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第2章 アジア・アメリカの古代文明 2節  東南アジアの諸文明

2017-07-14 | 生物暗記法

 

用語リストへア  東南アジアの風土と人々
■ポイント 東南アジアの地域的区分を理解する。特にマレー半島が諸島部に入ることに注意。
・西からのインド文明と、東からの中国文明との双方の影響を受けながら、多くの民族が移動を繰り返してきた。
・地形 a 大陸部   現在のベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマー
     紅河、メコン川、チャオプラヤ(メナム)川、イラワディ川など長大な河川が下流にデルタを形成
    b 諸島部   現在のマレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピンなど
     マレー半島とスマトラ島、ボルネオ島、ジャワ島、スラウェシ島など多くの島々。
・気候 夏の高温多湿では稲作農業地帯を形成。湿潤な熱帯雨林気候で雨季と乾季に二分されるサバナ気候。
・c モンスーン を利用した海上交通が盛ん。 → 古代から現代まで、外の世界とのつながりが強い。
・文明の形成 d インド文明・中国文明 の影響を受け、ついでe イスラーム圏  に入り、それらが共存する。
  16世紀からはf ヨーロッパ勢力 が進出し、世界市場に組み込まれる。
・産業 大航海時代のg 香辛料 の産出。デルタ地帯での稲作、諸島部の錫やゴム。砂糖、コーヒー。現代では石油。
・人々の移動 インド南部からの*h 印僑  、中国からの*i 華僑  などが移住し、重要な存在となっている。

Text p.63

◎東南アジアの重要地名

東南アジアの重要地名 インドシナ   半島
 マレー     半島
 マラッカ    海峡
 ルソン     
 ミンダナオ   
 ボルネオ    
 スラウェシ   
 モルッカ    諸島
 ジャワ     
 スマトラ    
 紅河      
 メコン川    
 チャオプラヤ川 
 イラワディ川  



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用語リストへイ  インド・中国文明の受容と東南アジア世界の形成
■ポイント  中国文明の影響が強かった時期から、インドの影響(インド化)が強まる時期への変化を捉える。
A 文明の形成  前2000年紀末 ベトナム・タイ北部に青銅器文化が起こる。
銅鼓

b 銅鼓 

・前4世紀 a ドンソン文化  ベトナム北部を中心に、青銅器と鉄器をもつ文化。
  特色 青銅製のb 銅鼓  権力の象徴として祭祀で用いられたもの。
     中国南部から東南アジアにかけて広く分布する。
B 中国王朝のベトナム北部支配  (詳しくは次章で説明)
・前3世紀末 a 秦 の始皇帝 中国南部からベトナム北部に進出する。
・前2世紀末 b 漢 の武帝 ベトナム北部に進出し三郡を置いて支配。
 扶南    1世紀末頃、a メコン川  下流(現在のベトナム南部からカンボジアにかけての地域)に成立。
・東南アジア最古の国家。民族系統はクメール人説とマライ=ポリネシア系説がある。
・建国神話 インドから来航したバラモンと現地の女性が結婚して建国したという伝承がある。インド化の始まりか。
・b オケオ 遺跡 c ローマ帝国の貨幣、インドの神像、後漢の鏡  などが出土。東西交易の要地として栄えた。

解説

 扶南(ふなん)は漢字表記なので中国に近いベトナム北部にあったと勘違いされやすいが、実際はベトナム南部からカンボジアにかけての地域にあった。「フナン」はクメール語の古語で山を意味するプナムから来た言葉で、この国王が「山の王」と称したことから、中国で「扶南」の字があてられるようになった。現在のカンボジアの首都プノンペンのプノンと通じているので、カンボジアを含む国家であったことが理解できる。東南アジアで最初に自立した国家であり、港のオケオを中心に東西交易で繁栄した港市国家であった。
 オケオ遺跡から出土したローマ帝国のマルクス=アウレリウス=アントニヌス(五賢帝の一人)の肖像のある金貨の写真が教科書にあるので確認しておくこと。
 インド化  の進展  4~5世紀 インドのa グプタ朝  の繁栄に伴い、交易が盛んになる。
・内容 b ヒンドゥー教・大乗仏教  の伝来   c 王権の概念・インド神話  の影響
    d サンスクリット語  やインド文字の使用、インド様式の建造物など

