倫子的心声~SuperCaliFragilisticExpialiDoCious!

もこもこタマシイ冒険記 会社人編

ヴェネツィアから早稲田まで

2007年09月30日 | おでかけしましょ♪

夏休み最後の金曜日の出来事。
家を飛び出そう!と思ってとりあえず湘南新宿ラインに乗った。
行き先は渋谷!久しぶりで怖かった。

Bunkamuraミュージアムで開催中の「ヴェネツィア絵画のきらめき」展に行くためである。Bunkamuraはいつもチョイスが良くて大好きな美術館の一つだけど、今回はあまり興味が湧かなかったので行くつもりではなかった。しかし、前回のルドン展で書いたアンケートが当選して招待券がもらえたので折角なので行ってきた。

ちなみにモコモコは今年は随分当たり年らしい!モニター旅行を始め、お茶50缶、Suicaスパセット、ベビースターのスーツケースなど続々と当選する!(詳しくはまた別の機会に…)今まで全然当たらなかったのに~!懸賞女王の姉でさえ、私に応募を頼んでくるほど。ツイているうちに色々出してみるか~。





平日の午前中という事もあって館内はガラガラでした。いるのは年配の夫婦ばかりなり。展覧会のないようによって全然違うのね~。ゆっくり好きなだけ鑑賞出来たけれど、この時代・このテーマの絵画はあんまり好きではないのでささっと。イタリア、それも16世紀から18世紀にかけての作品が多かったので必然的に宗教画も多くて、何というか見飽きた感が…(ごめんなさい)。古い額縁などを見て楽しんでました。


1点、ティツィアーノは流石に強烈でした。しかも私の好きなテーマ・サロメだし!その造形美?曲線とか、顔の表情とか輪郭とかたまらなく美しかった!ポストカードはこの作品のものだけ2枚買って、早速1枚友達に出しました。(う~ん、やっぱりネット上の画像ではその美しさが全然伝わらなくて残念…)




ティツィアーノ・ヴェチェリオ
《洗礼者聖ヨハネの首をもつサロメ》
1515年頃 ドーリア・パンフィーリ美術館蔵、ローマ 
Galleria Doria Pamphilj, Roma


あと、コルナーロ家っていうめちゃめちゃ栄えた一族のうち3人の巨大肖像画がこれまた印象的でした。キャンバス楕円!これって特注だよね…目算で、縦3メートルくらいの絵が、どーん・どーん・どーんと3つも並んでて迫力に押された。ジャンバッティスタ・ティエポロって画家の肖像画が好きだったが見つからなかったので↓で。しかしこの絵、構図がおかしくない?背景の建物のアーチが人に対してこれだけ下に来てるってことは、(画家は下からモデルを見上げているわけだから、)このオジサンは相当高い台の上の椅子に腰掛けてることになるよね。そんなに偉い人だったのか!?色々建物の構造などを想像して苦悶した私でした…




セバスティアーノ・リッチ
《統領ジョヴァンニ・コルナーロ1世の肖像》
1715年 個人蔵
photo:Antichita Pietro Scarpa, Venezia



ミュージアムショップでは、Bunkamuraは本当にセンスが良くて困っちゃうんだけど、クリムトのKissシールだけ買いました。本当はミュシャのポストカードセット(¥1260)を買っちゃおう!と腹を決めたのだけど、そんな贅沢できる状況ではないことにふと気づき泣く泣く棚に戻しました~。24金のしおりも素敵だったけど…ミュシャは2006年のカレンダーがあるからいっか、と納得させて。前回来た時にいいな~と思っていた女の子の天使のグリーティングカードは見事になくなっていました…泣!(確かNYのMOMAかMETROに所蔵されている絵だったと思う)やっぱり欲しいと思った時に買わないとだめだな~と思いつつ、今回もミュシャは買わず。


  
↑クリムトのKissシール。「接吻」はとにかく人気だよね~。私も好き。


 


その後お腹が空いたので近くのスタバに入って、何を飲もうか迷っていると店員さんが話しかけてくれて相談に乗る気満々の様子だったので、「胃を壊しているのでコーヒーは飲みたくないんです」(スタバに入ったのに笑)と言ったら、メニューにはない特別のHOTの飲み物を作ってくれて嬉しかった!優しいのね!おいしかった!「飲みすぎですか?」と聞かれたので(笑)、「食べすぎです」って答えた。それから何故か中国とかフィリピンに言った話になって、フィリピン料理は美味しいですよ!と強くオススメしておいた。何故かノリノリのおにーちゃんでレジで立ち話なんぞしてしまった。アメリカチックだな、と思ったのでした。


