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BY 鈴木小太郎

牛山素行氏の見解について

2016-10-31 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年10月31日(月)11時21分15秒

仙台地裁判決について、批判的な立場の学者の中では静岡大学防災総合センター教授牛山素行氏の見解が一番参考になりそうなので、少し検討してみます。

『豪雨災害と防災情報を研究するdisaster-i.net別館』
「大川小学校災害に関する仙台地裁の判決から思うこと」
http://disaster-i.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-a04a.html

牛山氏は、御自身が認められているように、

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筆者は,災害情報に関する研究者ではあるが,裁判や法律に関する専門的知見は持たない.あくまでも災害に関する研究者としての私見であることをお断りしておきたい.
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という立場の人ですので、近時の判例においては安全配慮義務違反、特に学校事故のそれについて相当厳しい判例が蓄積されていることを、それほどは御存じないと思われます。
この点が今回の裁判所の判断が一般人には受け入れにくい理由のひとつになっていると思いますが、それは後で述べるとして、事実関係について若干気になる点を挙げてみます。

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一方,15時半頃以降に目指した避難場所(三角広場)が,大規模な津波の襲来を予見している中での判断としては不適当であり,裏山が避難場所として支障はなかったと判断している.事前の予見可能性ではなく,津波到達直前の避難場所の判断に主に過失を認めているようだ.
つまり,津波到達直前には,津波は堤防を確実に越え,三角広場への避難では低すぎると判断できたはずであり,かつ裏山を避難場所として選択しなかったことが不適当だという見方のようだ.しかし,内陸部での津波の挙動について誰もが的確な知識があるとは思えず,当時において三角広場の高さと予想されるその場所での津波の高さをとっさに比較できたはずだというのは,かなり厳しい判断だと思う.
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「三角広場」ではなく、「三角地帯」が判決での表現ですが、ここは逃げ場のない場所であることが重要ではないかと思います。
「三角広場の高さと予想されるその場所での津波の高さをとっさに比較」するのはもちろん無理ですが、「三角地帯」に行ってしまったら、後は登ることが全く不可能なコンクリートの擁壁と急斜面だけ、という予想は容易です。

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また,崖崩れなども懸念され,必ずしも明瞭な道のない裏山を避難先として選択しなかったことが不適当だというのも,かなり厳しい判断だと思う.判決は「現実に津波の到来が迫っており,逃げ切れるか否かで生死を分ける状況下にあっては,列を乱して各自それぞれに山を駆け上がることを含め,高所への避難を最優先すべきであり」とあるが,このような考え方が広く一般化したのは東日本大震災以降ではなかろうか.無論このような判断ができれば,それに越したことはないが,当然そうすべきだったとまで言えるだろうか.
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牛山氏が「崖崩れなども懸念され,必ずしも明瞭な道のない裏山」をどの範囲で捉えているのかはっきりしませんが、原告が主張した「裏山」は、水道施設建設などのために少なくとも50年以上前から、実際にはもっと昔から利用され、踏みしめられていた山道とその周辺で、校庭の集合場所から小走りで一分で行ける場所ですね。
裁判官もここを実際に視察しています。

『弁護士ドットコムニュース』
「革靴の裁判長が「裏山」の避難ルートを登った・・・津波被災の「大川小学校」視察」
https://www.bengo4.com/saiban/1139/n_3939/

個人的にはこの視察が裁判官の判断に大きな影響を与えたのではないかな、と思っています。
斜面の角度などは写真で見ても理解しにくく、実際にその空間に身を置かないと分からないですからね。

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また,住民と相談し,裏山への避難について反対されたことについて,判決は「(住民)の意見をいたずらに重視することなく,自らの判断において児童の安全を優先し,裏山への避難を決断すべきであった」としているが,住民と混在した避難場所での状況を踏まえると,そのような「判断」を「すべきだった」と言うのが現実的か,難しいのではなかろうか.
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ここは私は判決原文を読んでいないので、どのような事実認定がされたのか興味があるのですが、暫くすれば『判例時報』に掲載されるはずので、それを読みたいと思います。
一般的・抽象的には、「住民」は教員と違い児童に安全配慮義務を負う立場ではないので、教員が独自の判断をすべきとの判旨は肯けます。

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判決では,管理者(ここでは教員)が災害進行中の「的確なとっさの判断」が当然行われるべきであったとしているようにおもえる.しかしこれは,災害前に事態を予見しておくことよりもむしろ応用的な高い能力を求めているように感じられる.
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この牛山氏の指摘は非常に鋭いと思います。
津波直前の極めて短時間での判断ミスだけに「過失」を認める判断構造は、今回と同じ裁判官が担当した宮城県山元町坂元の「常磐山元自動車学校」事件(仙台地判平成27・1・13、『判例時報』2265号)と全く同じなのですが、私もちょっと不自然ではないかと感じています。
石巻市側が控訴することが決まったので、どの時点でのいかなる対応を「過失」と認定するかについては、控訴審で別の判断が出るかもしれないですね。

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行政関係者や教育関係者に限らず,誰もが「管理者」になり得る.こうした高い能力の行使を管理者に求めることは,我々の誰もが重い責任を追うことになる.それに我々は社会全体として対応できるだろうか.また,自然災害時の「管理者」故意ではない判断にこうした厳しい責任追及がおこなわれることが,関係者の口を過度に重くさせ,客観的な原因分析を阻害する可能性も懸念される.
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このあたりは牛山氏のご専門を離れて、法的判断の領域に入ってしまいますね。
安全配慮義務に関して蓄積された多くの判例の中には、その当時としては現実的に対処可能とは思えない重い責任を負わせたのではないか、と思われる例も多く見られます。
個別事件の解決を超えて、「管理者」に新たな水準の認識を要請し、社会全体に警鐘を鳴らすことは裁判所の重要な役割かもしれません。
ただ、それが一般人の規範意識とかけはなれてしまってはまずい訳で、牛山氏の懸念も理解できます。

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一方,被災後の校長,生存教員,市などの対応については注意義務違反は認められなかった.しかし,本裁判に至った心情的な背景としては,被災後の関係機関の遺族らへの対応に課題があった可能性は否定できない.ただしこのことも,単純に批判できるものではないと思う.災害後の現地機関は,未経験,かつ平常時をはるかに上回る業務量を抱え,丁寧な対応ができなくなる可能性がある.被災地域の各種機関を,いかに支えていくかも大きな課題だろう.
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原告勝訴を予想していた私も、判決が出た直後に遺族代表らしい人たちが掲げた「学校・先生を断罪!!」の横断幕には驚きました。
深刻な「心情的な背景」があったのでしょうが、石巻市側にも相当な言い分があるはずで、一方的に石巻市側を非難することはできないですね。
長くなってしまったので、いったんここで切ります。
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