハヤテも、執事という立場上、最終的には屋敷の立派な一員として存在を確立するのが理想ですから。

一方で接点を持てない西沢さんとの情報的な距離は開かざるを得ませんから、ここに新しい情報の格差が生まれる可能性を感じます。
で、そうすると、西沢さんとハヤテとの間でも、情報の格差を抱えた上で対話を起こす可能性が出来始めるわけで……

これはまだかなり先の話だと思いますが、いつかハヤテと西沢さんとの間で、今回のナギと西沢さんとの絡みのような事態が発生するのではないかと、勝手に想像しちゃっています。


まあ、そんなわけで、いろいろ考えているうちにまた余計なことを思いつくもんだから、こうして文章量は増える一方。そして余暇は減る一方。

うーん……実家に帰りたくねええ……うちの実家にはインターネットがありません……。


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銀華お婆様の「フェフェフェ」という笑い声はポケスペのキクコの笑い声からきているんだと信じて疑わない

「……おしゃべりが過ぎてしまったよ。あんたが、帝の孫の執事だからかねえ……」

誰か分かる人はイルカー?

ポケスペ7巻のキクコの最後の言葉だよーーー!

というわけで、そんなセリフが一番頭に残ってしまった今週のハヤテでしたが、一言で言えば伏線の収束を感じる回でした。

回収はされてません。しかし、伊豆に向かってあらゆる伏線が収束し、絞られ始めていますな。

そう、言うなれば……



伊豆に向かいし者たちは、入浴を決意する

ある者は、大切な存在を守るため(自転車で爆走中)

ある者は、更なる力を得んがため(既に入浴中)

また、ある者はイハドゥ……もとい、ハヤテを愛するが故に……(恋と友情の狭間でいろいろと……)

そして、全ての事象は「エルツヴァーユ」……じゃなくて「隕石温泉」へと収束する……



……モトネタ分かる人イルカー?

格ゲーにあらざる格ゲー「封神領域エルツヴァーユ」だよ~

ちなみにナレーションはハヤテと同じで若本さんデスヨー。渋いよー。


……まあ、最近の私は、こんなおかしなテンションでございます。


それはさておき、年末年始にかけてのいくつかの小話は、全て今回の話を描くための伏線であったということが明確になった今回ですが、前にも書いたように、今回の旅ではいろんなことを同時に起ころうとしています。

その中でも、今週の話において一番重要な構図のみをピックアップすると、次の2つでしょう。


1)ヒナギクVS西沢さん

2)ナギVS西沢さん


1)に関しては、起こるべくして起こった構図の話ですな。ヒナ祭編の際に、ヒナギクはハヤテに対する好意を自覚してしまった以上、彼女はもうそれまでと同様に西沢さんと接するわけにはいきません。この2人の構図は早かれ遅かれ顕在化してくると踏んでいましたが、今回の旅でついに盛り込まれてきました。ある意味では、ヒナ祭り編の延長線上にある話です。

2)はというと、これこそハヤテという作品が情報の格差を上手いこと利用した舞台演劇的な作品だと証明しているかのような、そんな構図だと思っています。

「ぷらずまだっしゅ!」さんも言及されておりましたが、今回のナギと西沢さんとの絡みは、ナギの素性を全く知らない西沢さんだからこそ可能だったわけです。普通に家族の中で生活してきた西沢さんと、家族のいない屋敷の中で育ってきたナギ。この2人の決定的なまでの情報の格差が、ここで生かされているわけですな。

今回ナギは自分の両親に関しての話題をうやむやにしてしまいましたが、ナギにとって西沢さんは、咲夜以上に外部としての色が強い存在です(ハヤテにとっての西沢さんは、むしろ情報的な距離からいうとさほど遠いわけではないんですが)。
最近tanabeebanatさんの日記等で西沢さんの存在意義についてを論じられていることが多いですが。舞台演劇の側面からすれば彼女の存在はまず何より、ナギにとって「外部」の人間である、ということに集約されるでしょうね。