それから渋谷をぷらぷら歩いて、というよりのそのそ駅まで向かっていたら後ろから声をかけられて、いつもならそういうのは軽い会釈で全部無視しているのだけど、しつこいので勧誘に付き合うことにした。振り向いたら顔が真っ白で目の周りが真っ黒な若い女の子!そんなにファンデーション塗って大丈夫なの!?と密かに思った。まぁあれだ、美容サロン系の勧誘。「何歳ですか?」って聞くから「23歳です」て答えたら、「え・若い!20歳くらいに見えますよ!原宿とか歩いてそうですね!」とかなんとか。そんなに私は幼く見えるのだろうか、と思いがっくりしたが、まぁ若く見られたと思って喜んでおこう。それにしても原宿とは。彼女は無理矢理、ファッションや雑誌の話をしてくるのだが私にはサッパリ分からなくて、「ごめんなさい興味ないんです。」としか答えられず。う~ん、頑張って好印象与えようと自分の知る限りで色々と話してくれるのは良いのだが、見事に私の守備範囲(?)とオーバークロスしてなくて…でも頑張っている彼女は応援したくなりました。たとえそれが仕事だとしてもね。んなわけで、これから学校行きますので、と言ってサヨナラ。勧誘の人も大変だよね~。私ってヘロヘロしているせいか、一人でいる事が多いせいか、こいつなら大丈夫そうって思われるのか、よく勧誘の人に捕まって困りますよ。。。


  


それから学校へ行って、図書館で本を返した。5冊は重かった。重くてもそれを持っていかないと途中で面倒になって家に帰ってしまいそうだったから、無理矢理自分に課したはずなのに、よくある事なのだが、また5冊本を借りてしまって重い思いをするはめに。笑えるね。


それからユーコリンと軽くお茶をして帰りましたとさ~。ちなみに22号館で、昔の空手仲間に約3年ぶりに会ってびっくり!眉毛が細くなってました。宮ぽんとマサマサにも会ってびっくり。学校に来ると色々な人に会えるんだね。嬉しいね。マサは既に134単位を取得しているらしく、必須単位を10も超えている!それ私に頂戴よ、って言ったら40万で売ってやる、だって!足元みたな!


まぁこんな感じの1日でした。お披露目。



  
↑Cafe125で衝動買いしたガムケース。捨て紙も入れられるようになっている。




まっすぐ

2007年09月30日 | 思惟と思索のひび




どう生きたい

と聞かれて


太く短く

とか


細く長く

とか答える人がいる



私なら

まっすぐ強く







先日、良い整体ジムがあると母から聞いた。

身体の歪みを治したい

とつぶやくと

まずは心の歪みからでしょ

と一言。


ずしり。



確かに心の歪みと

身体の歪みの相関関係って深い

背骨とか特に



でも親から見て私ってそんなに

心が歪んでるように見えるんだ

ってショックだった

努力してたんだけどなぁ



うんまぁわかる。

反抗的だし

素直じゃないし



多分、外の私と内の私は全然違って

自分でもその差をどうにかしたいと思ってる

まずは身内からだって




それでも素直に受け止められなかったのは

深い深いトラウマがあるからだろうか

それは多分、自分で創り上げた被害妄想



このままじゃ

今までの繰り返しになってしまう、

と思って

その後お風呂に入りながら

心の整理をした

言葉を素直に受け止よう

私が背負った人生の課題








まっすぐまっすぐ

今はまだすぐにそうはなれないかもだけど

きっと、できる




まっすぐな心とまっすぐな身体





考えている

2007年09月29日 | 思惟と思索のひび

思いっきり生きてみたい。ときどき思う。

思いっきり生きるって何だか自分でも分からないが
なんとなく身体の奥底から湧き上がるエネルギーみたいなのが
何かしなくちゃ!って突き動かしてくる。

色々な場所へ行ったり、色々な行動を起こしたり。
人にたまらなく優しくしたくなったり、何か形に残るものを作ったり。
(あまり具体的でないのは、今まだ将来の目標がはっきり見えてないせいだ。)

あれもしよう、これもしよう、などと考えているうちに
でも何か一気に虚無みたいな感覚が襲ってくるときがある。
こんなことして何の意味があるのか、なぁんて考えてしまったり。
自分のためにするのか、人のためにするのか、
見栄でやってるんじゃないのか、結局疲れるだけじゃないのか、みたいな。

そういう流れや揺れは1日の中であるし、1週間の中でもあるし、
一番この影響が大きいけれど、1月の中である。
長い目で見れば何年ものサイクル毎にもあるのだろう。

そんな流れに左右されながら、そして様々に起こる事象にも
影響されながら、人生って編み出すものだ。
いつも自分を刺激していたい。学んでいたい。
止まっていても、進み続けたい。
本当に何もかもが止まったときが、多分人生とさよならするときだから。






色々なことを、落ち着いて考える必要があると思う。
特に私の場合は、自分の行いや内面を見つめなくちゃならない。

人の振り見て我が振り直せ、とはよく言う。
人の事はよく見えるが自分の事となると、見えているようで全然見えてない。
バイトや何かしらの活動をして多くの人と出会い、一緒の時間を過ごして
共に作業をすると本当に色々な事が見えてくる。

あぁどうしてこんな言葉を吐くんだろう、こんな事するんだろう
なんて思ってはっと自分を振り返って、はて自分はきちんと出来ているだろうか。
出来ていない場合の方が多い。往々にして。恥ずかしくなるね。

