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【霊告月記】第十三回 「カラマーゾフの兄弟・続編」への序曲

2016年11月01日 10時00分00秒 | 霊告月記11~15

【霊告月記】第十三回 「カラマーゾフの兄弟・続編」への序曲 

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 ネチャーエフはロシアの革命の歴史に出現した確信犯的革命派の始祖であろう。確信犯的革命派のどこがダメかと言えば、それはロシアに現れたヒューマニストの典型だからである。ヒューマニズムとは一切の価値の根源を人間に置く思想である。ドストエフスキーはこのヒューマニスト=確信犯的革命派を断固たる決意を持って批判した。しかしドストエフスキーの決意は何度も揺らいだ。その揺らぎが彼の作品を形作った。巨大な渦を巻いて揺らぐその逡巡の幅の大きさに、我々もまた吞みこまれて21世紀まで来てしまったのである。

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 ドストエフスキーの出した質問はたったひとつ。神はあるのかないのか。神はないなら、一切の価値の根源を人間に置く思想が正しい。したがって確信犯的革命派=ヒューマニストが正しい。神があるなら、確信犯的革命派=ヒューマニストが間違っていることになる。
 ドストエフスキーの対話においては、テーゼ(=神はある)とアンチテーゼ(=神はない)が対立したままジンテーゼ(=総合)には決して到達しない。対話は永遠に終わらないのだ。このような構造をミハエル・バフチンは発見した。
 この日本には、確信犯的革命派=ヒューマニストは、死んだ人もいるが、いまも牢獄の中にいる。ネチャーエフ問題はまだ終わっていないのだ。

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  トカチョーフに関して、ベルジャーエフが『ロシア共産主義の歴史と意味』において、「かれは過去のロシアの革命家のうちで、政治権力を口にし、それの獲得と組織化とを説いたきわめて少数の一人、いな、ほとんど唯一の人だった」という評価を下している。彼こそはレーニンの先駆者にして連合赤軍の先駆者でもあるだろう。
 トカチョーフは、「何をなすべきか」について、レーニン以上に心に届く言葉を語るすべを持っていた。彼は新しい言葉を発した。レーニンの『何をなすべきか』は、トカチョーフの言葉の焼き直しに過ぎない。そう感じずにはいられない何かがある。

 『カラマーゾフの兄弟』の未完の第二部はアリョーシャが僧院を出て13年後の物語になるはずであった。この第二部ではアリョーシャは革命家として姿を現す設定になっている。革命家アリョーシャのモデルになるのはトカチョーフであろうというのが我が妄想(=仮説)である。

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 私の構想はこうである。アリョーシャが革命党の首領になり、コーリャはその忠実な信徒になる。このコーリャはトカチョーフの精神を全面的に体現をする。アリョーシャは、最初のボルシェビキであると同時に、ロシア革命の精神を全否定する最初の人でもある。そういう二重性=矛盾を孕んだ構図を描いてみた。そのような構想の下に書き上げた習作が、我が『カラマーゾフの兄弟』続編なのであった。


   ※参照※⇒【創作】『カラマーゾフの兄弟』続編

 

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