解説

 東南アジアの文明の形成は、まず中国文明がベトナム北部から影響を及ぼしてきたことに始まる。銅鼓に代表されるドンソン文化も中国文明の影響が強かった。東南アジアの諸王朝は中国との関係が強く、扶南や林邑、真臘、室利仏逝などのように中国名でその名が伝えられている。そのような中、次第にインド文明の影響がおよんできた。その第一段階は1世紀ごろ南インドに成立したサータヴァーハナ朝の影響が扶南におよんだことであった。第二段階がグプタ朝の影響が及んだ4~5世紀ごろで、本格的に「インド化」した時代であり、その内容は上記のようなものである。なお、ベトナム北部は中国の影響が強いので長く漢字が用いられ、陳朝の時に漢字を元にチュノムがつくられるが、その他の地域ではインドのブラーフミー文字を元にしたビルマ文字、クメール文字、タイ文字がつくられていったのも「インド化」の一つである。
■ポイント 東南アジアの地域ごとの動きを理解する。現在の国家の領域とは一致しないことに注意。
 メコン川   流域(現在のカンボジア、ラオス、ベトナム南部を含む)
 ・6世紀 a カンボジア   中流域にb クメール人  が建国。中国ではc 真臘  として知られている。
  → d ヒンドゥー教 の影響を受ける。e 扶南  を征服しメコン中下流を支配。
 ・9世紀 都をf アンコール  に置く。王朝をアンコール朝、王宮をアンコール=トムという。
 ・12世紀 g アンコール=ワット   スールヤヴァルマン2世がヒンドゥー寺院として造営した。
   → 13世紀に仏教に帰依した国王によって仏教寺院に改修される。 

解説

 アンコールは首都、ワットは寺の意味なので、アンコール=ワットは「首都の寺」の意味。その北側に隣接する王宮がアンコール=トム(「大きな都」の意味)。アンコール=ワットは回廊にヒンドゥー教の説話である『マハーバーラータ』『ラーマーヤナ』の物語が浮き彫りで描かれてているなど、インド文明の影響が強い。12世紀前半、約30年をかけて造営されたヒンドゥー教寺院であるが、12世紀末の全盛期のジャヤヴァルマン7世の時に仏教寺院として使われた。カンボジアのクメール文化を代表するものとして世界遺産に登録されているが、カンボジア内戦で被害を受け、現在、修復が進んでいる。

Text p.64


 イラワディ川   流域(ほぼ現在のミャンマーにあたる)
 ・9世紀ごろ、中流域にはビルマ系a ピュー人  、下流域にはオーストロアジア系のモン人の国家があった。
 ・11世紀 下流域にチベット=ビルマ系のビルマ人が、b パガン朝  を建国。
  → スリランカとの交易を盛んに行い、c 上座部仏教  を保護し、多くの寺院、仏塔を建造した。

解説

 ビルマ人が建てたパガン朝は、征服したモン人から上座部仏教の信仰を受け継いだ。王たちは熱心に信仰し、盛んに寺院を建立した。そこでパガン朝は「建寺王朝」と言われている。その寺院は今でもパガンの町に多数残っており見ることができる。しかし、「仏寺成って国滅ぶ」と言われたとおり、13世紀には国力が衰え、1287年にモンゴル(元)のフビライ=ハンに攻撃されて滅亡した。
 チャオプラヤ川   流域(ほぼ現在のタイにあたる)
 ・7~11世紀 モン人がa ドヴァーラヴァティー王国  を建国。上座部仏教が伝えられる。
 ・11~12世紀 モンゴル人(元)に圧迫されたb タイ人  が雲南方面からインドシナ半島に南下。 
  → 13世紀 タイ人の最初の国家であるc スコータイ朝  を建国。同じく上座部仏教を信仰。

解説

 もともとのタイ人は現在のタイにいたのではないことに注意。タイ人はシナ=チベット語系に属し、中国南部の雲南省一帯にいた民族(大理も同系統)であったが、モンゴル人に圧迫されて南下したと考えられる。その過程でモン人を征服し、スコータイ王朝を建てた。13世紀末のラーマカムヘン王の時が全盛期で、クメール文字を元にタイ文字をつくった。スコータイ朝は周辺の民族に支配を及ぼし、タイ語の使用範囲も拡大、現在のタイ人はタイ語を話す人々の総称となっている。
 諸島部    のインド化 
 ・7世紀半ば スマトラ島パレンバンにa シュリーヴィジャヤ王国   成立。マラッカ海峡をおさえ繁栄。
  → 中国では室利仏逝と言われる。7世紀末、唐のb 義浄  が訪れ、大乗仏教の繁栄の状況を中国に伝える。

