BES大山(鳥取)

鳥取県大山周辺に関する日々の情報、お知らせなどを載せています

大山寺本堂・大山寺鐘楼国登録有形文化財登録答申記念セレモニー

2017-07-23 14:14:54 | 歴史・文化

7月21日に「大山寺本堂・鐘楼が国登録有形文化財に登録される答申を受けることになった」という大きなニュースが飛び込みました。

本日、地元住民や参拝者が見守る中、本堂前で記念セレモニーが開催されました。


大山寺本堂は、昭和3年に焼失し、同26年に再建された歴史があります。

戦後の当時、近隣の寺では耐火を考慮した鉄筋コンクリート造の現代的なデザインでの再建が多い中、木造で中世の和様本堂を忠実に再現した事が評価され、今回の答申につながったそうです。


大山寺本堂


大山寺鐘楼

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「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」日本遺産に認定 160426

2016-04-26 16:19:42 | 歴史・文化

今日の大山は
 8時の天気:晴れ 気温:17℃
10時の天気:晴れ 気温:19℃
12時の天気:晴れ 気温:21℃
15時の天気:晴れ 気温:21℃

大山では新緑が美しい時期を迎えています。



昨日、「大山が日本遺産に認定された」という大きなニュースが入ってきました。

本日の正午には日本遺産認定の式典が開催され、
多くの人々が見守る中、日本遺産の申請を行った大山町・米子市・伯耆町・江府町長や
鳥取県知事に花束が贈呈されるなど、大山ではお祝いムード一色となっています。

式典の様子を簡単ですが写真で紹介します。







これからのシーズンに向け、たくさんの方々に大山の魅力を知って頂ける良い機会になると思います。
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大山の祭り

2010-07-15 16:15:45 | 歴史・文化
大山の大智明権権(地蔵菩薩)の信仰は、農業神(特に牛馬の守護神)としての
信仰が主で、中国・四国地方に及ぶ広い地域の人々から信仰されました。

春(旧暦4月、現在は5月)に行われる神幸行列(御幸)は
寺院の祭礼として現在も行われていますが、これに対して、
大山の修行的な儀式として行われていたのが弥山禅定です。

この行事は元々、旧暦5月1日に阿弥陀堂へ入り、法華経を書写する事から始まり、
6月14日の夜に弥山(大山山頂)へ登って納経した後に浄水を汲み、薬草を採取する
…という内容でしたが、大山寺号の廃止とともに明治初頭に途絶えてしまいました。

その後、大神山神社奥宮での浄水と薬草の採取を主とした
大山古式祭もひとり神事が毎年7月14日から翌15日の朝に掛けて行われています。
(明治期に神事化されたと思われるが、詳細な時期は不明)

頂上から持ち帰えられた霊水と薬草は神社で神前に供えられ、
祭典が行われた後、神事に参加した一般信者に分け与えれます。

…と、例年通りなら頂上まで行って霊水と薬草を取る予定だったのですが、
残念ながら今回は風雨のため、頂上への登頂が危険なため、
元谷での採取となりました。

▼7月14日~7月15日の神事の様子
19時スタート。10時ごろまで神事が行われました
神楽。無形重要文化財
午前2時。神社から(山頂…は無理なので)元谷へ登ります
元谷での神事。ここで霊水と薬草を取ります。
頂上…ではなく、元谷から降りてきたところ。
神に捧げる。この後は一般信者(畜産関係者などが多いようです)に一つ一つ薬草を手渡し
※大山情報館1階のホワイトボードにも神事の様子を載せています。

ちなみにひとりの「もひ」とは水を入れる食器のこと。それが転じて
飲料水を表すようになり、もひ(水)を取るので「もひとり」神事に。
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今日8時の気温は22度。16時現在変わらず。天気は曇り。
大山キャンプ場は明日から本格的にオープンします。

▼大神山神社の神事に合わせて参道を歩く人たち&ヒメボタル観察組
普通のデジカメだとホタルの光が写りませんでした。残念。
あまり知られていませんが、大山にもヒメボタルが出てきます。
時期的にはちょうど今頃がピーク?な雰囲気です。
数はだいぶ減りますが、8月頃にも飛ぶホタルを見ることが出来るとか。
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今昔資料館

