だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

歴史はつづき人はつながる

2008-11-24 01:45:02 | Weblog

 こうじびら山の家を訪問。地球環境塾の学生たちを連れての合宿である。郡上八幡を流れる清流吉田川を上流に上った旧名宝村(現郡上市)にある。国道から急な細い坂道を上ると山小屋のような建物が見えてきた。
 周囲はスギの人工林と雑木林がまだらに広がる急峻な山の斜面であるが、山の家の周辺はガレキだらけの土地にアカマツがまばらに生えている少々荒々しい印象である。私はなにか特別な土地のパワーを感じた。
 山の家を経営する若い二人の説明を聞いて納得した。ここはかつての銅鉱山跡地だったのである。開かれたのは豊臣秀吉の時代という。名宝村史に明治後期の写真があり、それを見るとはげた山の斜面に鉱夫用住宅や事務所、精錬所などが建ち並ぶ。当時は2000人の人がここで働き、住んでいたという。大正時代にはほぼ閉山し、今はそれらは跡形もなく森の中に眠っている。かつてこの列島に無数にあった鉱山の典型的な姿である。

 今回の合宿では、炭焼き窯をつくるのをみんなでお手伝いした。山の家では、料理をするために炭が必要であるが、今はホームセンターで外国産の炭を買ってきている。それを地元の山から調達したいということで、集落のおじいちゃん二人が師匠になり、窯をつくり焼き方を伝授してもらうのだという。私たちが現場に行くと、おじいちゃんたちが調子よく作業をすすめていた。お二人とも70歳代。元気いっぱいである。
 まず、石垣を一部崩してそこに径2mほどの穴を掘る。重たい泥の中に大小さまざまな石ころが入った地層である。しばらく掘り進めていたら、青黒いあまりみかけない石ころが層になっていた。よく見ると、溶岩のように溶けた岩石がかたまったような石である。高温のガスが抜けた穴が無数にあいている。おじいちゃんたちは「カナクソ」と呼んでいた。つまり、鉱石から銅などをとりだしたあとの鉱滓である。かつて鉱山時代に石垣をつくり、そこに鉱滓を捨てて埋め立てたもののようである。
 みんなでどろどろになりながら土砂を掘り出した。その後は、すぐ横にあるガレ場から適当な石を選んで運んでくる。これで石垣を組むように窯の床や壁面を作っていく。おじいちゃんたちは重たい石を軽々ともちあげる。こちらは慣れない力仕事に足下があやしくなる。

 山の奥の方を散策すると、雑木林とスギ人工林が繰り返している。急な山道を20分ほど登ったスギ林の中には、かつて使われた古い炭焼き窯が残っていた。入り口はアーチ状に自然石を組んだしっかりしたものだ。天井はつぶれておらず、中に入ると一番奥に煙突の穴もしっかり残っていた。昨日まで使われていたような感じである。
 なぜスギ林の中に炭窯があるんだろう、と不思議に思ったが、この近くに窯跡はいくつもあると聞いて合点した。ようは雑木林を皆抜してスギの苗木を植えた拡大造林の時代、伐った雑木をかたっぱしから炭にして出荷したのであろう。今から50年ほど前のことである。

 山の家は、大きめの農家のような造りである。田の字の部屋に、旧式の薪ストーブがよく似合う。少々くたびれた感じなのは、しばらく空き家になっていたせいだろう。山の家代表のきーちゃんは建物をひとりで黙々と修復すると同時に、仲間をつのって修復作業を重ねている。経営パートナーのもんじさんは、田舎の生活文化をおじいちゃんおばあちゃんたちに聞き取りつつ、それを自分たちが引き継ぐことをミッションとしている。
 山の家はもともとは割烹旅館としてスタートしたものという。山深いこの地域にあっては、ちょっとおめかしして宴会にでかけるような社交場だったようだ。名物女将が切り盛りしていたという。旅館からキャンプ場へ。それも立ちゆかなくなった後はしばらく空き家になっていたそうだ。
 きーちゃんは大学卒業後この土地に惚れ込み、空き家になっていた山の家に住み着く。そうすると噂を聞きつけた地域の人たちが、どれどれ、と次々に見物にやってきては、何かと助けてくれるようになったという。山仕事、川遊び、農作業、建物の修復・・・それぞれに師匠ができて、きーちゃんは「百姓」めざして修行中とのことだ。地元の人はかつてハレの場であった山の家がなつかしく、そのにぎわいを取り戻して欲しいと若い二人に期待しているという。

 晩ご飯の準備がはじまり、学生たちはひとりずつ池からすくった川魚をしめ、下ごしらえをした。薪でごはんを焚き、炭火で魚を焼く。今回はペレットグリルも活躍した。はじめての経験にとまどいつつも、いのちの循環を体感し、持続可能なやり方で、手をかけて暮らすことの楽しみを少しは感じとってくれたようである。

 二日目の午前中、おじいちゃんについて炭窯をつくる石を探す作業をやっていると、かつて鉱山時代に使われたと思われる砥石を固定した木の台が転がっていたり、きらきら輝く鉱物が含まれた鉱石のかけらが見つかったりした。
 私はこの土地のパワーを改めて感じると同時に、仏様が仏像として目に見えるように、歴史という抽象的なものが具体的な姿をまとってここにあるように感じた。鉱山のにぎわい。それが放棄されたあとに覆った雑木林。それを伐って炭にしてスギの人工林にした人々のはげしい労働。それも一段落した時にできた社交場。それが立ちゆかなくなりまた寂しい山の一角に。そしてそのにぎわいがワカモノ二人が入って来たことによって、別の形で復活しようとしている。

 新しく造られている炭窯は、この土地の歴史を私たちの目に見えるようにしてくれる具象物である。それは過疎の村に住み着いたワカモノが、周囲の人々をつなげ、都市に暮らす私たちとをつなげることによって、だんだんと目に見えるようになりつつある。炭窯に新たに煙がたなびくことによって、この土地の歴史のページがまたひとつめくられる。たまたまその現場に居合わせることができた幸運を、私は学生たちとともに味わいたいと思う。
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キーワード
はじめての経験 はじまり、 キャンプ場 薪ストーブ
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コメント

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人はつながる、のです (もんじこと十文字美世子)
2008-11-24 21:42:43
こんにちは。週末はありがとうございました。

こちらも、いろいろ刺激的な2日間でした。

だいずせんせい からの解説が補助線になって
いままでごちゃごちゃしていた情報が
すっ と きれいに見えてくる感覚を
何度も味わいました。

12月には、名古屋でお会いできますね。

これからも、「味わい」を一緒に楽しんでください。

窯は、ようやく明日、天井がつくれそうです。

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