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BY 鈴木小太郎

一応のまとめ:二人の東大名誉教授の仕事について

2017-06-19 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 6月19日(月)11時29分26秒

ここ一ヵ月ほど、渡辺浩氏の『東アジアの王権と思想』を出発点として諡号・追号、天皇号・院号について検討して来ましたが、もともとこの話の土台には藤田覚氏の「『後醍醐天皇』などと呼びはじめたのは、たかだか八〇年ほど前からに過ぎない」という基本的な誤解が存在していますね。

「藤田覚氏への素朴な疑問」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8897
「『後醍醐天皇』などと呼びはじめたのは、たかだか八〇年ほど前からに過ぎない」(by 藤田覚氏)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8903

藤田氏はこの基本的誤解に加え、『雲上明覧』という史料も読み間違えて、自説を誤った方向に補強しています。

『雲上明覧』を読んでみた。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8931

そして藤田氏の『幕末の天皇』に惑わされた渡辺浩氏は、この問題の基本文献である『帝室制度史』を読んではみたものの正確に理解することができず、諡号・追号と天皇号・院号を混同し、史実としては「順徳院」という「諡号+院号」を贈られた人が「諡号+天皇号」を贈られたものと誤解しています。

「従来の日本史用語の思想性も衝き,斬新なパースぺクティブを提示」しているのか?
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8926
安徳天皇以来の「諡号+天皇号」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8928

更に渡辺浩氏は『大日本永代節用無尽蔵』という史料について、ちょっと信じられない誤読もしています。

『大日本永代節用無尽蔵』を読んでみた。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8929

ということで、『東アジアの王権と思想』における

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 十三世紀初期から十八世紀末までの日本には、ある意味で、天皇は存在しない。順徳天皇(在位 承元四・一二一〇年ー承久三・一二二一年)以来、天保十一年(一八四〇)に光格天皇(在位 安永八・一七七九年ー文化十四・一八一七年)の諡号が復活するまで、「天皇」の号は、生前にも死後にも正式には用いられなかったからである。彼等は、在位中は「禁裏(様)」「禁中(様)」「天子(様)」「当今」「主上」等と、退位後は「仙洞」「新院」「本院」等と、そして、没後は例えば「後水尾院」「桜町院」「桃園院」と呼ばれた。前掲『大日本永代節用無尽蔵』(嘉永二年再刻)の「本朝年代要覧」も、光格・仁孝以前は(古代とそれ以降の順徳等少数の「天皇」を除き)、「何々院」と忠実に記載している。江戸時代人は、「後水尾天皇」などとは、言わなかったのである。(『東アジアの王権と思想』(1997年 初版 7頁)
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という記述は、東京大学名誉教授・藤田覚氏の複数の勘違いの上に、東京大学名誉教授・渡辺浩氏が独自の複数の勘違いを追加した勘違いの詰め合わせであることはガッテンしていただけたのではないかと思います。

東京大学名誉教授・渡辺浩氏の勘違い
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8895

>筆綾丸さん
>15歳の竜王もありえますね。

藤井四段がこのまま連勝を続け、あらゆるタイトルを獲得し、18歳くらいで「見るべき程の事は見つ」とか言って飄然と棋界を去る、という可能性はどうでしょうか。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「中学生の名言と栗田艦隊の謎の反転」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8953
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