2010-04-22 08:39:58 | 歴史・文化
■松田家今昔資料館
 開館時間 10:00~15:00
 開館日 土日祭日、7/24~8/20、10/23~11/3(水・木は休館)
 入館料 大人200円、小学生150円

▼場所(かおな商店2階)
OPENのきっかけは大山寺の滞在時間を長くしたいとか&大山讃歌と言うと分かる人には分かるらしい。
農具あり、下駄あり、書物(教科書)あり、キャラメルの箱あり、
・・・な、結構何でもあり(?)な資料館。メインは100年前の品々。

(問)中身少なくないですか?→(答)もう少ししたら増える予定。
大山寺に来た人や大山寺の人(?)なら、多分気になってはいるものの中には入ったことが無い人の方が多い・・・はず。近々中海の取材も入っているとか。
蔵とかある家の人なら多分、一度は見た事ある品々が並んでます。

パッと見た感じでは、資料館と言うにはちょっと数が足りないかな?
・・・と言う準備真っ最中な雰囲気が若干出てはいますが
ちょこっと昔を懐かしむには・・・な感じになっています。

ちなみに、第1日曜日(14:00~)には明間(あきま)弁で昔話を語るとか。
次の昔語りは5月2日、6月6日。その頃に合わせると中身も揃っている・・・はず。
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今日8時の気温は5度。天気は雨+霧。
霧が晴れたり止んだり安定しない天気になりそうです。

今日の雨で散ってしまうかも知れませんが、桝水は桜の持ちが良いです。
博労座は満開になりつつあるところ、3分咲き程度のところ
など場所によって異なります。暖かくなれば一気に開く・・・はず。

ちなみにこの前は準備真っ最中だった参道ギャラリーも準備万端。
5月には環境省アクティブレンジャーの写真展が開催されます。
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僧坊跡説明会

2009-10-17 16:21:45 | 歴史・文化
今日は13時30分から、大山寺僧坊跡の現地説明会が行われました。

昔から大山は僧坊があって、南光院、西明院、中門院
…と勢力が分かれていたのは、よく知らせるところですが、

昨日は寂静山で発掘された僧坊跡の現地説明会がありました。

話や絵図から、昔此処には僧坊があって
僧兵3000人(武装した僧)、一般(?)僧+?人
一説には1万以上の僧が生活していたとも言われています。

また、絵図、僧坊の発掘結果、地面の状態(水平)からも
分かるように区画ごとに僧坊が立ち並んでおり、

個々で僧坊を建てていてはこのような形になることはない為、
大きな勢力を持ち、全ての僧坊を統一する存在があったでのでは
ないかと言われています。

そう言った感じで基本的な大山寺勢力(?)の話から始まり、
何故、此処に僧坊があるのか、発掘調査を行った理由、

新聞にも出ているような、トイレの話から、
石垣の話、武具(ナイフ)の話、その他もろもろ、
約2時間を掛けての説明が行われました。

区画説明中。参加者は100名近く。
昔から言われてはいても、確証が取れなかったのがようやく形に。
今日8時14度、16時現在変わらず。天気は曇。
朝から妙な風が吹いていて風で葉っぱが舞っています。
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堰堤は?

2009-10-14 11:42:04 | 歴史・文化
以前、チラッとあった金門の堰堤はいつ出来た?の疑問。
一言で言ってしまうと、時期も年代も不明な堰堤。

記録にある限りでは大正6年(1917)
大山の治山工事はじまる。

・・・とあり、その頃から段階的に砂防堰堤が作られていったのでは?
な雰囲気。大正の初めには金門を大山寺・大神山神社の参道として
使用していた写真が残っているので、堰堤が無かった?

