だいずせんせいの持続性学入門

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林勝和尚との対話(10) 生死について

2017-07-16 22:16:19 | Weblog

しばらく前、自分より上の世代の近しい人の死に出会いました。もう少しすると、それに加えて、同年代の近しい人の死に出会うようになりました。最近では、自分より下の世代の近しい人の死に出会うようになりました。最近、Mさんが突然亡くなられました。昨年度のミライの職業訓練校の参加者で、それまでの仕事を辞め、新しい生活に入った矢先の突然の死でした。残された者は、その死の「意味」を考えようとします。そのことによって、その死を受け止め、受け入れようとします。以下の文章は、「スローライフ通信」に寄稿したものが元になっていますが、Mさんの死をきっかけに加筆しました。私なりにその死を受け止め、受け入れるための思索であり、またMさんに対する追悼文でもあります。もとより私の創作です。

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私  住職、ごぶさたしました。

和尚 いかがお過ごしでしたか。今日はちょっと冴えない感じですね。

私  はい、最近、私の同級生の友達が亡くなったのです。がんでした。

和尚 そうでしたか。

私  同い年でしたので、けっこうこたえました。一年前に余命一年と言われて、その通りに亡くなりました。

和尚 お気持ちお察しします。

私  私など日頃運動不足で、体の衰えも日々感じるのに、彼はスポーツマンでいまでも鍛えていましたから、体もしっかりしていたし、健康そのものでした。闘病に入ってからもずいぶん元気で、時々いっしょに食事したりしたんですよ。

和尚 そうでしたか。

私  ひと月ほど前にお見舞いに行って、すっかり痩せこけた姿にびっくりしました。でもけっこう元気でカラカラと笑っていました。こんなに早く亡くなるとは私には思えなかったし、きっと本人もそうだったと思います。

和尚 抗がん剤などはやられなかったのですね。

私  はい、本人の希望で抗がん剤治療はやりませんでした。

和尚 それで、最後まで比較的お元気だったのですね。

私  そうですね。抗がん剤治療をすると副作用でとても動けなくなっていたでしょうね。本人はいろいろ勉強してそう決めたそうです。

和尚 それはご立派でした。

私  奥様に聞いたところでは、最期も苦しまずに眠るように逝ったそうです。

和尚 ご家族に囲まれてでしょうか。

私  そうと聞いています。

和尚 なかなかできることではありません。良い逝き方だったのではないでしょうか。

私  それにしても、健康そのものだった人が、あっけなく死んでしまう。これはどういうことでしょう。考え込んでしまいます。

和尚 人の生き死にと、体が弱いとか病気とかは別物なのではないでしょうか。まず生き死にのタイミングがあらかじめ決まっているのかもしれません。

私  そうなのでしょうか。もしそうだとしたら、あまりに悲しいですね。私は葬儀の時に友人を代表してお別れの言葉を述べました。彼の分まで私たちがしっかり生きていかなければならない、と話しました。

和尚 そうでしたか。でも、そういうことってできるのでしょうか。

私  どういうことですか?

和尚 死んだひとの分まで、他のひとが生きられるでしょうか。

私  うーん、どうでしょう・・・

和尚 亡くなったひとは、そのひとの人生がこの世では完結したのです。十分生ききったのです。だから旅立ったのだと私は思います。それを他人がはかなむ必要はありません。

私  でも、彼は現役でしたし、子どもたちもまだ結婚していないし、いろいろやり残したことがあったと思います。無念だったのではないでしょうか。

和尚 ご本人がそうおっしゃっていましたか?

私  いや、そういうことは一言も聞いてはいませんが・・・

和尚 世間の人は、生きていることがすべてで、死ぬことは絶対的な悪だと思っています。

私  はい・・私もそう思いますが・・・

和尚 そうだとしたら、人間は必ず死ぬのですから、どんなに幸せな人生であっても最後は最悪ということになります。それで良いのでしょうか?

私  ・・・

和尚 先生は前に原生林に行った時のことを話してくださいましたね。

私  はい、特に枯れてゴロゴロ転がっている大木が印象的だったというお話しをしました。

和尚 枯れた大木の周りには、小さな木の芽がたくさん出ていたのでしたよね。

私  はい、原生林は樹冠が空を覆っていますので、一本木が倒れないと、地上に光が届かず、次の世代が育ちません。

和尚 つまり、死ぬことは意義あることですね。

私 ・・・

和尚 原生林では生きることと死ぬことは同じ重さです。生がなければ死もないというのは当然ですが、死がなければ生もない。

私  そうですね・・・

和尚 正確に言うと、死ぬことには意義も意味もありません。ただ死ぬだけです。そして生きることも、同じように意義も意味もないのです。ただ生きるだけです。これで生死は同等です。これが仏教の教えです。

私  生きることにも意味がないのですか?

和尚 別の言い方をしましょう。生きて出会うことには全て意味があります。

私  えーと、よくわかりません。

和尚 そして死ぬことにも意味があるのです。すべてのことに意味がある、というのと、すべてのことには意味がない、というのは同じことを言っています。

私  ああ、それは形式論理学ですね。学生のころ勉強しました。

和尚 一本の木が死ぬことによって、森全体が生き継いで行く。人間も同じではないでしょうか。

私  そうは言っても、彼の死は大きな悲しみです。そうあっさりと認めることはできません。

和尚 そうだと思います。でもその悲しみはどこからやってくるのでしょうか。

私  ・・・

和尚 彼の存在が、あなたにとって身近に感じられるからこそ、悲しいのではないでしょうか。

私  それはそうです。

和尚 彼は死んで、そしてあなたのそばに居るのです。その存在を感じるけれども、実際に見たり話したり触ったりすることはできない。そこに悲しみを感じるのではないでしょうか。

私  確かに、彼が話しかけてくるような気がして、悲しくなります。

和尚 彼は先生と共にいて、話しかけてきます。先生だけでなく、彼が愛した人すべてのそばにいて話しかけてきます。その声を聞くことがこの世に残されたものの務めです。

私  ということは、この悲しみはずっと続くということでしょうか。

和尚 ずっと続くでしょうね。そしてそれが日常になります。いつしか日常の忙しさに紛れて、彼のことを忘れてしまうかもしれません。でも心の奥の方、だんだん深いところに、彼はいつも話しかけてきます。

私  前に和尚は、人間は孤独で、そのせいで悲しい存在だとおっしゃっていましたが。

和尚 そうですね。人間が孤独ということは、人間は死者とともにしかありえないということです。死者と対話するほかない悲しみが、人間の孤独の本質です。

私  そして、その悲しみで心を満たせば良いと。

和尚 そうです。たっぷり心を悲しみで満たしてください。そのことで、心が充実し、前向きに生きることができます。その方はその方なりの人生を十分生ききったのです。ぜひおめでとうと送り出してあげてください。そしてそういう近しい人の死が自分の生を形作っていることを時々思い出してください。

私  はい。今日も良いお話をありがとうございました。

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