だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

自立をめざす村-長野県下條村の挑戦

2005-11-04 13:06:35 | Weblog

 国から地方自治体に交付される地方交付税交付金の縮小が現実の日程にのぼり、平成の市町村合併の動きがすすむなかで、財政力の弱い町村は近くの市に吸収されるか、自立の道を歩むかという究極の選択を迫られてきた。自立をめざすには相当の覚悟が必要だ。一方、合併したところで財政問題が解決するわけではなく、ほんの少し問題が先送りされるにすぎない。いずれにせよきびしいリストラは避けられない。もっとも民間では15年も前からはじまっていたのであり、遅すぎたリストラと言わざるを得ない。
 このようなリストラは成長型社会から縮小型社会、さらには持続可能な社会へとギアチェンジを行うためには不可欠なものだ。特に、合併せずに自立をあえて積極的に選択した町村の役場の覚悟と自己努力には頭が下がる。このような町村は長野県に多い。県が国の方針に反して、自立をめざして努力する自治体を徹底して支援する体制を整えているからだ。(詳しくは加茂利男編著『自治体自立計画の実際』自治体研究社2004年を参照。)

 先日、国土交通省と東京都日野市が主催した「全国水の郷サミット」で、長野県下伊那郡下條村の伊藤喜平村長とごいっしょして、合併せず自立をめざす下條村のとりくみについて詳しくお話を聞くことができた。伊藤村長はもともと中小企業の経営者で、きびしいビジネスの世界をくぐってこられた。行政が村の活性化にとりくんでほしいと、村議会に出馬、議員を務めるも、「そろそろ議員にでもなるか」という議員の多い議会の限界を感じて、村長に立候補し平成元年に当選、以来四期をつとめておられる。
 下條村は飯田市から車で20分ほどの距離にある。人口4000人あまり、財政力指数0.2のどこにでもある過疎と少子高齢化の村だった。
 伊藤村長が最初に村役場に当庁してびっくりしたのは、職員の働きぶりだった。民間企業での従業員の働きを100とすれば、「仲良しグループ」の村役場の職員は50くらいだったという。いくら口を酸っぱくして注意しても効果がなかったため、その年の12月、役所も予算編成で忙しいさなか、飯田市のホームセンターに全職員を交代で数日から1週間くらい研修に出したそうである。その中で職員は、役所が忙しいといっても、民間の忙しさはそれをはるかに上まわること、お客さんに説明し納得してもらってお金を出してもらうということのたいへんさを理解したという。それからは役所でも職員の目の色が変わったという。
 50くらいの働きが80か90くらいになり、村長はそれを確認した上で、新規採用を減らして人員削減をすすめる。1996年に53人いた職員が今では38人で約30%の人員削減である。かつては人の仕事には絶対に口も手もださない、という習慣だったのが、人が少なくなり、いろいろな業務を経験することで、村民が窓口に相談に来て、担当者がいなくても他の人間が対応できるようになったとのこと。村民も親切に対応してもらったという満足感を得られるようになったという。