「ナギにとって」というのがミソです。ハヤテはこの作品において、屋敷への闖入者としての側面を持っていますから、ナギと同じプライベートな空間にいるとはいえ、比較的西沢さんに近い情報の持ち主でもあります。

しかしながらハヤテは三千院家の屋敷というプライベートな空間に縛られています。そしてプライベートな空間では対話よりも会話の方が好まれます。

以前考察でも書きましたが、情報の格差のある相手に対して話すには、会話ではなく対話が必要なのです。会話というのは本来同じ共同体の中で、似通った情報を共有している人物同士の間で使われるものですから。

つまり西沢さんは、ハヤテにはできないナギとの対話をハヤテの代わりに行っていける存在であると、この意味では考えていくことができます。

西沢さんは普通な人です。というか、この作品におけるナギやマリアさんやヒナギク達と西沢さんが接触する度に、西沢さんは自分が彼女達に比して普通なのだと定義させられ続けている気もしますが。いずれにせよ、彼女とナギはどう考えても別世界の人ですから、どうにしたって対話せざるをえません。

今回の話のラストで、ナギが自分のことを名前で呼ぶように西沢さんに言ってますが、これはつまり対話によって生じた産物でしょうね。今回の一件で西沢さんは、ナギが家族のことについて少なからず複雑な事情を抱えていると知りましたし、ナギの方も、途方に暮れていた自分を助けてくれて、最後まで守ってくれた西沢さんに対し、何かを感じたんでしょう。互いが互いの情報の格差を少しずつ是正しています。

今回少しだけ出てきたナギの両親についての話も、ハッキリとしたことが分かるようになるには、もう少し西沢さんとナギに対話をしてもらう必要がありそうです。多分温泉にでも浸かって。


ちなみに、上に挙げたような意味では、西沢さんと咲夜嬢とは対照的な存在ではないでしょうか。


この2人はどちらもハヤテ達がセミパブリックな空間(今回のような伊豆への道中も、ある意味ではセミパブリックな空間として定義できるでしょう)に存在する際に、外部の人間としてちょっかいを出しにくるわけですが……

咲夜はどちらかというと、ハヤテよりもナギやマリアさんに近い存在です。有している情報は、ナギ達の情報と近似しているはず。親戚であって、昔からの付き合いなわけですから。

一方の西沢さんは、ナギよりもハヤテに近い距離にいます。もちろん恋路がどーのこーのではなく、単純に有している情報の問題ですが。

てことは、情報の格差を求めて(つまりは対話を求めて)話を作っていく上では、ハヤテのいるところに咲夜を登場させ、また一方でナギのいるところに西沢さんを出すのが効果的なのかもしれません。

今回はナギと西沢さんの間でこういうやり取りがあった以上、確実にナギについての話が描かれるでしょう。てことは、そこには西沢さんがいるべきで、咲夜の登場する余地があまりなくなってくると……

結論:今回の伊豆旅行に、咲夜がメインとして登場する確率は皆無に等しい

自分で書いて何だが、咲夜ファンには絶望的な結論が出てきちまったよ……ただ、もしもナギの家族に関して語られるというのなら、親戚である咲夜が何らかの役割を果たす可能性は否定しませんが、物語の核心に迫れるかというと、どうしても疑問が残りますね……

ただまあ、さっきも言ったように今回の話は複数のことがらを同時に処理しようとしていますし、西沢さんVSナギという構図に、西沢さんVSヒナギクの構図や伊澄達がどういう関係で絡んできているのか、その辺もハッキリとしてこない状況ですから、私はこれ以上はなんとも言えませんな。

まあ、ぶっちゃけた話、来週に期待ってことですな。来たれ、咲夜嬢!

