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自由民権運動の展開

2017-08-13 | ベック式!日本史用語集

権利おあいこ 前進座。
 民撰議院設立の建白書 立志社結成 大阪会議・愛国社 漸次(ぜんじ)立憲政体樹立の詔・新聞紙条例・讒謗律

[point]

1.士族民権期の事件・法令等は、愛国公党が民撰議院設立の建白書提出→立志社結成→大阪会議愛国社結成→漸次立憲政体樹立の詔新聞紙条例讒謗律、と続いた。

[解説]
1.征韓論に破れて下野した板垣退助後藤象二郎副島種臣江藤新平の下野参議4人は由利公正らとはかって、1874(明治7)年1月、東京で愛国公党(日本最初の政党)を結成。民撰議院設立の建白書左院に提出した。このことをきっかけに、自由民権論は急速に高まった。愛国公党は、日本最初の政党で天賦人権論を唱え社会に衝撃を与えた。建白書は、民衆によって選出された議院の即時開設を非征韓派の大久保政府に要求。ここに社会の上層、士族中心の民権運動(士族民権)がはじまった。

2.愛国公党は自然消滅し、1874年4月、板垣は郷里の土佐に帰って片岡健吉らの同志を集めて立志社をおこした。この動きに呼応して、全国各地に同種の政社が結成された。


3.板垣らの呼びかけで、全国の政社の中央組織、愛国社大阪に結成(1875年2月)された。


4.大久保政府は、農民一揆、自由民権運動の高まりに危機感を抱いた。そこで1875(明治8)年2月11日、当時実業界にあった井上馨(かおる)の斡旋により、大久保利通と、台湾出兵に反対して下野していた木戸孝允、それに板垣退助の三者が大阪で会談がもたれた(大阪会議)。大久保は木戸の主張を入れて漸進的な国会開設方針を決定した。この結果、木戸・板垣はいったん政府に参議として復帰すことになった。


5.政府側も、ようやく、大阪会議での妥協として1875(明治8)年4月に漸次立憲政体樹立の詔を出すとともに、立法諮問機関である元老院、最高裁判所にあたる大審院、府知事・県令からなる地方官会議を設置した。元老院では翌1876(明治9)年から憲法草案の起草がはじめられた。これは政府による反政府運動への懐柔策(アメの政策)だが、立憲政体への方向が打ち出されたことは画期的。


6.一方、民権運動家たちが新聞や雑誌で活発に政府を攻撃するのに対し、政府は1875年6月、讒謗律新聞紙条例などを制定して、これをきびしく弾圧した。(いやなご愛顧斬新じゃ。)(1875新聞紙条例・讒謗律)

7.木戸らの期待に反し大久保の独裁は止(や)まず、1875年10月板垣が、翌年3月木戸が参議を辞任。一方自由民権運動は士族反乱の高まりに押され、西南戦争(1877/(まさかの敗戦に)そんなバナナ/と西郷さん)の勝敗がどちらに傾くかを見守ることになり一時停滞していく。

2017慶大・経済:「
 征韓派旧参議らが民選議院設立の建白書を左院に提出したことを契機に、A.自由民権運動が展開された。新政府の下で安定的地位をえられない士族たちが運動を支えていたが、都市の商工業者に、さらには地方の豪農層等にも運動は広がっていった。

問2 下線部A自由民権運動が展開されたに関連して、次のa~cの時期を、下の年表の空欄1~6から選びなさい。.


a.讒謗律・新聞紙条例が制定される

b.内閣制度が発足する
c.立憲改進党が結成される
 
  [  1  ]

愛国社が大阪に設立される
   [  2  ]
国会期成同盟が結成される
   [  3  ]
自由党が結成される
   [  4  ]
秩父事件が起こる
   [  5  ]
三大事件建白運動が起こる
   [  6  ]

