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今年もやってるやってる~

この階級、この選手(ヘナロ エルナンデス:スーパーフェザー級①)

2016年05月05日 00時12分47秒 | ボクシングネタ、その他雑談
1990年代初頭からの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっております。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級実力№1とは限りません。

3月21日にフェザー級3人目の選手を挙げました。今回からその一つ上のスーパーフェザー級に移ります。この新しい階級の一番手はヘナロ エルナンデス(米/帝拳)。帝拳ジムとマネージメント契約をしていたため、日本でも非常に親しみのある選手です。ちょうど自分(Corleone)がボクシングに関心を持ち始めた時に世界王者に就き、その時すでに安定王者の風格を有していました。その為か新米世界王者ながらも、絶対的なチャンピオンという印象がとても強く残っています。


(リング内外の紳士、ヘナロ エルナンデス)

この選手、確かに強く、上手い安定した世界王者でした。180センチという同級では長身の部類に入る選手で、リーチに関しては何と185センチ。しかも減量苦が無かったと言うのですから、ボクサーとしては理想的な選手だった事でしょうね。


(リーチ185センチから放たれる長い左ジャブ)

しかしエルナンデスの終身戦績は38勝(17KO)2敗(2KO負け)1引き分けと比較的平凡なもの。KO率は41%で獲得した世界王座はスーパーフェザー級で2つのみ。数字だけを見るとそれほどの選手には思えません。しかも後のスーパースターであるオスカー デラホーヤとフロイド メイウェザーには、自ら棄権を申し込んだはいえそれぞれTKO負けを喫しているのですから。

またヘナロはそのキャリアのほとんどの試合を本拠地である米国・カリフォルニア州で行っています。ラスベガス(ネバダ州)やアリゾナ州、そしてキャリアの後半にはテキサス州のリングに登場もしました。しかし東海岸とは縁なし。その辺りも比較的地味な選手で終わってしまった遠因かと思います。ちなみにヘナロの海外遠征は5試合。日本での3試合と、フランス、メキシコでそれぞれ1試合となります。

まあ獲得した世界王座が2つのといっても、エルナンデスが活躍した時期は1990年代の前半から後半にかけてです。当時WBOはマイナー団体で、IBFもメジャーとマイナー王座の中間的存在の団体でした。それに加えてWBA、WBCは各階級に1人の世界王者しか認定しておらず、暫定王座を設置する場合はちゃんとした理由(世紀王者が怪我のため長期戦線離脱)のみ設置していました。

自分がWOWOWに加入したのは、1992年4月にメキシコで行われたWBAジュニアウェルター級(現スーパーライト級)戦を視聴するためです。そして初めて見たエルナンデスの試合が、その年の7月、福岡で行われた竹田 益朗(陽光アダチ)との2度目の防衛戦。その試合がWOWOWで放送されたために目にする事が出来たというわけです。

竹田戦を見ての感想ですが、特にエルナンデスが「強い」という印象はありませんでした。しかし竹田が子ども扱いにされている、というイメージが強く残りました。そう、一言でエルナンデスを表すとすれば「安定した選手」。竹田戦から4ヵ月後の11月、今度は東京のリングに登場したヘナロ。その試合で指名挑戦者渡辺 雄二(斎田)の強打を空回りさせ圧勝TKO勝利。その安定したボクシングを、東京のファンにも披露する事に成功しています。ちなみにヘナロは世界王者になる前、1990年5月に後楽園ホールのリングに登場。レオン コリンズ(比)という3流の選手を3回で仕留めています。


(渡辺の強打を空回りさせるヘナロ)

確か渡辺戦が行われた当日、関東地方に季節はずれの台風(台風ではない強い嵐だったかな?)が接近。かなりの荒れ模様だった記憶があります。

さて、話をヘナロに戻します。ヘナロのプロ・デビューは1984年10月。4回判定勝利を収めています。プロ転向前に4度アマチュアのリングに立ったようですが、意外にも全敗という記録を残していたようです。その後新人選手としては比較的ゆっくりとしたペースで試合に臨んで行ったへナロ。デビューから4年後の1988年11月、自身16戦目でカリフォルニア州のスーパーフェザー級王座を獲得することに成功しています。ヘナロについては長い間知っている気がしていたのですが、このような王座を獲得していたとは初耳です!

順調に白星を重ねていったへナロに初の世界挑戦が訪れたのは1991年11月。敵地フランスのリングで、当時空位だったWBAスーパーフェザー級王座をダニエル ロンダ(仏)と争い9回TKO勝利。24戦目にして初の世界王座を獲得することに成功しています。ちなみにロンダ、1987年にブライアン ミッチェル(南ア)が保持していた同じタイトルに挑戦し、そこでも判定負け。しかしヘナロ戦から僅か4ヵ月後にWBO同級王座を獲得しています。

抜群に上手いへナロの全勝記録がストップしたのは渡辺戦から数えて僅か5ヵ月後。その試合で元WBCバンタム級、WBAジュニア・フェザー級(現スーパーバンタム)王者ラウル ペレス(メキシコ)と対戦。その試合はバッティングにより挑戦者が負傷したため、僅か28秒で終わってしまいました。結果はもちろん負傷引き分け。しかし2ヵ月後の両者の再戦では王者が圧倒的な強さを見せ付けて8回KO勝利を収め防衛記録更新に成功。