結局それかいってツッコミはなしの方向で……
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参考文献っていうわけでもないんですが……

さっきの記事にのっけ損ねた参考文献に関する詳細をピックアップ




「創竜伝」



痛快すぎる4兄弟がステキ。個人的には先の記事でも挙げたこの6巻が一番好きだったり。はやく14巻が出てほしいんですが……気長に待ちますか。そう言い続けて4年くらい経ったけど。





「ナルト」



波の国編~中忍試験編くらいまでが特に大好きな作品。最近の暁戦は如何せん消化試合のような印象が……「大切なものを守る」っていうことを信念にした、本来の路線に立ち返って欲しいと個人的には望んでるんですが……
それでも毎週ジャンプで読んでます。





「テイルズオブファンタジア」



何故にGBAのイラストかっていったら、私が最初にやったのはこれだから。いや、十分いい出来でっせ。何よりGBA版のクレスは歴代主人公の中でも最強クラスの剣士ですから。





「デジモンテイマーズ」



デジモンシリーズの中ではこれが一番好きなシリーズ。やはり子供だけでなく、周囲の大人もしっかりと参画できるように描いた作品はこれが唯一ですから。何より究極体進化のシーンは神だと思うんだが。





「カードキャプターさくら」


語るまでもないアニメ史上に残る名作。私はアニメから入ったクチですが、本当にすごいよ、この作品は。個人的には山崎くんが大好きですわ。



なんつーか、わちきのアニメ・漫画遍歴を再確認したかのような記事になっちまったなあ。
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ヒナ&雪路で一本作ろうとしていた畑先生の考え方はむしろ王道だろうと今更思い起こしたり

やーっとレポートに全てケリがついたぞー。

これで向こう2ヶ月あまりの自由は保障されわけだが……

まあいいんだよ、んなことは

例のごとく日付が変わって水曜になっても即座にサンデーが読めるわけではないから、また無意味にハヤテについて語りだす、そんな2月の夜。

で、今回のお題はタイトルに書いたとおりです。

つまりヒナギク嬢と雪路姉さん(むしろ姐さんと呼びたい。特に意味はないが)のコンビは実は非常に理想的なコンビではなかろうか、とマジで今更ながらに思ったわけです。

ヒナファン、雪路ファンの方々からすれば「何を今更」って感じかもしれませんがね。

ただしワタシは咲夜贔屓なので、最終的には咲夜に話が繋がっていきます。多分。

 以下、すんげえ長い考察が始まりますが、ご容赦の程を。

 まあ、簡単に言ってしまうと、このハヤテという作品には非常に珍しい(というかむしろ作品の性質としてはあってはならないはずの)子供と大人という対比の構図が桂姉妹の関係には存在しているのですよ。

 この構図をワタシが重要視するのには一応ちゃんとした根拠、というか論拠が存在しています。もっとも漫画ではなく小説からですが。しかもえらく昔のものなので、記憶違いっていう可能性もなきにしもあらずですが……

 小説家、田中芳樹氏の代表作である「創竜伝」の単行本版第六巻(染血の夢)の巻末対談において、著者である田中芳樹氏と同じく小説家である太田忠司氏(だったと思うけども)との対談が書かれていたのですが、その中で「子供がいろんなモノにかかわり、事件を解決していくにしても、見守る大人の存在が不可欠である」ということを太田氏が言っており、田中氏もそれに賛同していた文章があった覚えがあります。同氏の作品で言うと、狩野俊介における野上英太郎ということだそうですが……詳しくはまた今度調べてみます。

 まあそれはさておき、ワタシはどんなに子供が活躍するような話であっても、保護者としての大人の存在を描き出すことは決して無意味な行為ではない。むしろ子供が頑張れば頑張るほどに、そういった大人の存在をしっかり描き出す必要がある、という上述の理論にとても納得がいったんですな。

 たいがいの少年少女を主人公に据えた作品では、登場する子供たちは大人顔負けの才覚や能力や信念を持っていて、大人ですら相手にしたくないような敵や困難に対しても果敢にぶつかっていき、それを倒し、乗り越えていきます。こうした作品性そのものには、ワタシは何の文句もありません。むしろ清々しい。