(答:a2、b5、c4)〉


2016同志社大・全学部

 以上のように近代化政策が強力に推し進められる一方で、士族を中心として政府の専制的な姿勢への批判も高まりつつあった。その動きはケ武力による反抗という形だけではなく、国会開設の要求としても現れた。1874年、板垣退助・コ後藤象二郎らが民撰議院設立の建白書を( 1 )に提出すると。それは世論に大きな影響を与え、自由民権運動が各地に広まる契機となった。こうした動きを受けて政府側からも1875年には漸次立憲政体樹立の詔が出され、立法上の諮問機関である元老院と地方官会議、最高の司法機関としての( サ )が設けられることとなった。しかし同年には自由民権運動をとりしまるための讒謗律と( シ )が公布され、言論活動には大きな制限が加えられたのである。

【設問ケ】新政府に不満を持った士族が起こした以下の反乱のうち、蜂起した年が最も早いものはどれか。1つ選べ。


 1.佐賀の乱 2.神風連の乱

 3.秋月の乱 4.萩の乱

【設問コ】後藤象二郎の出身藩の名を次のうちから1つ選べ。


 1.薩摩藩 2.長州藩

 3.土佐藩 4.肥前藩

[設問1]空欄1には、1871年に三院の1つとして設置された機関で、1875年に元老院が設けられるまで立法上の諮間機関として機能したものが入る。あてはまる語句を漢字で記せ。


【設問サ】空欄サに入る語句を次のうちから1つ選べ。


 1.集議院 2.枢密院

 3.貴族院 4.大審院

【設問シ】空欄シに入る語句を次のうちから1つ選べ。


 1.治安維持法 2.治罪法

 3.集会条例  4.新聞紙条例

(答:設問ケ.1 ※1874年、設問コ3、設問1左院、設問サ4、設問シ4)〉


2013中大・法

 1874年、[ 1 ]専制を批判した1民撰議院設立建白書が提出されると、大きな反響をよんだ。民権運動が活発化すると、大阪会議がひらかれ、[ 2 ]ならびに[ 3 ]の復職と立憲政体をめざすことが決まった。これを受けて、2漸次立憲政体樹立の詔が出された。他方で、政府は讒謗律・新聞紙条例等を制定して言論統制を強めた結果、民権運動は一時衰退した。

問1 文中の空欄[1~3]に入るもっとも適切な語・人名を漢字で答えなさい。


問2 下線部1民撰議院設立建白書に関連する説明文について正誤を判断しなさい。

 
a 民撰議院設立建白書の主張は、「上流の民権」論とよばれた。

 b 民撰議院設立建白書は、行政上の諮問機関である右院に提出された。
 c 民撰議院設立連白書の提出が、自由民権運動の始まりとされている。

問3 下線部2漸次立憲政体樹立の詔に関連する説明文について正誤を判断しなさい。


 a この詔に基づき1890年に国会を開設することになった。

 b この詔に基づき、大審院・元老院・地方官会議が設置された。
 c 大阪会議を主宰したのは、内閣総理大臣大久保利通だった。」

(答:問1→1有司、2&3板垣退助、木戸孝允、問2a〇、b×※右院→左院、c〇、問3a×※漠然と立憲政体への移行方針を示したもので、まして国会の開設などの時期は明示されてない、b〇、c×※内閣制度が始まるのは1885年、大久保は1878年に暗殺されている)

立件規制集住し。

立志白)(国会成同)(会条例)(明治十四年の政変)



[point]

1.豪農民権期の事件・法令等は、立志社建白国会期成同盟結成→集会条例明治十四年の政変、と続いた。

[解説]

1.士族反乱の失敗後、立志社建白がでて、再び運動が国民的な運動が社会の上層(士族)のみならず中層(豪農層)まで(豪農民権)に発展。これが国会期成同盟結成にいたる。

2.立志社建白(1877.6)は、片岡健吉らが天皇宛てた建白(却下される)。国会開設条約改正に加え、農民の願いである地租軽減を要求。政府の富国強兵策を鋭く批判し国民の切実な不満を明示。民権運動が国民的な運動(豪農民権)に発展する契機となる。


