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引用、メモ。

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四方田犬彦『ハイスクール1968』(新潮文庫)

2012-04-13 | 現代史
もう終わってしまった、という「祭りの後」に取り残されたような寄る辺なさ。何事もなかったようにつづいていく世界への、根源的な憎悪。つまりは、挫折感。そうした挫折感を、鹿島茂は「マイナスの資本」と呼ぶ。
それなくしては感じ取れない感覚がある、というのだ。だから、それは「資本」ということになるのだろう。鹿島は、四方田犬彦がこの「マイナスの資本」を抱えた書き手であることを、本書を通じてあらためて知った、と書く。
四方田犬彦にかぎらず、1968年の暴動―高揚を解放感とともに味わった人間であれば、その後の過程を、それぞれの形で何らかの挫折体験として経験しているのではないか。


■土着への退行を通して、混迷した現代を相対視する。

『ねじ式』に一貫しているのは夢の論理であり、どこまでも逸脱してゆく語りは、細部だけがなぜか濃やかなグロテスクに満ちていて、母体回帰の様相を強く漂わせている。夏の田舎町の風景のなかに蒸気機関車から軍艦の戦闘場面まで、日本近代の示すさまざまな図像が恣意的に挿入され、ノスタルジックな安息感と不安とが交互に現れ出ていて、全体としてエロスと死という相反する力が拮抗しあっている。
前近代の土着的なものへの意図的な退行を通して現代の混迷した状況を相対視する方法は、足立正生の16ミリの短編『鎖陰』から、セーラー服の少女に機関車を組み合わせた中村宏の絵画まで、この時期に特徴的なものであった。<P77>


■カフェの文化

1969年の新宿とは、なるほどそのような街だった。フラワーチルドレンの格好をした長髪の男女と活動家の学生、それに(わたしには見分けなどつかなかったが)公安警察の掲示が同じ喫茶店の高い天井の下でコーヒーを呑んでいたのである。

それはまさしく喫茶店の時代というべきものだった。後にわたしはポーランドの演出家タデウシュ・カントルが来日したとき、渋谷のパルコの二階で対談をしたことがあった。彼は東京にはまだクラコフやパリ同様、かろうじてカフェの文化が残っているから、それを守らなければならないと力説していた。そう、60年代から70年代にかけて、わたしはどれほどの時間を喫茶店で、一杯のコーヒーを前に潰したり、そこに同じ年の少女を誘い出すことに腐心してきたことだろう。どの店もそれなりに趣向を凝らした個性をもっていて、そのソファに座っているだけでわたしは大人になったような気持ちがした。今日、そうした文化は東京からすっかり消滅してしまったかのように思われる。目に付くのは安価なチェーン店のコーヒーショップであって、それは談笑や議論の場所ではとうになくなっている。わたしたちはひとつの文化のメディアを喪失してしまったのである。<P129>


■バリケートのなかで、子供じみた気持ちになる。

現実の存在を始めてしまったバリケードのなかに立っていることは、わたしを恍惚とさせた。教壇に椅子と机が規則正しく並べられている教室が、たちどころにして何もない空間に変容してしまうと、そこにはこれまで自明のものであった空間の位階秩序が消滅してしまう。それは引越のさいに、住み慣れた家屋から家具という家具が取り除けられてしまった後で、そっとその家の広間に戻ってくるような、心密かな愉しみにも似ていた。わたしは子供じみた気持ちになった。心はもう革命なのだ。<P214>


■1969年/1970年の間にある断裂

世間は大阪で開催中の万国博のことで大騒ぎしていた。つい数か月前まで新宿では催涙弾の煙のなかで大規模な騒乱事件が生じ、大学でも高校でもバリケードが築かれていたことなど、とうに忘れられてしまったかのように、人々は「お祭り広場」で浮かれ騒ぐことを覚えた。1969年と1970年とでは、あきらかに変わっていた。90年代当初まで続くことになる多幸症が、まさにこの年に開始されたのである。



■吉本隆明の覚悟。真摯であるということ。

予定した講演が終わると、吉本はいった。「二日にわたって聞いてくださった皆さんのなかには、自分に対して質問や異論をもっている人がかならずいると思う。時間がないのでそれに一つひとつ答えることができない。自分の住所を記しておくから、心ある人は手紙で問い合わせてほしい。かならずや返事を出しますから」。わたしは不思議な言葉を聞いたような気がした。この人は公式の場で語ることと、個人的に誰かに向かって語ることを、どう峻別しているのだろうか。著述家として多忙な毎日に、それこそそこに集まった聴衆が次々と手紙を出したとしたら、どう対処するつもりなのか。だが吉本にとって、自分の考えを未知の聴衆に向って話すことは、そうした不意の手紙や問いかけを十分に覚悟してのことであるようだった。わたしは後に彼が『マタイ福音書』について書いた長編評論を読み、いささかでもその覚悟のほどが忖度できるように思った。そしてそれは、彼がなぜに論敵に対してかくも激しい罵倒の言葉を投げかけるのかという問題についても、ある程度まで解答を差し出してくれたといえる。<P278>


■「遊び」の時間

もう遊びの時間は終わったのだと、わたしの耳元で誰かが囁いていた。一杯のコーヒーを前にジャズの難解さを理解しようと耳を傾けたり、ユートピアをめぐって終わりなき対話を続けるような時代は、政治の季節の凋落とともに幕を降ろしてしまったのだと。
60年代には孤立した前衛でありえた芸術は、来るべき70年代には、大衆消費社会のなかでほどよい面白さとほどよいスリルを備えた暇つぶしになり下がろうとしており、そこで基準とされるのは、何よりその場かぎりでの、パッケージ化された驚きであり、面白さでしかなかった。芸術が完全に消費財と化してしまう状況が、もうそこまで来ていたのである。<P343>
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