 しかし、そんな子供たちが中心となる作品において、意外と抜け落ちてしまいがちなのが、彼ら「子供」に対置されるべき「大人」の存在意義なんだと思うんですわ。

 子供がどれほどにスバラな力を持っていても、時として如何ともしがたい行き詰まりを見せることがあるはずです。それは彼らがむしろ「子供」であるからこその躓きであったりもします。どれほど登場する子供たちが賢くて、冷静であったとしても「子供心」を失っているはずはありません。読者である子供たちに共感を持たせるためには、あるいは大人の読者にとって彼らが子供であるというリアリティを見せるためには、彼らはどんな力を持っていようと「子供」であって「子供心」の持ち主なんですよね。

「若さゆえの過ち」っていうのはかなりベタベタな表現でしょうが、例えばガンダムなんかはその典型、というか極端な一例じゃないでしょうかね。まだ子供と呼べる主人公達が戦争の中で苦悩するっていう描写は、彼らが子供だからこそ描き出せるものでしょう。で、それの対置として、彼らの周囲にはしっかりした大人がいつもいますね。
 SEEDを例に挙げれば、ニコルの死をもってアスランがキラに対して明確に敵意を持ったような、そんな感じでしょうか。「何故旧友同士で殺しあうのか」というカガリの問いかけに対するアスランの答えは、彼が子供であるからこそ持ちうる感情も必ず幾分かは含まれているはず。

 まあガンダムはかなり極端かもしれませんが、とにかくスバラな能力を持った子供であっても、子供だからこその苦悩は必ず付いて回るものです。これが描かれなかったら、彼らは子供である必然性がなくなってしまう。どんな完璧超人だ、ということになっちゃうでしょう。

 だからこそ、逆に言えば大人がしっかり描かれている作品ほど、子供は子供らしく振舞うことができるんだと私は思うんです。

 一方で大人が子供と分かたれる決定的な差は、つまりは「大人」そのものであるということ。端的に言えば年齢と、それに裏打ちされた経験です。これは子供がどんなに望んでも、普通は大人以上に手にすることはできません。
 で、子供がその子供らしさゆえに躓いたとき、後ろからしっかりと彼らを見てやっている大人がいることで、子供は更に前に進んでいくことができるのではないか、と。

 ただ、大人が直接子供にアドバイスしたりとかする必要はない気がするんです。ていうか、こういう作品では子供のほうが力があるわけだから、アドバイスなんかで大人の出る幕なんぞ殆どないはず。でも後ろにはちゃんと大人がいて、見守ってくれている。そのこと自体が子供にとっては安心できるよりどころであるわけで。
 非常に表現しにくいところではあるんですが、そういう目には見えないし言葉にもならないけれども確かにある、大人が持つ「安定感」これが子供を更に前に進ませていける原動力になるんじゃないかと、私は思うわけです。

 いうなれば「ナルト」におけるカカシ先生のようなもんだろうか? いや、イルカ先生や児雷也の方が合ってるか?
 RPGで例えるなら「テイルズオブファンタジア」におけるクラースみたいな。この人は本当に保護者という立場ですがね。
 あるいは「デジモンテイマーズ」における山木室長やジェンの父さんみたいな。
 もっとハッキリした例を挙げると「カードキャプターさくら」における藤隆さんや桃矢だったり。

 こうした作品は全て子供が主人公ですから、大人たちはたいてい子供のやることに強く反対したりはしません。しかし子供が何かをやり遂げる様を最後まで見届けています。そう、何もしなくても見届けている人がいる。そういう感覚が大事なんじゃあないかと。

 ……で、えらく長いこと書いてますが、これをヒナギクと雪路のコンビに当てはめると、いろいろな面でしっくりきます。

 ヒナギクは基本的に何でも出来る子です。才色兼備どころかオールラウンダーです。それも超高水準の。雪路はどの辺とっても(胸以外は)ヒナギクには勝てそうにありません。
 でもそんなヒナギクにも、人には言えない弱い面が存在します。それは彼女にとって忘れたくても忘れられない過去の遺恨でもあるわけですし、 tanabeebanatさんなどはこの2面性こそがヒナギクの人気の秘密でもある、と仰っています。ただの完璧超人ではなく、ちゃんと弱さを兼ね備えている。だからこそ親近感が沸く。言うなれば弱点こそが長所なわけです。