3.国会期成同盟結成(大阪)(1880.3)。愛国社第3回大会で国会開設をめざして全国各地の政社を結集するために、愛国社を新組織に改組した。


4.伊藤博文中心の藩閥政府は、集会条例(1880.4)を出し、集会・結社の自由を制限して民権運動を抑圧。(集会に/やはり臨席警官が)(集会条例/1880


5.国会期成同盟第2回大会(東京)(1880.11)は、各代表が全国累計約13万5千人の国会開設要求署名を持参し集まる。次回までに憲法見込案(私擬憲法)を各社が持参することを決める。


6.明治十四年の政変がおこる(1884.10)。発端は(1)開拓使長官黒田清隆が1490万円投下の官有物を同じ薩摩出身の政商五代友厚に38万円無利息30年賦で払い下げようとし(開拓使官有物払下事件)、世論の批判を浴びたこと。(2)政府のこの危機に、伊藤博文の政府主流派は以下を断行。(ⅰ)開拓使官有物払下を中止。(ⅱ)国会即時開設を画策する参議大蔵卿大隈重信一派を政府から排除。(ⅲ)国会開設の勅諭を出し、国会開設を公約。ただし開設の明治23年は10年後なので、この間これ以上騒ぐと公約は守らないという脅しでもあった。


7.立志社の国会開設建白が再び運動に火をつけ、国会期成同盟結成で民権運動が国民的な運動(豪農民権)に発展する。これに対し伊藤政府は、集会条例で弾圧をはかる一方、明治十四年の政変で政府権力の再構築をおこなった。

 

2017関西大・全学部

(D)1877年に、立志社社長【ア片岡健吉 イ板垣退助 ウ後藤象二郎】が中心となって、政府の失政8ヵ条をあげ、国会開設・地租軽減・条約改正を要求した意見書、すなわち立志社建白を天皇に提出しようとしたが、政府に却下された。」

(答:ア)〉


2017同志社大・全学部

【設問e】下線部eに関して、1880年に起こった出来事として適切なものはどれか、次のうちから1つ選び、その番号を解答欄Ⅲ-Bに記入せよ。

 1.第1回帝国議会が開かれた。

 2.愛国社が国会期成同盟に改称された。
 3.西南戦争が終結した。  
 4.讒謗律が公布された。」

(答:2)〉


2016早大・教育

 明治維新の終期については諸説があるが、その第1は、廃藩置県が実施された1871年。第2は、学制・徴兵制・地租改正などの主要政策が実施され、[ 2 ]をめぐって政府が真っ二つに分裂した1873年。第3は、最後の士族反乱が鎮圧され内乱の時代が終わった1877年。第4は、軍隊と警察を動員して沖縄県設置が強行された1879年。第5は、明治14年の政変が起こった1881年である。明治14年の政変において[ 3 ]らは、大隈重信を政府から追放し、開拓使官有物払下げを中止するとともに、国会開設の勅諭を出して1890年の国会開設を公約した。こうした対処が明治憲法体制形成に向けての出発点となり、以後、国会開設に備えて憲法起草に取り組むことと並行して、d支配体制を固めるための諸施策が実行されたのである。

問2 空欄[ 2 ]に該当する歴史用語を漢字三字で記せ。


問3 空欄[ 3 ]に該当する人物2人を選べ。         


 ア板垣退助 イ伊藤博文 ウ井上毅

 エ尾崎行雄 オ木戸孝允

問7 下線部dの諸施策のうち、明治14年政変後から大日本帝国憲法発布までの間に実施されたものをすべて選べ。

 
 ア 天皇直属の参謀本部が設けられ、政府から独立して軍令を管掌することになった。

 イ 広大な山林や有価証券などが皇室財産に編入され、天皇家は日本最大の財産所有者となった。
 ウ 中学校以上の男子校で軍事教練が開始された。
 エ 華族令が制定され、旧大名・公卿のほかに、士族の勲功者が新たに華族に加えられた。
 オ 小学校教科書は、文部省が著作権を有するものに限ることとした。」

(答:2征韓論、問3イ、ウ、問7イ、エ)〉


2016明大・政経:「

問1 史料Aは大日本帝国憲法の上諭であり、天皇が自らの約束を実行して憲法を制定したと説明している。その約束である下線部(ア)明治十四年十月十二日ノ詔命は何を指すか。適切な語句を解答欄に書きなさい。」