かと思えば、よくよく話しを聞いてみると、
子供の頃(約50年前)は鎖かロープが金門に張ってあって、
それを張って上に登った気がする。と言う話も。
近寄れないため下から近づけて。大正初期の写真と今の状態を比べると、3m以上石が溜まっているように見えます。
今は見えませんが、辛うじて砂(石)に埋まる堰堤の下には水の通り道らしき穴が見えたり。
ちなみに、上の石はいつ落ちて来たかは、近くの人に聞いても普段通る道ではないため分からないとのこと。

金門を抜けた先にある堰堤と、南光河原の
現在工事している堰堤は石の積み方が同じに見えますが、

金門にある一段目の堰堤は石の合わせ方が
それよりも、更に古いもののようにも見えます。

大神山神社の石畳の原型が出来たのが寛政年間(1789~1800)
・・・と言うことは、それまでは、河原(金門の間)を参道として
使用しており、江戸時代後期の絵図からも、
金門は参道として使用されていたのは見て取れます。

堰堤としての技術が日本に伝わり、
近代砂防事業が始まったのが明治30年(1897)

砂防堰堤が作られる理由の一つ。
大きな水害が起きたのは、明治18年、19年、26年、27年、大正3年

阿弥陀川が毎年氾濫し危険なため、と言う記述があるのが明治26年
坊領川が改修されたのが明治27年。

県内で大規模な水害復旧工事が始まったのが明治27年

となると、明治27年頃に作られたと言う可能性や、
それよりももっと古いとも考えられたり。

参道の石は何処から運んだのか、いつ作られたのか、
切り分け門はいつから金門と呼ばれるようになったのか

調べれば、面白いですが、調べれば調べるほど、
謎が増えていったりします。
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今日8時の気温は13度。11時30分現在変わらず。天気は晴→曇。
紅葉は色づき始め。2~3割程度。

堰堤がいつ作られたか分かる方は教えて下さい。
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両墓制

2009-08-16 09:47:50 | 歴史・文化
お盆と言うことで墓参りに出かけた人は多いかと思います。
さて、お墓と言うと一般的には単墓制。

と言っても、そもそも墓に種類があるの…?
となりそうなので、その辺りを簡単に説明。

世代墓ー。両墓制だと思われている中にも、もしかしたら、墓石の下に本当に本人が眠っている…と言うところもあるかも知れませんがそれは例外として。ちなみにコレは両墓制の代表(?)格

単墓制:死体を埋葬した上に石塔を建て供養の場とする所

両墓制:死体を埋葬した地とは別に石塔を建て、
     長く霊をまつる対象とする風習から来たもの。
     (両墓制は「埋め墓」と「詣り墓」と二つの墓からなる)

遺体は穢れたもの、詣ると穢れが移ると恐れられていたため
捨て墓として、遺体のみを集めた場所も。

大山の僧兵たちは、両墓制となっています。
(庶民の場合だと、墓石など墓標がない可能性大。)

何故、両墓制が広まっているかと言うと、
一つ目は火葬ではなく、土葬だったと言うこと。
二つ目は信仰によるもの。

日本人は古くより、肉体と魂を分けて考えており、
人は死んだ後は、魂が肉体を離れ、魂本来の姿に戻り、
やがて清浄し、祖霊として信仰の対象となるされています。

そのため、此処で寂静したけど、どこに眠っているか分からない
…と言うようなことがあり、実際に眠っている場所が不明なのはこのため。
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今日8時の気温は22度。9時30分現在23度。天気は晴れ。
湿気もなくカラカラに乾いて暑くなっています。
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大ノ沢・零ノ沢・ゼロ沢

2009-08-07 08:24:35 | 歴史・文化
以前、大ノ沢と零ノ沢と言うタイトル(2009-05-14)で
同じもなのか、それとも違うものなのか、
はっきりとした区別が…と、書きましたが、

新しい情報が入ったので、それを紹介。
今回は、言葉だけで言われているものではなく、
形として公式(?)に資料が残っているものについて。

そもそも、何故、大ノ沢と零ノ沢・横手口沢が混在する
原因となったかと言うと、安易に更新できるHPの
存在があったと言われています。

※イメージ図。実際の沢の形とは異なります。

混在を無くしたいと言う熱い思いが伝わってきました。米子のI様情報提供ありがとうございました。

簡単に書かれたものですが、一番の問題(?)とされているのが、
上の表(2)ゼロ沢・無明沢のところ。

もともと、名前の無い沢とされていたところが
いつの間にか、無明沢やゼロ沢と名前が付けられ、
無明沢・大ノ沢・ゼロ沢・零ノ沢と言われるように。

現状のまま、放置すると10年後、20年後には
乱れが生じる恐れがあります。
そう言った混乱を避けるためともう一つ、

こちらが重要ですが、零ノ沢とゼロ沢が並んであると、
緊急時に対応出来ず、人命に関わる可能性があるため、

関係機関との協議により、新たに横手口沢(※1)が地名として新しく加わり、
大山遭難防止協会によって大山の新しい概念図が作られています。
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今日8時の気温は24度。天気は曇。
雨は降っていないものの、暗い雲に覆われています。

