一番長く連れ添った男の誕生日に、電話が鳴った。
時間は26時を過ぎた頃。草木がうとうとしかけた丑二つ、の頃合いだ。
私は起きてPCに向かっていた。
電話にはいつもすぐに出るようにしている。電子音が嫌いなので常時
バイブにしてあるそれは、いつもジーパンの後、右ポケットが定位置だ。
一つは上述のとおり、電子音が嫌いだということ。
そうしてもう一つは、人を待たせたくないということ。
会社のそれと同じように、自分の携帯もすぐに出られるように体の傍に置いて
いるのが常である。
というのは建前で、本当のことを言えばメールに依存していた頃の名残だ。
忘れかけていたが、かつては特別な日だった。
だからといってどうするものでもない。
時間を忘れて作業に没頭していたが、震動が着信を伝えたときはさすがに驚いた。
仕事で徹夜にも慣れた私だが、なけなしの一般概念に照らし合わせて
夜中の二時に電話を鳴らすのは常軌を逸していると断言できる。
でもそれは、誰かがどうしても今誰かを必要としていて、それが私だという
ことでもあった。
非通知、だった。
基本的に私の携帯は仕事以外に鳴らない。ワンギリも、迷惑メールすら皆無だ。
いろいろな経緯で多くの人を切り捨ててきた結果なのだが、それ故にかかってくる
電話は至極重要な人からの重要な案件に限られてくる。
勿論、社交辞令で携帯番号を教えることも無ければ気軽に個人情報として登録
することもごくまれだ。
その上、取引先の事情で非通知ガードを設定できない理由があった。
だからこそ。
そして、私には心を病んだ知人が何名かいた。
私自身そうであったことから、相談を受けることや相談と謂わないまでも
人には云えない聞いて欲しい話を打ち明けられることもままあった。
私は他人に相談できる強さを持たなかったので、それらに敬意を表して、
できる限りのことであれば可能な限り応えようというスタンスでいる。
だからこそ。
非通知の文字に、いくつかの顔がよぎった。
電話の奥からはおとこの声がした。
「誰ですか?」
「忘れちゃったの?――――判らないの?」
「非通知だからわかりません。誰ですか」
知らない男の声だと思う。泣いているような感じだ。
だが、それが誰でもなくそういう理由でないのはすぐにわかった。
十八歳、母親に聞かれるとまずいので大きな声を出せないという彼は
ひたすらに荒い息で、私の歳や男友達の有無や、夜寝る前にすることを
執拗に訊いてきた。酒を少し飲んだとも言った。まぁ話半分だ。
つまんないわ。あんた。そんなんじゃ満足できない。あんた
つまんない男だわ。あんた、何のために生きているの?
何のために生きてきたの?ちいさいわ、小さい男だわあんた。
お母さんは知っているの?あんたの行為は、総ての女性を侮辱することなのよ。
あんたお母さんのことも侮辱しているのよ。
踏まれて喜ぶ系だったらどうしようかな、などと考えながら、
結局十五分近くも話していた。電話代は相手持ちだし。
こういうところがいけないのだ私は。鉄則は、相手をしないこと。
その間、この男が誰なのかを私は頭をフル回転させて考えていた。
この番号をしっていて、おそらく私を見知っていて、声で気付かれない自信が
あるけれど非通知にするだけの最低限の知識をもった、経験者。
話具合からいって、おそらく初犯ではない。
相手をするのに飽きて電話を切ってから、唐突に思い出す。
ごく最近携帯番号を他人に教えたこと。
近所の大型スーパーの衣料品売り場だった。
二日前、ジーパンを買い、その際にすそ上げを頼んだのだ。店員は若い男で、
レジに行ったのがサービス時間を過ぎていたために店預かりとなり、
その時引き取り票に、確かに私は携帯番号を記入した。連絡が来ればすぐに引き
取りに行けるよう判断したためだ。
手元の控には、店の電話番号と男のフルネームが書かれていた。
考えよう。
地元の衣料品店の店員が変態性欲者で、業務上知りえた情報を元に
顧客女性に破廉恥な電話をかけたりそれ以上の行為をしていたら?
その店員が試着室のすぐ横のレジで控えていたことになにか意味はないか?
支払いに使ったカード情報は?
入手した番号に電話をかけるまでの間、男は何を考えていた?
電話口で詰られつつも荒い息の下で男は何をしていたか?
店に電話をして男の声を確認する?直接会いに?「お電話くださいましたよね」
逆恨みで私や私の周りに迷惑がかかるようなことになりはしないか?
番号を逆探知する方法は?
こんな形で職場を追われればおとこの人生は終わりだな、
否、万死に値する!