(答:国会開設の勅諭)


2013中大・中大・法(国際企業関係法):「

 下線部3立志社建白書を提出したのをきっかけに民権運動は再びもりあがりをみせ、1878年には愛国社も再興されたに関連する説明文について正誤を判断せよ。

 a 片岡健吉らは、立志社設立後、大阪で愛国社を設立した。

 b 愛国社は、国会期成同盟に改称された。
 c 立志社建白書は、自由民権運動の三大要求、すなわち国会開設、地租軽減、条約改正を含んでいた。

(答:a〇、b〇、c〇)

義父福タグか 次回父。

(岐阜事件(難(そうなん))(福事件・田事件)(群事件・加波山(かばさん)事件)(自党・父(ちちぶ)事件)



[point]

1.激化諸事件前半は、板垣遭難福島事件高田事件群馬事件加波山事件自由党解党秩父事件と推移。

[解説]

1.板垣退助遭難(1882(明治15).4)。党勢拡大で全国を遊説中、岐阜で遭難負傷した(岐阜事件)。

2.福島事件(1882.11)。県令三島通庸(みしまみちつね)は県民に強制労働による三方道路(さんぽうどうろ)の建設を課し、さらに反対する県会議長河野広中(こうのひろなか)ら同県自由党員を挑発して弾圧した。


3.高田事件(1883(明治12).3)。


4.群馬事件(1884(明治13).5)。


5.加波山事件(1884.9)。


6.自由党解党(1884.10)。松方デフレ下で激化事件が頻発、これに恐れをなした自由党中央は、加波山事件の翌月に解党。


7.秩父事件(1884.10)。埼玉県秩父地方で、松方デフレで没落した農民が武装蜂起した。困民党を称する約3000の農民が急増する負債の減免を求めて立ち上がり、多数の民衆を加えて高利貸・警察・郡役所などを襲撃したのに対し、政府はその鎮圧に軍隊まで派遣した。

 

 〈2016慶大・経済

問7 下線部Fに関して、下の年表は自由民権運動に関する事項を年代の古いものから順に並べたものである。次のa~cの出来事が起きた時期を、下の年表中の空欄1~8の中からそれぞれ選びなさい。(重複使用不可)

 a.国会開設の勅諭が出される

 b.漸次立憲政体樹立の詔が出される
 c.保安条例が公布される

 

  [  1  ]
板垣退助らが左院に民撰議院設立建白書を提出する
  [  2  ]
愛国社の再興大会が大阪で開催ぎれる
  [  3  ]
国会期成同盟が結成される
  [  4  ]
立憲改進党が結成される
  [  5  ]
福島事件で河野広中が逮捕される
  [  6  ]
加波山事件が起きる
  [  7  ]
三大事件建白運動が起きる
  [  8  ]

(答:問7a4、b2、c8※1887年 一派離さんなお保安。)〉

 

 〈2014明大・情報コミュ:「
 下線部カ自由民権運動に関する説明として、もっとも正しいものを次の1~4のうちから1つ選べ。

 1 江藤新平らは有司専制を批判する建白書を政府正院に提出し、反政府運動を開始した。

 2 西南戦争が勃発すると、これに関連して、土佐では板垣退助を中心に立志社が設立された。
 3 松方デフレの中、激化事件を起こした自由党は秩父事件を契機に解党してしまった。
 4 国会開設時期が近づくと、民権派は運動の立て直しをはかり、後藤象二郎を中心に大同団結運動を起こした。」

(答:4 ※1×左院に提出、2×立志社は1874年結成で、1877年の立志社建白との混同をねらった問題、3×解党は秩父事件の前)〉


2013慶大・法:「

 松方財政が引きおこしたデフレは、生活が窮乏した農民らと手を結んだ自由党員らによる激化事件を頻発させたが、政府はこれに対して徹底的な弾圧を行う。自由党は[ 39 ]の翌月に解党し、また立憲改進党も大隈らの離党によって、事実上の解党状態に陥る。政府系の政党であった立憲帝政党も政府からの保護が得られなくなったため、1883年には解党する。」

(答:加波山事件 ※原問には選択肢80あり)


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