ユートピアのお花畑はそろそろ終わり。
砂すべりの状態は、一部崩れはあるもののだいぶ良くなってきました。
通る際は、足下がドロドロになることがあるのでスパッツは必須。

零沢・零ノ沢・零の沢・・・の区別など、
細かく調べればまた、違った情報が出てきそうですが、
キリが無くなってしまうのと、情報不足のため、沢についてはこれで。
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天狗と民話4

2009-06-25 10:14:21 | 歴史・文化
今回は前回までのまとめ。大山寺と弁慶との繋がりについて。

弁慶地蔵
 源義経の重臣であった武蔵坊弁慶は、
 大山寺から島根県平田市の鰐淵寺まで一夜にして
 釣り鐘を運んだと言う伝説が残っており、
 弁慶地蔵のあたりで、愛馬をつないだと伝えられています

▼弁慶の駒つなぎ跡
楠・檜・杉・樫あたりまではわかっても、欅は読めなかったです…

釣り鐘を運んだと言っても、勝手に持ち帰った訳ではなく、

 鰐淵寺の師の使いで大山寺へ来た際、大山寺の僧が
 一夜のうちにこの釣鐘を持ち帰るのならあげましょう

 と言ったところ、鰐淵寺の釣鐘に良いので欲しいと
 思っていた弁慶は、一夜にして(約100km)持ち帰ってしまった

と言う逸話が残されていますが、不名誉な話の為か、
弁慶が来た。と言う話はあっても、

何故来たのと言うのは、大山寺の方ではあまり知られていません。

そもそも、本当に大山寺から持ち帰ったのか。と言うのも
歴史(民話)の中のお話。詳しく記録が残っていません。

また、弁慶繋がりで、伯耆町のおにっ子ランドでは
園内を回る遊園列車に弁慶号(現在は利用中止)と言う名前があったり。
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今日8時の気温は24度。天気は快晴。
梅雨とは思えない良い天気。日向は暑いです。
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天狗と民話3

2009-06-23 08:47:22 | 歴史・文化
今回は弁慶側ではなく、弁吉側から見たお話。

弁吉は生まれた時から、みにくく縁が無かった。

 お前は、紀伊国、田那辺の誕象と言うものの子だが、
 父は盗みや殺生を動き、母は不浄の身で権現に参詣して
 叶わぬ子を願ったため、お前のようなぶざまな子が生まれた。
 しかし、あまりにも熱心に祈るから、仮初の縁を結んでやろう。

と、縁結びの神様で知られる出雲大社へ参ると、夢告げがあった。
その神託に従って、弁吉は枕木山の麓の長海村へ移り住んだ。

ある日、その地に山伏が現れ、

 出雲の神の結にて、汝の夫と定りぞする

と言い、弁吉は身ごもり、つわりで鉄が欲しくなり、
鍬を盗んで食べていたが、村の童子に見つかってからは
それまで柔らかかった鍬が、急に固くなり食べれなくなった。

弁慶は生まれた時から、髪も髭も歯も生えそろい、左肩には
摩利支天(武士の守護神)、右肩には大天狗という文字があった。

身体は真っ黒で鉄の様だったが、途中で鍬を食べるのやめた為か、
首の下だけは普通の人間と同じように肌色だった。

そんな子を普通のうぶ湯を使わせてはと思い、
弁吉は自ら井戸を掘りうぶ湯とした。

興味がある方は、山陰の民話(佐藤徳堯著)に詳しく書かれています

▼大山寺にある弁慶地蔵
弁慶地蔵があったり、馬を繋いだと言われた跡があるのは知っていても、何故、此処に…?と言う人は少なからず居るはず。次回はそれで
今日8時の気温は17度。天気は雲時々晴。
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天狗と民話2