実力は認められていながらも、イマイチ人気が出ないヘナロ。そんな実力者に大きなチャンスが巡ってきます。ヘナロと同じ地区、米国・カリフォルニア州出身のオスカー デラホーヤ(米)がプロのリングに見る見るうちに馴染んでいった1990年代中盤。1992年バルセロナ五輪金メダリストはWBOスーパーフェザー級王座を皮切りに、同ライト級、IBFライト級を次々に奪取。ヘナロとの米国・西海岸頂上決戦へと駒を進めてきました。


(注目を集めた対デラホーヤ戦)

この黄金カードが実現したのは1995年9月。WBOライト級王者のデラホーヤに、この試合のため一つ下のWBA王座を返上したエルナンデスが挑戦する形で試合が行われました。個人的な予想を含め、五分、またはヘナロが若干有利と見られていたこの一番ですがどうしてどうして。デラホーヤが実力を十二分に発揮し、技師ヘナロを上回るスキルとスピードで先輩を圧勝。ヘナロは鼻の負傷のために6回終了時に自ら試合を放棄。この試合結果には、デラホーヤの勝利が賞賛されると同時に、ヘナロの不甲斐なさも批判される事になりました。

エルナンデスの獲得した王座(獲得した順):
米国・カリフォルニア州スーパーフェザー級:1988年11月22日獲得(防衛回数0)
WBAスーパーフェザー級:1991年11月22日(8)
(*偶然にも、3年前に獲得したカリフォルニア州王座と同日に王座奪取)
WBCスーパーフェザー級:1997年3月22日(3)

デラホーヤ戦後、元のスーパーフェザー級に戻りキャリアを再開させたヘナロ。白星は重ねていったのですが、何かが失われた感がありました。

1997年3月に2度目の王座獲得の機会が到来したヘナロ。ベルトを蔵変えてWBC王者に君臨していた伝説のアフリカ人アズマー ネルソン(ガーナ)に挑戦します。前半戦は技術の違いを見せつけ大きなリードを保ったヘナロ。しかし7回終了のゴング直後に首にパンチを受けてしまいます。しばらく起き上がれなかったヘナロですが、僅かな休息後に試合続行を志願。深刻なダメージがアリアリと見られましたが、何とか判定勝利を収め王座奪取に成功しています。7回反則勝利を勝ち得たヘナロですが、戦い続け勝利を得たことにより、一つの白星以上のものも獲得したのではないでしょうか。


(WBC王座を獲得)

ヘナロのプロ最終戦を務めたのがあのフロイド メイウェザー(米)。1998年10月に行われたこの試合は、メイウェザーのプロ転向後僅か2年、18戦目の事でした。デラホーヤ戦同様に。ヘナロの有利が予想されていた一戦ですが、これまたどういうことでしょうか、歴戦の雄は新鋭のスピードにまったくついていく事が出来ずに8回終了時に自ら降参。新王者のパフォーマンスを賞賛するとともに、自らの引退を発表しました。


(ヘナロの最終戦、対メイウェザー)

現役引退後はテレビ解説者や、契約する帝拳ジムの米国担当者を務めていました。しかし発症率が極めて低いとされていた「横紋筋肉腫」(癌の一種だそうです)に侵され闘病生活に。一時は快復しましたが、その後再発し、2011年6月7日に45歳の若さで他界されています。

リング外でも紳士的。帝拳ジムの所属選手ということもあったでしょうが、非常な親日家だったそうです。後身の指導に当たれば、非常な名トレーナーになれたのではないでしょうか(ヘナロの実兄ルディーさんがトレーナーとして有名)。リカルド ロペス(メキシコ)同様、個人的には非常に印象深い好選手でした。

そういえばエドウィン バレロ(ベネズエラ/帝拳)や内山 高志(ワタナベ)もWBAスーパーフェザー級王者としてはヘナロの後輩にあたりますね。そういう意味では両選手とも大変名誉な事ではないでしょうか。
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4 コメント

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この人は (Unknown)
2016-05-05 16:32:51
ヒバロべレスの第1戦でバッティングの負傷で続行不可能になったとき
悔しがるヒバロの前で即再戦約束した時、オトコだなぁと思いました

渡辺も10戦だけじゃなくもっとキャリア積んで
挑めば良かったのにね…
Unknown (Corleone)
2016-05-06 04:14:03
早速のコメントをいただきありがとうございます。

>>>「即再戦を約束した」
やはりその辺りがヘナロが好意を持たれる所以ではないでしょうかね。

しかし両者の再戦は僅か2ヶ月のインターバルで行われました。少々意地悪な見方をすると、初戦も試合続行可能だったのでは?と考えたくなってしまいます。

今後もコメントをお待ちしております。
Unknown (ピントール)
2016-05-07 18:40:39
竹田益明は陽光アダチジムの所属だったと思うのだがw
Unknown (Corleone)
2016-05-09 23:08:34
ピントールさん、
ご指摘をいただき畏れ入ります。
早速訂正させていただきました。

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