機関車の音

貨物・寝台列車が大好きなヤマノッチのブログです。
列車の時刻も載せられればと思います。
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DD51牽引時代の石北貨物

2014-11-07 23:02:39 | 貨物列車

お久しぶりです

朝と夜の寒暖差が激しくて体に響きますね…


さて、
今回は石北貨物がDD51牽引だった時に一度撮りに行ったことがあるのでその時の写真をアップしたいと思います



北見


相内~東相内


東相内~西北見


12月にはトミックスからエンジン更新車が再生産されるので是非再現したいですね


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15 コメント

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初めまして (リオ)
2014-11-27 21:20:49
他のブログからたどり着きました。
DD51プッシュプルの石北貨物、圧巻でしたよね!
重連だった時期もありましたが、プッシュプルの方が力強さを感じます。

僕は北見出身で、祖父の古巣だったかつての機関区そばに住んでいて現役のSLやDD51の勇姿を見て育ちました。
74年に札幌に行った帰り、新旭川辺りで黒一色の長い石北貨物が停車しているのを見まして、初め先頭と思っていた最後尾にDD51があって、連なった貨車群を見ていたら先頭にもDD51があって、機関士が新聞を読んでいるのが見えました。
それまで単機けん引の貨物列車しか見たことないだけにプッシュプルの貨物列車は新鮮に見えましたが、北見峠と常紋峠越えに備えていたんですね。

初めまして (ヤマノッチ)
2014-11-30 22:43:11
リオさんこんばんは。コメントありがとうございます

残念ながらビデオ撮影はしていませんでしたが
ファインダーを覗きながらシャッタを切った時の緊張と興奮はDD51の走り去る音と共に今も鮮明な記憶として残っています
雪原を走っている写真をワイド四つに引き伸ばして今でも家に飾ってあります


リオさんの経験は羨ましい限り…
特に現役のSLは見てみたいです
北見、常紋峠はSL時代から補機がついていたようで雑誌などでもたまに見かけますね
機関車は変わったものの、プッシュプルでの運用は非常に珍しいので、これからも注目され続けることでしょう

ヤマノッチ様 (リオ)
2014-11-30 23:45:43
ご返信ありがとうございました。
そう、北見峠と常紋峠は蒸機時代から補機が付いていましたが、ディーゼルに代わってからは北見峠は旅客は単機になりました。
常紋は夜行急行「大雪」が客車12両のころディーゼルで補機が付きまして、朝4時半ごろに遠軽を出て留辺蘂までプッシュプルで峠越えをしていたのをしっかりと見ました。
ちなみに旭川から北見まで客車の普通列車に2度乗ったことがありますが、こちらは編成が3~4両で常紋でもDD51の単機だったものの、対向列車通過待ちで常紋信号場でスイッチバックで待避線に入るという、信号場が使われなくなった今となっては貴重な体験をしました。
コメントありがとうございます (ヤマノッチ)
2014-12-05 00:27:18
リオさんこんばんは

補機はキューロクかデーテンでしたよね
Nゲージではありますが大雪の客車、デゴイチ、デーテンを揃えたので北見峠越えを再現しようと思っています
模型の説明書には
旭川~遠軽がDD51、北見峠では前補機にDD51
遠軽~北見がD51、常紋峠では後ろ補機9600またはDE10
北見~網走がC58で普通扱い
と記載がありました

DD51重連の画像が出てなかったのですが単機だったのですね


信号場でスイッチバックとは羨ましい…
その前に客車普通自体見たことも乗ったこともないので、その時点で羨ましいです
因みに私がオホーツクで北見に行く途中、鹿が線路上で寝ていて非常ブレーキがかかりました
冬場石北貨物が坂を登る途中でそのようなことがあれば再起不能となり一旦平地へ戻らなければならなかったようで大変な仕業だったのだなぁと改めて思います