2009-06-21 09:16:31 | 歴史・文化
…と言う事で、前回の続き。
弁慶の父は天狗だった、と知る事となったのですが、
弁慶はまだ島流し中。天狗の力で海もひとっ飛び、とはいかず

 向う岸へ渡してやるのは、いと易いことではあるが
 末代まで世の人々に、あかしを見せねばならぬから、
 お前の力で、これから西へむかって道をつくるのだ。
 お前の力を試すのだ、そして世の中へ出て、立派な人間になれ

と言い残してその場を立ち去ってしまいます。

それからと言うもの、弁慶は西に向かって
石や砂を海中に埋め、一直線に道を作っていきました。
その距離、約三十間(約54.5m)、無事、対岸へ渡りきった弁慶は
武者修行の旅へ出て、その活躍は・・・

現在は弁慶島と名づけられ、道も付けられ地続きになっています。
地形上、自然と砂利州が出来ると言われているなど、
今考えると不自然な点も多々あったりしますが、民話の中の話なので、
色々と脚色されたり、作られた部分もあるかと思います。

そう言う訳で、こう言った伝説(山陰版)もある。と言う参考までに。
山陰の民話。近場(?)だと大山自然歴史館さんの書庫に。鳥取県内、米子・倉吉・鳥取とそれぞれの市立や県立・町立図書館や島根の図書館にも。
今日8時の気温は22度。9時現在変わらず。天気は曇~晴。
涼しいような、蒸し暑いような。
今日は昼が最も長く、夜が最も短い日(夏至)。
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天狗と民話1

2009-06-20 09:31:58 | 歴史・文化
大山で天狗の話と言うと、
よく聞くのは、カラス天狗、伯耆坊などが居ますが、
今回は、それらよりもずっと名前が売れていて、
天狗と関係ある人物、武蔵坊弁慶のお話。


ある女がいつの間にか、長海の地に小屋を建てて住み着いた。
髪はざんばら、男か女か分からないあらくれものであったため、
村人は弁吉を山姥だと思いこんでいた。

そして、そこに住み着き、三年がたったころ、
村の鍬(クワ)が、盗まれるようになり、

 枕木山の山姥が、天狗の子をはらんだ。
 それがつわりで金を欲しがって、金を食うのだ

と言う噂が立つようになったが、山姥が鍬を食べる現場を
村の子どもが見かけてからは、鍬が無くならなくなった。

そして、十三ヶ月ぶりに鉄のような子が生まれ、弁慶と名づけられた。
弁慶は成長が早く、三、四歳の時にはもう、十歳くらいに見え、
村へ出かけると農作物を荒らしたり、子どものいじめたりして、
始末が付かなかったため、ある日、島流しとなった。

弁慶はとにかく何でも食べて生きたが、村人は山姥が、
トンビを使って食べ物を運んでいると思っていた。

ところが、実はそうではなく、弁慶が途方にくれているところに
誰とも分からない山伏がきて、食事の世話から遊び相手にもなり、
2年がかりで剣術や兵法を弁慶に教え込んでいた。

その頃には、すっかり鍛えられ、武術はもちろん、
人間としての心得、処世観など、将来えの基礎をたたき込まれた。

そして、その時になって、実は山伏ではなく、
弁慶の父の天狗だったと知ることとなる。


幼少むさしと言う遊びで育ったから武蔵坊と
名乗るようになったなど、他にも伝承は色々。
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今日8時の気温は22度。9時現在23度。天気は晴。
木陰に入ると風があって涼しいですが、日向は暑いです。
熱中症に注意。
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お地蔵様と牛馬市2

2009-06-04 10:37:33 | 歴史・文化
先ずは予備知識。は前回書いた通りですが、
マイナーな話になると、首が無いのは賭博に勝つ為だ。
…と言うのもあるらしいです。

