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BY 鈴木小太郎

貝塚啓明「高校時代の山崎氏のこと」

2017-06-17 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 6月17日(土)10時53分34秒

>筆綾丸さん
>いま読むと、なんだか照れ臭いような会話なんですね。贈名とか、用語も変で。

そうですね。
後白河は途中までは権力欲に憑かれた者たちの心理的弱点を巧みに突いて、その運命を弄ぶ不気味な予言者として描かれているので、いかにも「人は絢爛と滅びるために生きるのだ」みたいなことを言いそうな人物なのですが、最後の最後で妙に弱々しい人間になってしまっていますね。
まあ、山崎正和はそうした人間存在の矛盾を描きたかったのだ、みたいな見方もあるでしょうが、単に統一的な人間像を造型することに失敗しただけ、との評価も可能かもしれないですね。
『舞台をまわす、舞台がまわる-山崎正和オーラルヒストリー』では御厨貴氏らが山崎正和の記憶力の良さを絶賛していますが、「夏草と野望」の第一幕で後白河の追号を詳しく論じながら、第三幕ではその追号を生前の後白河の自称として使ってしまうような物覚えの悪い人だということを知ってしまった後では、作品全体に対する評価も変ってきますね。

>棚橋の論稿も、いまとなっては照れ臭くて読み返せないかもしれません。

後世に残るのは『中世成立期の法と国家』だけかもしれないですね。
ウィキペディアの棚橋光男の略歴には「岸俊男・大山喬平に師事」とありますが、大山氏は山崎正和と高校(京都府立鴨沂高校)で学生運動仲間だったそうですね。
貝塚啓明氏の「高校時代の山崎氏のこと」(『山崎正和著作集1』月報)には大山氏の名前も登場します。(p3以下)

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 当時は、世の中がいわば一八〇度変った時期であり、先生方にとってもおそらく混迷時期であったと思われる。【中略】
 このような時期に、確か高校二年のときと記憶するが、突然校長つるし上げ事件が起きた。その経緯はそれほどはっきりしていないが、T校長が夕方料理屋(料亭?)からいい気分で出て来られるところを写真にとった学生がいて、これを種としてビラをまいたことがきっかけであった。ある日、「校長がつるし上げられとるぞ!」というクラスの一人の声で授業そっちのけで皆が校長室にかけつけると、すでに校長室はいっぱいで筆者が壁ぎわに押されるように立っておそるおそる眺めていると、数人の学生が校長をつるし上げている最中であった。
 残念ながらこの数人の学生のなかに山崎氏がいたかどうかは確認しえないが、当時、校門でビラを配っていた学生のなかに、ベレー帽をかぶり精悍な顔つきの山崎氏がいたことは間違いがない。これらの騒ぎの主謀者とおぼしき人々には、河合秀和(現在学習院大学教授)、竹内成明(現在同志社大学教授)や大山喬平(現在京都大学助教授)の諸氏が含まれていて、やがて山崎氏を含めてこれらの諸氏は、京都大学や東京大学の一時期の学生運動の立役者へと変貌するのである。筆者の印象では高校時代のこれらの諸氏のなかで、山崎氏がもっとも迫力があり、汚い頭陀袋を肩から下げ、ベレー帽をかぶり、どた靴をはいて道を歩いてくる山崎氏に出会うと圧倒される思いであった。いずれにしても、高校における学生運動のはしりともいえるこれらの事件については、一つの歴史的事実として、時期がくれば当事者に客観的な記録を作っていただくようお願いしたい。
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『舞台をまわす、舞台がまわる-山崎正和オーラルヒストリー』では、共産党に入って学生運動をやっていたのは高校時代だけで、大学ではやっていなかった、みたいなことを言われていますね。
ま、政治的にはずいぶん早熟だったようで、この種の経験が「地底の鳥」のような暗鬱な作品にも活用されているようです。
山崎正和と同世代で演劇に詳しい人というと、私の場合は山口昌男の名前が最初に出てくるのですが、山崎正和の青春時代には山口昌男のような明るさが全くなく、それが山崎に喜劇を描く才能がない理由でもあるのでしょうね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「絢爛と、腹を切る」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8948
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