私はついカッとなりがちな人間である。
一気に体中の血が逆流するような怒りを覚えるとき。
ふとした事にいらっとするとき。
自分って心が狭いな、と思う。
何かに責任を押し付ける傾向にもある。
それを認識しているだけマシかも。
でも認識してはい終わり、じゃだめだよね。人間だから。






多分必要なのは、想像力だ。
それは思いやり、という言葉でも表せられる。

例えば、何か嫌な面が見えてしまったとき。
そうしたのは、そうなったのは、多分本人のせいじゃない。
本人だってそうなりたくてなったわけじゃない。
ただし、それを気づいて直す責任は本人にある。
かと言って、それを私が押し付けられる立場にはいない。
それにも気づけないのは本人のせいじゃない。
かわいそうなのかもしれない。

これは自分にも当てはまることだ。

では今度、こちらからどうアプローチすべきか?
気にしない。他人にはしない。方向を示す。
うんでもこれは、多分色々な事が見えていないと中々難しい。
それに感情のコントロールも。穏やかな言動も。
鍛錬が必要だ。精神の鍛錬。


寄りかかってきたタバコ臭いおじさんも、きっと誰かの父親なんだわ。
家族のために身を粉にして働いて、疲れきっているのかもしれない。

小汚い格好したおじさんも、きっと必死に生きているんだわ。
誰かの家族であって、誰かにとって掛け替えのない人であって、
同じ人間で、でも何かの拍子で外へ転がり出てしまった。

人に突進しながら何も言わずに道行く人だって、
人の話を聞くどころか割り込んで自分の意見を押し付ける人だって、
悪口ばかり、文句ばかり言っている人だって、、、、、、、、

なんてさも自分はそうでないかのようだけど、
多分誰かから見たら私もきっとどうしようもない人なんだわ。

うんでも、やっぱり必要なのは想像力だ。
どこまでその人が持っている事情を考えられるか。
どうして、そうなるのか。あぁ難しいわ。




Wandering beneath the FULL MOON

2007年09月28日 | v根源回帰v



夜が好きだ。

地元の夜が好きだ。



東京から長く長く電車に揺られて地元に着くと本当にほっとする。
今日も帰ってこれた。
街の香り。植物の香り。そして潮の香り。
歩きなれた道に、見慣れた街並み。
季節ごとに変わる生き物たちの匂い。








夜の植物たちが好きだ。
街頭の木々。道端の雑草。家々に植えられた花。
昼間とは全然違う表情をしている。
そこに「ある」という存在感が、夜は際立つ。
触らずにはいられないほどの生命力を感じる。
車が一台も通らない大通りを、
風がざっと吹き抜けて街路樹が一斉に騒ぐ様子が好きだ。







夜の海へ行く。
月が美しく出た夜の密かなる楽しみ。
たまに、ワインやチーズを携えて。
音楽を携えて。カメラは欠かさない。








海へ続く道を歩きながら星空を見上げ、
国道129号線を跨ぐ歩道橋を渡って
日常から海の世界へ。


だけど海へ行くにはまだあともう一歩。
防砂林だ。
防砂林の間の暗い道を通らなければならない。
ここが一番こわい。


鬱蒼と生い茂る木々の間に引きずり込まれそうになる。
とんでもない世界へ連れ去られそうな気分になる。
勇気を振り絞って足を踏み出し、進めた日にだけ海に会える。







夜の海!夜の海!夜の海!
どんなに幻想的か知っていますか。


月明かりが砂浜の上にはっきり描く自分の影にぞっとする。
歩いていた波打ち際が、
満潮時には20メートルも沖側だと知ったときの怖さ。
数十回に一度、タイミングがそろって波が大きく襲ってくるときの怖さ。
だぁれもいない海に、抱えきれないくらい大きな夜空と、月。
たまらないねぇ。






 PET SHOP BOYS  "HOME AND DRY"





生き方上手

2007年09月28日 | ゆさぶられたコトバ
日野原重明著・新生き方上手(ユーリーグ)より。いいわぁ。さすがベストセラー。



用意された、しかし偶然を装う出会いに、私たちがある日突然遭遇したときに、それを出会いとして感じ、さらに自分の人生に意味づけることのできる準備がそのときにできているかどうか。それが、出会いがすれ違いで終わるか、人生に決定的な意味をもつ出会いにつながっていくかの大きな違いとなるように思います。(P44)



人間が宿命的に自己愛をもっています。誰でも簡単に他人を批判しますが、自分のことは鏡に映らないので自分を厳しく批判せず、やたらに人を裁きます。それでは良い人間関係は生まれません。人間はエゴの価値システムで生きるか、愛するという価値システムで生きるかで、人間関係に差が生じます。(P87)


To cure sometimes,
to relieve often,
to comfort always.


(病を治すことは、ときどきはできる、病む人の苦しみを和ますことは、しばしばできる、そして病む人の心を慰めることならば、いつでもできる。)(p167)

(フランスの外科医・アンブロワーズ・パレ(1510~90)の言葉)