そのNゲージの編成 (リオ)
2014-12-09 01:22:23
恐らく78年10月改正前の、A・B合造寝台車のオロハネ10形が連結されていた編成ですよね。
僕が77年8月に「大雪5号」に乗ったときもその編成でした。
71年の鉄道ジャーナルにも取り上げられたのですが、旭川~遠軽間がDD51、遠軽~北見間がD51、遠軽~留辺蘂間の補機が9600、北見~網走間の普通列車部分がC58で、札幌~旭川間がED76でした。
僕としてはこの「大雪5号」が初の客レかつ電機牽引列車だけに鳥肌が立ちました。
ちなみに僕の父は北見~網走間の普通列車部分に乗って北見から美幌の高校まで通学していました。その美幌の高校、今では生徒さんが美幌産の規格外野菜で育てた豚で作ったうま味醤油「まるまんま」で知られています。

4年前に北見に行った帰りに「オホーツク8号」で札幌に向かった際、遠軽~上川間で何度もシカに列車を止められ、札幌着が23時近くになりました。
Unknown (ヤマノッチ)
2014-12-14 00:18:02
リオさんこんばんは

そうです。オロハネ10が連結されていたときの車両です
郵便車や荷物車が連結されていてとても見応えのある編成です
座席客レは乗ったことがないので無くなる前にはまなすに乗りたいと思います

いわゆる大雪崩れってやつですね。市民の足としても活躍していたようですね
因みに北海道内で貨物列車に通学用の客車を連結していたという記事を見たことがあります

23時頃とはずいぶん遅れてしまったようですね
鹿にとって線路は心地いい場所なのでしょうかね?ww
それって (リオ)
2014-12-14 06:34:48
北海道で貨物列車に通学用の客車を連結するのって、一般の混合列車のことでしょうか?
混合列車もいろいろで、列車番号の下2ケタが50以上の、本体が貨物列車のがあれば、49以下の本体が旅客列車のもありました。
知る限り、北海道の釧網本線や東北の五能線の混合は旅客列車の番号で、清水港線や肥薩線人吉~吉松間のは貨物列車の番号でした。
もっとも、80年夏に石北本線の上川駅で見た混合列車は旅客列車の番号ながら貨車の方が4両の客車よりも長くあたかも貨物主体かのようでした。
一方、現在の新狩勝トンネル開通前の狩勝トンネル時代の根室本線落合~新得間では、途中の狩勝信号場で通学の小中学生を貨物列車の車掌車で新得や落合まで便乗させていた記録写真がありました。狩勝峠は客車と貨物がまだSLけん引のころでした。
遅れてすみません (ヤマノッチ)
2014-12-20 22:07:42
リオさんこんばんは

記事を見直したところ、石炭列車に旧客を連結した列車だったので貨物主体だったようです

客貨混結列車はED42時代の碓氷峠の記事でよく見ます。北海道ほど長くできないので客貨半々の列車がほとんどです
国鉄時代のことなので列車番号などは厳密に運行とは合わないことも多かったのでしょうかね

国鉄時代の体験をブログに書いている方の記事を見ると機関車の運転席に乗せてもらったことがある、など今では考えられない体験をされているようで、学生が車掌車にのって通学したというのも各地であったのでしょう…


ヤマノッチ様 (リオ)
2014-12-20 22:37:22
石炭列車に客車を連結していたのは道内の私鉄が主でしたが、特に道内で最後まで残った三菱石炭鉱業の大夕張線(清水沢~南大夕張)が有名でした。
ディーゼル機関車に暖房がない上に機関車+貨車+客車の順に連結していたので冬場は客車に石炭ストーブが焚かれました。朝夕の通学時間帯に運転されたこの混合列車、運賃は全区間でたったの60円で、バスよりも安いのが魅力でした。

碓氷峠はED42時代までは混合列車があったんですね。
EF62・63の粘着運転になって碓氷での混合列車は安全上禁止されました。
ストーブ列車 (ヤマノッチ)
2014-12-20 23:26:30
石炭ストーブですね。いまでは津軽鉄道のストーブ列車が有名ですね。
通学混結列車は運転している方も貨物列車に客車をつけての運用なので別々に運転するよりも低コストで済んでよかったのでしょうね。実に”うまい”列車だと思います

粘着運転転換後も貨物運用がありましたが途中から廃止され旅客車のみの運用になりました
特大車の入線も禁止されていました

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