解説

 義浄は7世紀後半の唐の僧。仏典を求めて海路インドに渡り、ヴァルダナ朝の時代のナーランダ僧院で学んだ。帰路にシュリーヴィジャヤに滞在し、その地で書いた『南海寄帰内法伝』にこの国での大乗仏教が盛んであったことを伝えている。
 ・8~9世紀 c シャイレンドラ朝   ジャワ島を中心に海上貿易を支配。

Text p.65

  → 大乗仏教を保護し、ジャワ島のd ボロブドゥール   に大仏教寺院などの建造物を残す。

解説

 ジャワ島のシャイレンドラ朝は8世紀に大躍進し、一時は婚姻関係にあったシュリーヴィジャヤに代わってスマトラ島も支配し、さらにマレー半島、カンボジア、ベトナムにも進出したとされている。しかし、シャイレンドラ朝とシュリーヴィジャヤの関係はまだ不明な点が多い。ジャワ島中部に残るボロブドゥール遺跡はアンコール=ワットと並ぶ東南アジアの有名な世界遺産であるが、こちらは大乗仏教の寺院。なおジャワ島中部に9世紀半ばに登場したマタラム王国はヒンドゥー教国で、この王朝の時に造られたヒンドゥー寺院であるプランバナン寺院も世界遺産に登録されている。
 ・9世紀 ジャワ島中部のe マタラム王国  ヒンドゥー教を信仰。*プランバナン寺院を造営。
 ベトナム北部   紅河の流域
 ・1世紀 a 後漢 の支配に対するベトナムの反乱(*徴姉妹の反乱)が起きる。(後出)

解説

 秦の始皇帝の死後、中国南部からベトナム北部にかけて南越が自立した。漢は南越王を冊封(その地方の支配を認める)したが、武帝はその内紛に乗じて征服し、郡を置いて直接支配した。後漢もベトナム直接支配を続けたが、それに対して起こされたベトナム人の反乱が徴姉妹の反乱である。西暦40年、光武帝が派遣した後漢軍をベトナムの豪族徴氏の徴側(チュンチャク)と徴弐(チュンニ)の姉妹が先頭となって戦い、一時は後漢軍を撃退した。結局は後漢の将軍馬援によって鎮圧されたが、姉妹は現在もベトナム人の民族的な英雄として崇拝されている。
 ・その後もb 唐 まで、中国の各王朝の支配が続く。
 ・10世紀 c 宋 がベトナム北部の独立を認める。
  11世紀始め、ベトナム人最初の国家であるd 大越国 にe 李朝 が成立。
 ・13世紀にf 陳朝 が成立。元の侵入を撃退。漢字をもとにg 字喃(チュノム) をつくる。

解説

サチュノム 字喃(チュノム)は陳朝の時、ベトナム語を書き表すために、漢字を元に作られた文字。中国文化の影響の中で、独自の文字を持とうとした試みは、民族意識の高まりを示すものである。しかし、字喃は習得が難しかったことなどのために、一部の官僚が使用するものにとどまり、民衆には普及せず、公用の文字とはならずに衰え、ベトナムは後にキリスト教のフランス人宣教師が持ち込んだラテン文字を使用するようになる。
 ベトナム中部  
 ・2世紀末 チャム人がa チャンパー  を建国。
 ・中国では林邑、後に占城ともいわれる(後出)。インドの影響を受けた寺院建築を多く造営。
 → 大越国、アンコール朝と抗争を続ける。

◎7~8世紀の東南アジア

東南アジア 7~8世紀

 カンボジア     
 チャンパー     
 ピュー       
 ドヴァーラヴァティ 
 シュリーヴィジャヤ 
 シャイレンドラ   
 オケオ       
 アンコール=ワット 
 パレンバン     
 ボロブドゥール   



■ポイント 東南アジアに見られる国家形態の特徴
・海岸部にいくつかのa 港市国家  が繁栄した。
 b 海上と河川の交通の要衝となる港での物資の積み出しや中継をおさえた。連合体をつくることも多い。  
 → インド洋・東南アジアの海岸部に多く出現した。

解説

 港市国家はテキスト前節のp.61を参照。インド洋に面した国々にはスリランカのシンハラ王国、南インドのチョーラ朝などがみられるが、特に発達したのが東南アジアで、扶南、チャンパー、シュリヴィジャヤ、シャイレンドラ、マラッカ王国などがその典型的な例とされる。通常の国家のような陸上の領土は明確ではないが、港を中心に海上交易路や河川交易路を支配し、内陸の物資を集積して積み出したり、中継貿易を行って国力を高めた国々である。一つの国家類型として最近注目されている。
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