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神道

2017-05-29 | ベック式!日本史用語集



伊勢わた唯よ 垂やふひ


会家行(わたらいいえゆき)・勢神道)(田兼倶(かねとも)・一(ゆいいつ)神道)(崎闇斎・加神道)(古神道・平田篤胤

[ポイント]
1.神道は、両部神道→伊勢神道度会家行)→唯一神道吉田兼倶)→垂加神道山崎闇斎)→復古神道平田篤胤)と発展した。

[解説]     

1.両部神道は、平安時代にはじまる、インドの仏と日本の神は本来同一であるとする神仏習合説による神道。真言密教の両界(両部)曼荼羅により説明するところからこの名がある。

2.鎌倉仏教の影響を受けた独自の神道理論が、伊勢外宮の神官度会家行(生没年不詳)によって形成され、伊勢神道(度会神道)とよばれた。度会家行は『類聚神祇本源』を著し、従来の本地垂迹説と反対の立場に立ち、神を主として仏を従とする神本仏迹説(反本地垂迹説)をとなえた。

3.また神道思想による『日本書紀』などの研究も進み、吉田兼倶(1435~1511)は神本仏迹説にもとづき、神道を中心に儒学・仏教を統合しようとする唯一神道を完成した。

4.山崎闇斎(1618~82)は、京都の生まれで鍼医の子。幼くして比叡山の小僧となり、25歳の時還俗して儒者となる。京都に塾を開き、多くの門人に教え崎門(きもん)学派を形成する。48歳のとき会津の保科正之に招かれ藩政への助言者として活躍する。このころから次第に神道に傾倒し、神道を朱子学で解釈した垂加神道を説く。垂加闇斎の号。これまでの伊勢神道・唯一神道や吉川惟足(これたり)にはじまる吉川神道などを土台にしたもので、道徳性がきわめて強い。神の道と天皇の徳が一体であることを説くことから、闇斎一門の崎門学(きもんがく)は、尊王論の根拠ともなった。

5.平田篤胤(1776~1843)は、『古道大意』で尊王思想・排仏・排儒の国粋主義にたつ復古神道を確立。尊王攘夷運動に影響。

〈2016早大・商

問E  江戸時代の下線部ホ.吉田神道と吉田家に関する説明で、正しいものはどれか。

 1.吉田神道は両部神道として大成された。

 2.諸社禰宜神主法度は、吉田家による神職の組織化を促進した。
 3.吉田神道は本地垂迹説を唱えた。
 4.吉田家を神職の本所と定めた諸社禰宜神主法度は、朝廷から発布された。
 5.吉田神道は仏教や儒教とは習合しなかった。

(答:2 ※1×両部神道→唯一神道、3×反本地垂迹説、4江戸幕府)

〈2016上智大・神外(英)総人(教・心)

G 南学派の儒学者で神道家。a京都の鍼医の息子。土佐の人で南学の実質上の祖といわれるb谷時中に学び。江戸で保科正之に献策する。神道と儒教を融合したc垂加神道を創始した。d『群書類従』と題された読書記録が残る。

問1 Gの下線部a~dのなかには、その人物の説明文に用いる語句としては不適切なものがある。A~Lそれぞれについて、誤っている語句をa~dの中から1つ選びなさい。また、それにかわる正しい語句を、語群から1つ選びなさい。


〔語群〕

1大阪 2江戸  3本居宣長 4新井白石
5吉川 6度会 7『文会筆録』 8『集義和書』

(答:Gd→7  ※Gは山崎闇斎〈斎〉に『』) 


  〈2015関西大・済文社会など

(B)こうした仏教界の動きに刺激されて、鎌倉時代末期には、度会家行が反本地垂迹説に基づく( 6 )神道を唱えた。さらに、室町時代には( 7 )が神祗信仰と儒教・仏教を統合した神道を創唱して、全国の神職を組織化していった。

 江戸幕府は封建的支配のー環として仏教を利用したため、神道の保護には消極的であった。 17世紀後半、谷時中門下の儒者であった山崎闇斎は伊勢神宮への参拝を契機に神道に傾倒し、朱子学と神道の合一を求めて( 8 )神道を起こした。これに対して、国学者の平田篤胤は、賀茂真淵や本居宣長らによって唱えられた思想を、( 9 )神道として大成させた。


 19世紀に幕府体制が握らいで社会不安が高まると、既成の仏教や神道とは別に、生神ともいえる強烈な個性を持った教祖による新しい宗教が唱えられるようになった。岡山の黒住宗忠による黒住教や、同じく岡山の( 10 )による金光教など、さまざまな民衆宗教が誕生した。


〔語群〕

 ア栄西   イ伊勢   ウ開目抄
 エ教行信証 オ東常縁  カ吉川
 キ垂加   ク国家   ケ一条兼良
 コ極楽寺  サ尊王   シ立正安国論
 ス井上正鉄 セ正法眼蔵 ソ円覚寺
 タ摧邪輪  チ中山みき ツ川手文治郎
 テ復古   ト顕如   ナ日親
 ニ両部   ヌ吉田兼倶 ネ山王
 ノ一遍   ハ称名寺  ヒ選択本願念仏集
 フ唯一   ヘ明恵   ホ蓮如」

(答:6イ、7ヌ、8キ、9テ、10ツ ※今後代わって天中や。〉


〈2014明大・全学部前期

 東アジアの17世紀から19世紀において、武家政権をトップにもち、世襲の身分制度に依拠した江戸時代の日本社会では、儒教はその本質から離れ幕藩体制の都合にあわせ、ゆがんだ形で解釈された。たとえば、歴史書『本朝通鑑』を編纂した[ 1 ]は、幕府内では僧侶として位置づけられていたし、会津藩主保科正之の信任を得た[ 2 ]は、吉川惟足から神道を学び、朱子学と融合させた垂加神道を説き、江戸時代を通じて影響力をもった。しかし、中国や朝鮮ではこのようなことはおよそ考えられないのである。(中略)

 19世紀に入ると、不安定になる社会への危機意識から、日本の神代の時代を理想とする復古的な国学が登場し、[ 5 ]が復古神道を盛んにし、水戸藩では国学を政治論までたかめ、国体論を形成し、尊王懐夷運動に影響を与えていったのである。」

(答:1林羅山、2山崎闇斎、5平田篤胤)〉


〈2013慶大・文

 平田篤胤は、( N )と呼ばれる神道説を大成した。」

(答:N復古神道)

 

●鎌倉時代(元応2

 1320年〈度会家行、『類聚神祇本源』を執筆〉★★

Kitabatake Chikafusa writes “Jinnō Shōtōki (Chronicles of the In1320,“Ruijyujingihongen” was edited to theorize Shinto by Ieyuki WATARAI.

秘密終わったら 類似品。

1320年  度会家行『類聚神祇本源』 

              伊勢神道   

1320年、度会家行は神道思想を集大成した『類聚神祇本源』を著し、神本仏迹説(反本地垂迹説)の立場から、伊勢神道(度会神道)論を創始した。

 

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