一般的に賭博は禁止されており、それが見つかった場合
打ち首になったりもする厳しいものでしたが、

牛馬市の時だけは、祭りとして例外的に賭博が許され、
庶民のお祭りの一大イベント(?)でした。

そうなると、負けるよりは勝つ方が当然良い訳で、
地蔵の頭を懐に持ち、賭けに臨むと必ず勝つ事が出来る。

…と言う噂が立ち、

地蔵の力を借りるため、願掛け代わりに地蔵を壊し、
懐へ地蔵の頭を忍ばせて賭けに望んだ。と言うことらしいです。

そう言う訳で、勝った地蔵は元の場所に戻り、

賭けに負けた地蔵は捨てられて
見つかる場所に捨てられたものは元の場所へ戻る事が出来たものの、

完全に壊されてしまったものや、見つからない場所へ
捨てられた地蔵はそのまま、首が無いままになっているそうです。
(一部は、保勝会等により、新しく作られているものも)

横手の湧き水のところ。
パッと見ですぐ分かるものと、よく見てみるとおかしいな…?と違和感を感じるものは密か(?)に交換されていたり

今日8時の気温は16度。天気は曇+濃霧。
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お地蔵様と牛馬市1

2009-06-03 08:17:06 | 歴史・文化
大山寺には、頭の取れた地蔵や頭の部分だけを修復した
お地蔵様や仏像が数多くあります。
これは、廃仏毀釈(神仏分離)の影響によるもので、

…と言うのは、よく聞きますが、そもそも何故、
廃仏毀釈の影響で、地蔵様や石塔が壊されたり
寺院の廃止なったかと言うと、

一言で言うと、仏教に対する排撃運動によるもの。

昔は神仏習合で、神様(神教)・仏様(仏教)も一緒に
祭られていたわけですが、ただ、分けるだけではなく、

新政府(1868年3月)による、神道の国教化が謀られ、
(仏教や儒教の影響を受ける以前の純粋な日本古来の思想)

それに伴って、寺院よりも神道の方が勢力が強くなり、
神祇官や神職が寺院を襲撃したり仏教的なものを
引き剥がす動きが広がりました。

そうなると、逆の動き(反勢力)も当然出る訳で、
廃仏反対運動が起こり、神道国教化政策は変転し現在に至っています。
…と言うのがお地蔵様に首が無い理由(?)として一般的。

開拓風景。但し写真は無関係。牛や人がメインだった頃のお話。
今日8時の気温は15度。天気は曇。
暑くもなく寒くもなく、大山は雲に隠れていますが、
辛うじて見えています。
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大山の別名5

2009-05-26 09:43:38 | 歴史・文化
少し間を空けて、大山の別名。八葉峯について。

八葉峯は、今は呼ばれていない峯があったか、
もしくはその形容から名前が来たのでは。

と以前書きましたが、もしかしてこう言う説もあるのでは…?
と言うようなものも出て来たので。

一つは、大山は水と関わりが強く、水の神でもある龍(蛇)、
八岐大蛇(やまたのおろち)と関係があり、体長は8つの谷と
8つの峰にわたるほど大きく…な付近から八葉が来たのではと言う説

ですが、この場合はもっと一山ではなくもっと広範囲を入れる可能性が。

水と関わりが強いと言うのは以前から知られており、
大神山神社の境内には弁財天社があり、大山津見命(山と海の守り神)が
奉ってあります(大山は漁の際の目印として使われていた)

始め聞いた時は、弁天神社(市杵島姫命=通称弁天様は、日本神話に登場する水の神様)と聞いていましたが、違う神様でした。とは言っても水(農耕)に関わりがあるのは同じ。

いずれにせよ、大山には古い資料が殆ど残って居ない為、
詳しいことは分かりませんが、

おそらく、昔から言われていて、当たり前のように常識(?)になっていたり、
そもそも興味が無くて、流していたり。とまぁ、要因はそれぞれでしょうが、

全く、関係ない話から何かのきっかけで、話題に上ることもあるかも知れません。
とは言っても、八葉峰に関しては、大山寺の誰に聞いても、
「八葉峰?初めて聞いた。」と言う人が殆ど。

そうなると、地元(近場)からでは、八葉峰として認識しておらず、
少し離れた麓の方(大山全景が見れる場所)では八葉峰として認識している。

地図を作った人が、適当に名前を付けた。

など、そう言った可能性もあったりするので
理由が分からない方が逆に面白いのかも知れません。
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今日8時の気温は16度。9時30分現在17度。天気は曇。
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