 ところがその一方で同じような境遇にあったにもかかわらず、雪路はそういった過去の遺恨に大きくとらわれているような様子はあんまりありません。むしろ済んだこととして心の中で整理が付いてしまっているように思えます。これはハッキリ言えば彼女が良くも悪くも大人だからでしょう。もちろんヒナギクと比較してって意味ですがね。雪路はヒナギクのように過去を引きずらず、むしろ笑い飛ばしてしまえるようなバイタリティーの持ち主ですが、これは彼女が大人だからこそ成せる業。そしてここにこそ、雪路が大人としてヒナギクに対することの大きなメリットがあるのではないでしょうか。

 子供であるヒナギクがいくら才色兼備で雪路よりもはるかに優れていたとしても、子供であるが故の苦悩や迷いというものは必ずついてまわるわけで。それこそが自分を捨てた両親への執着であったりするのですが。一方雪路はヒナギクと比較すれば確実に頼りない大人ですが、何より人生経験を積んだ大人であるということそのものが、彼女をヒナギクを見守ることの出来る存在へと押し上げていると私は思います。だからこそヒナギクは、雪路に妹として接するんでしょうね。自分が苦悩しているその一点のみにおいて、自分は姉のように割り切ることはできない。だからこそ似た過去を持つハヤテに興味を持ち、いろいろと騒動が巻き起こったわけですが。

 さて、ここでハヤテと雪路との大きな差異に気をつけなければなりません。ともにヒナギクと同じような境遇に置かれていた2人ですが、ハヤテは子供で雪路は大人です。そしてこの境遇、雪路にとっては「済んでしまった過去」ですがハヤテにとっては「現在進行形で解決しなければならない事態」です。この2人のうちヒナギクと距離が近いのはどちらかといえば、明らかにハヤテですね。ヒナギクは多かれ少なかれ過去をまだ引きずっているわけですから。

 で、近しい二人同士が対話したからこそ、ヒナ祭り編においてヒナギクは過去の遺恨に対して一応の見切りをつけることになったわけでしょう。同じ境遇に置かれていた人物でありながら、大人の雪路ではなく、同じように苦悩するであろう子供のハヤテだからこそ、ヒナギクの苦悩を分かち合い、軽減することも可能なんですな。雪路は大人であるがゆえに、ヒナギクの苦悩を分かち合うことはできません。 ただ、そういった苦悩に整理をつけた身として、彼女を後ろから見守るだけです。この位置関係がミソ。このハヤテという作品においての主役が「子供」であるということを暗に示しています。

 自身の苦悩を最終的に解決するのは「子供」であるヒナギクやハヤテ自身であって、そこに雪路が何かを差し挟むことはまずできません。
 彼女はただ「大人」として見守るわけです。ヒナギクと長年連れ添っていた雪路ではなく、ハヤテがヒナギクと語らうことで、彼女の苦悩を軽減したのは、当たり前とはいえ大人と子供という決定的な差異が存在しているからこそなのではないか、と私は思います。
 もちろんヒナギクが倒れそうになったりしたら雪路は姉として支えはするでしょうが、他のポテンシャルで雪路に勝っているヒナギクは、最終的には自身の力で立ち上がろうとするはず。雪路は基本的には見守る存在です。

 この作品は子供の成長を主眼に捉えている以上、大人である雪路は既に変わらぬ存在として、見守るだけの存在として描かれているわけですが、それ自体が非常に重要なポイントでもあるんです。だからこそ当の雪路は何があってもまず倒れそうにない、あんなバイタリティに溢れたキャラとして描き出されたんだろうと、今更ながらに私は考えています。倒れて苦悩し、答えを見出すのはヒナギクのすることですから。

 うげ、めっちゃ長い。今日提出したレポートよりも。咲夜について言及するのはまたってことでいいっすかね?

 やっぱり文章は短くしていく努力をせな……
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