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赤江達也『矢内原忠雄 戦争と知識人の使命』

2017-06-23 | 将基面貴巳『言論抑圧-矢内原事件の構図』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 6月23日(金)08時30分32秒

岩波新書の新刊、赤江達也氏の『矢内原忠雄 戦争と知識人の使命』を購入して少し読んでみました。

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非戦のキリスト教知識人の最大のミッションとは何だったか? 内村鑑三門下の無教会キリスト教知識人、植民政策学者、東大総長、戦後啓蒙・戦後民主主義の象徴といった多面的な相貌と生涯を、預言者意識、「キリスト教ナショナリズム」、「キリスト教全体主義」、天皇観など、従来の矢内原像を刷新する新しい視点から描く。

https://www.iwanami.co.jp/book/b287526.html

矢内原忠雄は面長で鼻梁が高く、いかにも頭の良さそうな美男子ですが、若い頃はビリケンに似ていると言われていたそうですね。
1910(明治43)年、第一神戸中学校を卒業し、旧制一高へ入学した頃の話として、

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 この時期、忠雄は次第に世の中への関心をもちはじめている。この年の夏、話題の中心は韓国併合であった。八月に大日本帝国は大韓帝国を併合し、台湾につづいて朝鮮半島を領有するのである。ただ、忠雄やそれ以前から朝鮮に漠然とした関心を抱いていた。
 きっかけは忠雄の尖った頭のかたちが、韓国統監(併合後は朝鮮総督)の寺内正毅と似ていたことだった。忠雄はときに「寺内」や「ビリケン」といったあだ名で呼ばれた。ビリケンは尖った頭と吊り目をもつ子供の像で、「幸福の像」として世界中で流行していた。六年後に寺内正毅が総理大臣になると、「非立憲」と「ビリケン」をかけて「ビリケン内閣」と呼ばれた。
 川西の親友の三谷隆正が七月に神戸を訪れたときにも忠雄を「韓国統監」とからかい、増井艶子が「私は統監夫人になりましょうか」と冗談を重ねた。忠雄自身も、韓国統監になったら愉快だろう、といった無邪気な想像をしている。一七歳の矢内原忠雄にとって、韓国統監は、きわめて身近な立身出世のイメージだったのである。
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とあります。(p10)
寺内正毅の写真を見ると、確かに頭の形が変わっていてビリケンにそっくりですが、矢内原は頭の輪郭だけはビリケンっぽいものの、全体の印象はそれほどでもないですね。
ま、十代の頃の容貌は違っていたのかもしれませんが。

Billiken
https://en.wikipedia.org/wiki/Billiken
寺内正毅(1852-1919)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%86%85%E6%AD%A3%E6%AF%85
矢内原忠雄(1893-1961)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%86%85%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E9%9B%84

以前、少し検討した将基面貴巳氏の『言論抑圧-矢内原事件の構図』(中公新書、2014)は「マイクロヒストリー」を標榜する割には特に緻密な実証的分析はなく、いささか拍子抜けの本でしたが、『矢内原忠雄 戦争と知識人の使命』は丁寧な叙述が続き、安心して読めますね。
といっても、まだ第一章しか読んでいませんが。

『言論抑圧-矢内原事件の構図』への疑問(その1) ~(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ea5b2f468d424f577a3b571c9007a17d
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f845d4872f82d1feb488e49909cd7502
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/04fc98e86340bf2030df8d6300a98afb
『言論抑圧-矢内原事件の構図』は「必読の書だ」(by中島岳志)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dc1c63d45ec51c92faa9073d4cf463aa
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