 下條村の財政は驚くべきことに、現時点で健全である。起債残高約36億円のうち地方交付税措置分を引いた実質支払額9億7千万円に対し、基金現在高27億円。ペイオフの問題もあり借金は早く返したいが、政府系金融機関は受け取らないという。
 財政が健全であることは、国や県の言うことに追随せず、自分たちの頭でよく考えて行政を行ってきたところに秘密がある。その代表格が下水処理である。これをすすめるためには公共下水道、農村集落排水、合併浄化槽という三つのオプションがあり、国や県は補助金をつけるからと下水道や農村集落排水の整備を強くすすめた。しかし伊藤村長は合併浄化槽を選択した。下水道や農村集落排水では、設備投資が膨大になるだけでなく、運用の責任は村にあり永遠にランニングコストがかかる。それに較べて合併浄化槽は住民の持ち物となり、村にはランニングコストがかからない。ここで伊藤村長が強調されたのは、財政上のメリットもさることながら、合併浄化槽であれば下水処理について住民の自己責任の意識を育むことができる、ということであった。公共下水道であれば、気にせず何でも流すということもおこる。合併浄化槽なら、うまく使えば住民にとってランニングコストも安いということで、下水に流す時に油をそのまま流さないなどいろいろと配慮するようになるということだ。
 下條村をはじめ、自立を選択した自治体で多く取り入れられている手法に、資材支給型の公共事業がある。例えば集落から「道を直して欲しい」という要望が寄せられた時に、従来なら建設業者に発注してそれに応えるのが役所の勤めであった。住民も「役場に言えばなんとかしてくれる」、さらには「言わなければソンだ」という気持ちにもなる。困ったことがあれば何でも役場に電話をかけ、希望通りに対応してくれなければ憤る。一方、農林業が衰退する中で建設業者ばかりが増え、つばめの子のように口を開けてえさが降ってくるのを待っている。これではいくら予算があっても足りない。今までこのようなことができたのは、社会全体が経済成長することによって税収も年々増加したからであり、それはもう不可能なのだ。
 伊藤村長は、集落から要望がでてくる小規模の道路改修など200万円以下の事業を、いっさい受け付けないことにした。「私の任期はあと○年だから、それが終わるまでは認めない」と言い続けたそうである。当然集落の不満は高まる。そのころは、「身の危険」を感じられたそうだ。そうこうしているうちに、「らちがあかないのなら資材だけでも支給して欲しい」という集落が現れた。それで、生コンなどの資材支給を行った。作業は集落総出で行う。やってみれば、次の日には集落が目に見えてよくなるということで、住民にも好評だった。そうすると他の集落も遅れをとるなとばかりに、このやり方で事業をやりはじめた。今では毎週土曜日になると、村のどこかで集落総出の作業が行われているという。これによって経費は一桁以上少なくてすむようになった。自分たちでできることは自分たちで。資材費さえ村が支援すれば、集落をよくする取り組みは自分たちできる。
 伊藤村長の観察はここでもずばぬけている。資材支給型の事業をやるようになって、集落の人間模様にも変化が現れたという。それまでは口ばっかり達者で働くのは嫌、というような人間に発言力があった。集落総出の作業をやるようになってからは、こういうタイプの人間は肩身が狭くなって、口はへただがしっかりした考えの持ち主が集落の指導的立場にたつようになってきたという。
 下條村はこのようなやり方によって財政をたてなおした。さらに2022年までの財政シミュレーションを行い、伊藤村長は地方交付税が35%削減されてもやっていけると胸をはった。
 そうして村の最大の問題である過疎・少子高齢化を解決するための新規事業をはじめた。それは下條村が飯田市の通勤圏に入っていることに目をつけたものである。飯田市は内陸の中小都市である。豊富な水源と中央高速道のおかげでセイコーエプソンの関連企業などハイテク産業をはじめとする製造業がさかんである。
 村では飯田市に通勤する若い夫婦をターゲットに村営住宅を建設した。2LDKで月3万円程度の家賃と格安で、飯田市から次々に入居者が訪れ新たに下條村民になった。1990年からこれまでに作った住宅は156戸で、この間に村の人口は300人増えている。さらに2004年度からは中学生までの医療費を無料とした。こうして楽に子育てができる環境を整えた結果、生涯出生率は1.97と、全国平均の1.29を大きく超えてほぼ人口置き換え水準(2.07)を達成している。3人兄弟姉妹はけっこう普通で、中には5人兄弟姉妹という例もあるらしい。集落のお年寄りは、こどもたちが列をなして小学校に通うようになったのをみて、生活に張り合いがでてきたと喜んでいる。
 私の疑問は、新たに若い人たちが大挙して集落に入ってきて、地元のコミュニティにうまく溶け込めるのだろうかということだった。伊藤村長にお聞きしたところ、入居者には入居の条件として消防団をはじめ集落の中の役割を果たし行事に参加することを求めているとのこと。契約書に書いてあるのだそうだ。もっとも最初の1棟については、少しばかり県の補助金をもらったために、入居者にそのような条件を課すことができず、結果として集落との関係づくりに失敗した苦い経験があったそうだ。それ以降は、100%村の財源で住宅を建設し、村が大家として入居者には必要な条件を課している。また、周辺の過疎地域からの入居希望者はお断りしているそうだ。村長は「道義的な観点から」とその理由を説明してくれた。
 伊藤村長の次のチャレンジは教育改革である。村長は「村の資源は人材のみ」と言い切る。そしてその人を育てる学校教育がはなはだ心もとない。学校はある意味で「聖域」であり、そこを「よくできる子」として通過した人が「聖職」とされる教師となり、さらに「聖域」を強化する。そこを通過するこどもたちは「聖域」を抜けたとたんに、社会のどろどろした現実にいきなり直面する。中にはうまく適応できない子もでてくる。学校教育は教育委員会の仕事であるものの、村の行政がある意味での「介入」をすることによって、こどもたちに社会の現実に触れてもらう取り組みをはじめている。その一つが「生徒会議会」というもので、こどもたちが村の政治や行政について調べ、発言し、提案する。村役場がその提案に真摯に対応することによって、こどもたちは自分たちがこの村をつくっていくのだという自覚に目覚める。

