北米の先住民族は、薬草を探すときに、森に入ると、植物の方から声をかけてくれるという。私は、本屋をぶらぶらしていると、やはり、今の私にもっとも必要とされる本が声をかけてくる。今回は、アルボムッレ・スマナサーラ『小さな「悟り」を積み重ねる』集英社新書。著者は日本在住のスリランカ人仏教僧。現代日本の現実の中でいかされるブッダの教えである。
何かやりたいことがあったり、問題や課題を抱えていたりして、かつ、何かできることがあれば、それに一生懸命とりくめばよい。しかし、何もできないこともある。例えば、身近に考え方や感じ方の違う人がいたときに、つい、説得してやろうとしてみたり、こうしてほしいのにと思って、いらいらしたり、悲しくなったりする。でも、他の人の考え方や感じ方を議論や説得によって変えることは不可能だ。やればやるほど、心は離れていき、もうけっして心が通じないと思ってしまう。
何もできないときは、あきらめるしかない。ただしこの場合、とことん、あきらめる必要がある。しかし、それがむずかしい。普通は、中途半端にしかあきらめられない。あきらめきれないのである。その状態が人間にとって、一番苦しい。
あきらめきれないのは、まだ何か相手に対して期待があるからだ。それはかなわないと知りつつ、しかし、あきらめきれないのが、私たちである。自分が苦しければ、実は相手も苦しい。ますます心が通じ合えなくなる。
それを、とことんあきらめなさい。これがブッダの教えである。そうすれば、苦しみからのがれられる。これは自明である。
そして、私の理解では、本当のブッダの教えとは、とことんあきらめたら、かえって心が通じる、というけっして自明でないことである。「もういいやっ」と、愛想もつきて、とことんあきらめた後に、心が通じないと思っていた人が、実は自分のもっともよき理解者だったり、見えないところで粋なはからいをしてくれていたりすることに気づく。そういうときは、とてもうれしい。
あきらめるということは、後ろ向きの態度ではない。きわめて前向きな、著者の言葉でいえば、プログレッシブな態度である。
著者は「人生は紙コップのようなもの」と説く。空っぽであればあるほど、コップは有用だ。しかも、それはクリスタルガラス製の高級品ではなく、使い捨てられるような紙コップ。とことんあきらめて、コップの空き容量を増やせば増やすほど、そこに盛られる幸せが増す。しかし、それに執着することなく、また空っぽにしよう。たかが紙コップである。そういう境地で、軽やかに楽しく生きていきたいものである。











やっぱり常識とは違うのは寂しいですが。。
中途半端なあきらめだから、苦しいんですね。
さっそくやってみます。
身近な人であればあるほど自分色に染めたいのですが
発想の転換ですね。この記事を読んで、肩の力が抜けるのを感じました。ありがとうございます。
その為に、色々な方々のブロックを拝見してきたのかも。
「ほっと、ほっこり」しました。
有難う!