自分の想像力の逞しさにうんざりする頃には夜が明けていた。
起床を促す携帯のスヌーズ機能がこんなにも恨めしかったのは久しぶりだった。
結局、電話会社の問題で非通知番号の特定は難しく、個人情報保護法の壁も
厚そうだ。
(NTTなら、かかってきてすぐ136を押せば最後の着信の番号を音声ガイダンスで
教えてくれる。有料、30円)
店側にねじ込むことも考えたが結局様子見だ。
彼だという確証はないのだから。
だが、悪いときに限って私の勘は外れたことは無い。
刺されて死ぬかな、私。
時間は26時を過ぎた頃。草木がうとうとしかけた丑二つ、の頃合いだ。
私は起きてPCに向かっていた。
電話にはいつもすぐに出るようにしている。電子音が嫌いなので常時
バイブにしてあるそれは、いつもジーパンの後、右ポケットが定位置だ。
一つは上述のとおり、電子音が嫌いだということ。
そうしてもう一つは、人を待たせたくないということ。
会社のそれと同じように、自分の携帯もすぐに出られるように体の傍に置いて
いるのが常である。
というのは建前で、本当のことを言えばメールに依存していた頃の名残だ。
忘れかけていたが、かつては特別な日だった。
だからといってどうするものでもない。
時間を忘れて作業に没頭していたが、震動が着信を伝えたときはさすがに驚いた。
仕事で徹夜にも慣れた私だが、なけなしの一般概念に照らし合わせて
夜中の二時に電話を鳴らすのは常軌を逸していると断言できる。
でもそれは、誰かがどうしても今誰かを必要としていて、それが私だという
ことでもあった。
非通知、だった。
基本的に私の携帯は仕事以外に鳴らない。ワンギリも、迷惑メールすら皆無だ。
いろいろな経緯で多くの人を切り捨ててきた結果なのだが、それ故にかかってくる
電話は至極重要な人からの重要な案件に限られてくる。
勿論、社交辞令で携帯番号を教えることも無ければ気軽に個人情報として登録
することもごくまれだ。
その上、取引先の事情で非通知ガードを設定できない理由があった。
だからこそ。
そして、私には心を病んだ知人が何名かいた。
私自身そうであったことから、相談を受けることや相談と謂わないまでも
人には云えない聞いて欲しい話を打ち明けられることもままあった。
私は他人に相談できる強さを持たなかったので、それらに敬意を表して、
できる限りのことであれば可能な限り応えようというスタンスでいる。
だからこそ。
非通知の文字に、いくつかの顔がよぎった。
電話の奥からはおとこの声がした。
「誰ですか?」
「忘れちゃったの?――――判らないの?」
「非通知だからわかりません。誰ですか」
知らない男の声だと思う。泣いているような感じだ。
だが、それが誰でもなくそういう理由でないのはすぐにわかった。
十八歳、母親に聞かれるとまずいので大きな声を出せないという彼は
ひたすらに荒い息で、私の歳や男友達の有無や、夜寝る前にすることを
執拗に訊いてきた。酒を少し飲んだとも言った。まぁ話半分だ。
つまんないわ。あんた。そんなんじゃ満足できない。あんた
つまんない男だわ。あんた、何のために生きているの?
何のために生きてきたの?ちいさいわ、小さい男だわあんた。
お母さんは知っているの?あんたの行為は、総ての女性を侮辱することなのよ。
あんたお母さんのことも侮辱しているのよ。
踏まれて喜ぶ系だったらどうしようかな、などと考えながら、
結局十五分近くも話していた。電話代は相手持ちだし。
こういうところがいけないのだ私は。鉄則は、相手をしないこと。
その間、この男が誰なのかを私は頭をフル回転させて考えていた。
この番号をしっていて、おそらく私を見知っていて、声で気付かれない自信が
あるけれど非通知にするだけの最低限の知識をもった、経験者。
話具合からいって、おそらく初犯ではない。
相手をするのに飽きて電話を切ってから、唐突に思い出す。
ごく最近携帯番号を他人に教えたこと。
近所の大型スーパーの衣料品売り場だった。
二日前、ジーパンを買い、その際にすそ上げを頼んだのだ。店員は若い男で、
レジに行ったのがサービス時間を過ぎていたために店預かりとなり、
その時引き取り票に、確かに私は携帯番号を記入した。連絡が来ればすぐに引き
取りに行けるよう判断したためだ。
手元の控には、店の電話番号と男のフルネームが書かれていた。
考えよう。
地元の衣料品店の店員が変態性欲者で、業務上知りえた情報を元に
顧客女性に破廉恥な電話をかけたりそれ以上の行為をしていたら?
その店員が試着室のすぐ横のレジで控えていたことになにか意味はないか?
支払いに使ったカード情報は?
入手した番号に電話をかけるまでの間、男は何を考えていた?
電話口で詰られつつも荒い息の下で男は何をしていたか?
店に電話をして男の声を確認する?直接会いに?「お電話くださいましたよね」
逆恨みで私や私の周りに迷惑がかかるようなことになりはしないか?
番号を逆探知する方法は?
こんな形で職場を追われればおとこの人生は終わりだな、
否、万死に値する!
自分の想像力の逞しさにうんざりする頃には夜が明けていた。
起床を促す携帯のスヌーズ機能がこんなにも恨めしかったのは久しぶりだった。
結局、電話会社の問題で非通知番号の特定は難しく、個人情報保護法の壁も
厚そうだ。
(NTTなら、かかってきてすぐ136を押せば最後の着信の番号を音声ガイダンスで
教えてくれる。有料、30円)
店側にねじ込むことも考えたが結局様子見だ。
彼だという確証はないのだから。
だが、悪いときに限って私の勘は外れたことは無い。
刺されて死ぬかな、私。