 以上のような下條村の取り組みは、私たちが教科書で勉強した「補完性の原則」による地方自治のあり方そのものだ。補完性の原則とはEUの地方自治憲章で宣言されたもので、コミュニティできることはコミュニテイで解決し、コミュニティの手に負えないことは最も身近な行政が取り組む。より上位の行政は、下位の行政ができないことを補完する、という原則である。
 日本においては1940年体制と呼ばれる戦時の国家総動員体制のもとで確立した社会の仕組みの中で、行政の仕組みは、国が源泉徴収によって税金を徴収し、それを地方に分配することで地方をコントロールするものであった。戦後は、国が責任をもって全国で一定水準の行政サービスを保証するために、必要予算額に対して地方税収の少ない地方自治体には地方交付税交付金が交付されるようになった。それ以外に、補助金という名目で国が事業の計画を行い、地方はそれを執行するという体制ができあがった。国ができないことを地方自治体にやらせる、という「逆補完性の原則」とでもいうべき体制である。
 地方自治体の仕事は国からいかに補助金を獲得するかということになる。住民も役場に対して公共施設と建設業の仕事を求めてお金をとってくることを期待する。政治家は「国との太いパイプ」を売り物にして当選する。
 こういうことができたのは、経済が成長して税収が増加し、既得権益を侵さなくても新たな権益を創出できたからであって、経済の成長がストップすれば行き詰まる。これからは縮小の時代である。すでに税収は90年代前半にピークに達し減少の局面に入っている。この局面で既得権益がすべて守られれば財政は破綻する。
 この時代の地方自治はどうあるべきか、ということの象徴が資材支給型の公共事業であろう。集落でできることは集落で。これが自治というものの本来の姿ではないか。高度成長期以前の、役所に何か言いに行ったところで役所にもお金がなかったころは、道を作ったり川や用水路を改修したりという工事は集落の人たちが共同で作業を行っていた。山間地では、電力会社が送電線を引いてくれないので、お金を出し合って自前で電線を引いたり水車を設置したりしてはじめて電気が通ったという集落もある。役所にお金がなくなれば、またもとのやり方にもどればいい話である。下條村はEUの地方自治や補完性の原則のことを勉強してこのような改革をやっているわけではない。現実の課題を先送りせず真剣に解決しようとして行き着いた結果である。
 国の財政破綻が最終局面にさしかかろうとする現在、これまでは先送りされ温存された行政部門のリストラが本格化する。リストラとは職員のクビを切ることではない。業務の目的と手段を徹底して再検討することによって、やめるべきものをやめ、無駄をはぶくことである。自治体はこれまで国から指示された事務を行い、また国の補助金を獲得してこれを粛々と執行することが仕事の目的であった。これからは、住民が行う自治的、公的活動を引き出し、支援するのが仕事の目的となる。住民の声にならない声を聞き、それを形にし、その願いを実現するためにもっとも効果的な支援は何かを考えていくことが求められる。

 こうして自立をめざす下条村であるが、これが持続可能かというと不安要素もある。人口増も出生率増加も、飯田市に通勤する村民が担っている。結局、下條村の問題解決は飯田市の地域経済に頼る形となる。その飯田市の経済の先行きはどうかというと、ここもご多聞にもれず、工場は中国に移転し製造業の空洞化が進んでいる。また、外国人労働者が増えている。やはり下條村の中にある資源を活用した地域経済をたちあげていくことが今後の課題であろう。もちろんそのための第一の資源は人材であり、その育成にいちはやく取り組み始めた村の未来はけっして暗くない。下條村移住組2世たちの時代になったときにどのような村になるのか、とても楽しみだ。

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2 コメント

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だいずせんせいありがとう (長四郎)
2005-11-04 18:35:26
だいずせんせい



 下條村の様子を教えていただきありがとうございました。噂には聞いており、また下條村のウェブサイトにも各種資料は載っておりましたが、こうやって書いていただけると生き生きと伝わってきます。

 なので、どうもありがとうございました。

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将来 (伊藤修三)
2011-11-16 22:15:50
将来ある子供ために 此の素晴らしい 環境を子供に託してください。
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