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風森まちの研究(2)地域通貨

2007-04-04 21:44:16 | Weblog

 空想上の持続可能なまち「風森まち」についての研究の第2弾は地域通貨の仕組みについて。

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 地域で生み出された価値が地域内で流通するのが、地域経済の基本だ。ここでいう価値とは昔は人間の労働がカタチを変えたものだった。モノの価格とは、労働の価値への対価と出資者への利益配分の総和であった。したがって、人々が労働した分については価値が発生するが、自然が生み出す価値はまったく評価されなかった。例えば、石油の値段というのは、それを探査し採掘し精製する過程の人間の労働のコストのみが取り入れられ、そもそも石油という価値あるものを作り出した自然への経済的な評価はまったくなかった。その結果、自然はただで使いたい放題ということになり、持続可能な制限を超えて使いすぎていても気づかず、ある日突然、その枯渇によってその利用が終了することになる。
 このことへの反省から、前世紀後半になって自然資本主義という考え方がでてきた。人間の労働が作り出す価値に加えて、自然が作り出す価値も経済的に評価しようという考え方である。

 また、オカネについても反省が加えられた。オカネは他のモノの経済的価値を等価なものとして指し示す尺度と考えらていたが、一方で、必ずしも等価とは言えない、特権的なモノである。つまり、普通のモノは、時間の経過とともに劣化する。食べ物は腐る。木材も虫や水分、紫外線によって劣化する。金属は錆びる。機械は壊れる。なのに、オカネの価値は劣化しない。紙幣やコインは劣化するが、それらがもつ価値は新しい紙幣やコインに劣化することなく交換され再生される。
 それどころか、オカネは人に貸すことによって労せずして利子という価値を生み出す。投機に投ずれば利ざやを生み出す。劣化するどころか反対に自己増殖するわけだ。
 これらの特権的な性質によって、オカネは、他のすべてのモノに君臨するモノとなった。オカネがなければ何もできない、オカネがあれば何でもできる、オカネがすべての世の中となった。オカネをかせぐことが人生最大の目的と考えられるようになった。
 その結果、オカネを手にするために強盗をして人を傷つけるとか、さらには保険金めあてに人を殺すなどという、今では考えられないおそろしい時代があった。

 大量生産社会が崩壊して皆が困惑した時、円の収入が減り、モノの値段が高騰し、どうしようもない時期があった。それで各地で独自に地域通貨をたちあげていった。風森まちでは、たまたまコンピュータが得意な人が何人かいたので、ネットベースの地域通貨「きずな」のシステムをつくりあげた。皆であれこれ議論して自然資本主義の考え方にたち、オカネを特権化しない工夫がほどこされた。
 まちの住民はネット上に個人口座を持つ。決済はすべてカードで行い、あちこちにある端末からまちのコンピュータに情報が集まるようになっている。まちで子どもが生まれたら一生使う口座が開設される。このまちの住民になったらその時点で最低6ヶ月は食っていけるほどの額の「きずな」が振り込まれる。6ヶ月あればなんとか食糧を自給できるようになるからだ。
 また障がいを持っている人や年寄りなど仕事ができない人には毎月一定額のきずなが自動的に振り込まれる。
 まちの共同作業に参加すればその分の「きずな」が振り込まれる。どの作業をいくら「きずな」とするか皆で議論したが、面倒くさいので、どんな仕事でもすべて時間単位として1時間1000「きずな」とした。これは1年間は口座上に保持されるが、振り込み後1年たてば消滅する。他のモノと同様、価値が劣化する貨幣である。

 「きずな」は共同作業だけでなく、個人的な取引にも利用される。例えば自宅を建て替えるのに、近所の人に手伝ってもらったら、自分の口座からその人に「きずな」を振り込む。
 一方、商品の購入にあてることもできる。お店に行くと、基本的にはまちの中で生産されたものは「きずな」で買える。まちの外で生産されたものは円で買う。まちの中で生産されたものを外で売るときは円で売る。
 もちろん円と「きずな」は交換しようと思えばできるが、これも皆で議論して、ややこしくなるから交換しないことにしている。

 「きずな」はたいていはいろいろとやり取りをされたあと、最終的には電気や熱のエネルギー料金の支払いに当てられる(自動的に有効期限のせまっている分から振り落とされる)。風車も水車も無人でたくさんのエネルギーを作り出してくれる。メンテナンスの費用や更新のための積立を差し引いてもその価値は膨大だ。これを「きずな」で流通させている。まちに新たにやってきた人や障がい者、年寄りに振り込まれるものは、この自然のつくりだす価値を利用している。
 農産物や木材などをまちの中で「きずな」で売る時には、それを生産するために要した労働だけでなく、自然が作り出した価値も評価して価格を設定することにしている。自然の価値をどう評価するかはその人の見識だ。相場というものがあり、安すぎる価格設定では皆がばかにして買ってくれない。「きずな」は一年後には消滅するので貯めていてもしかたない。だから何でも安ければ良いということにはならないのだ。昔はものの値段は安ければ安いほどよいとされていたが、そのために環境を破壊し資源を枯渇させてひどい目にあったことを皆教訓として代々受け継いでいる。

 ここまで仕組みが整うのにたくさんの紆余曲折があったし、今後もあるだろう。途中で離れていってしまった人たちもいる。その中でまちの人々が学んだのは、人々の信頼関係が地域通貨を成り立たせるのであり、その逆、つまり地域通貨が人々の信頼をつくりだすのではない、ということだ。なにごとも皆が納得するまでねばり強く話し合いをすすめることが何よりも大事である。それが遠回りのように思えて実はもっとも近道なのだ。(つづく)
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1 コメント

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Unknown (ozeki)
2007-04-09 10:57:33
IPCCの作業部会報告、温暖化の影響が出ましたね。
 また、先生なりの見方があればご披露願います。

 それと、温暖化問題の本質、パート2も期待していますので、よろしくです。

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