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BY 鈴木小太郎

Assassination of Trotsky

2017-02-12 | 山口昌男再読
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 2月12日(日)11時08分13秒

『ヤン・コット 私の物語』(みすず書房、1994)、まだ読み始めたばかりですが、

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1914年ワルシャワに生まれる。ワルシャワ大学文学部教授を経て、1966年アメリカ合衆国へ移住。イェール大学、カリフォルニア大学バークレイ校、ニューヨーク州立大学ストウニー・ブルック校で教えてきた。1985年、George G. Nathan 記念最優秀演劇批評家賞、1989年、フランス政府美術・文芸功労賞を受ける。著書『古典作家の学校』(1949、せりか書房、1970)『シェイクスピアはわれらの同時代人』(1965、白水社、1968)『ヤン・コット 演劇の未来を語る』(1966、白水社、1976)『シェイクスピア・カーニヴァル』(1987、平凡社、1989)ほか。

http://www.msz.co.jp/book/detail/01094.html

という表面的な経歴からは想像しにくい、何とも凄まじい人生を生きた人ですね。
とりあえず、トロツキーの暗殺者、ラモン・メルカデルに関係する部分を少し抜き書きしてみます。(p4以下)

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 たぶんパリで一番醜いその郊外地域に、われわれはたいてい四人で出かけていった─マリア、シルヴィア、ジャック、それに私だった。そこには確かマリアの友達の誰かが持っていたか借りていたかした、荒れ果てた一軒家があったのだった。小柄で色白、顔のぽっちゃりしたシルヴィアは、私より二、三ヵ月早く、一九三八年の夏にニューヨークからパリへ来ていた。シルヴィアをサン=ラザール駅で待っていたのはマリアだった。同じ年の九月だったか一一月だったか、私を北駅で待ちうけていたのもマリアだった。マリアもシルヴィアもトロツキストだった。
【中略】
 その頃からエレンは、パリの外れのあのボロ家にわれわれと一緒に出かけることはもうほとんどなくなった。必ずいたのはシルヴィアとジャックだった。シルヴィアが彼の何に惹かれているのか、私にはよく分からなかった。しかし彼女は四六時中彼にまとわりついていた。ジャックはジャックで、決してわれわれの会話に入ってこようとはしなかった。どこか得体の知れない男だった。カード賭博だか決闘騒ぎだかでベルギーの軍隊から除名されたのだとマリアは言っていた。シルヴィアとは、恐らく私がパリに来る前から一緒だった。どこかの週刊誌専属で、スポーツの、たぶんサッカーのカメラマンをしているという話だった。ただいつも写真機をもてあそんでいたことしか覚えていない。私は長い間彼の苗字も知らずにいたのである。モルナール。ジャック・モルナール─
 本当はラモン・メルカデルという名だった。彼の母は、すでにスペイン内乱時代、無政府主義者やトロツキストをGPU〔国家政治保安部〕(後にNKVD=ソ連内務人民委員部として知られる)に売り渡していた古参スパイだった。母はメルカデルをまだ子供のうちに仕事に引き込んだ計算になる。だが、これらはすべて何年も後になって初めて知ったことだった。
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ウィキペディアを見ると、ラモン・メルカデルは1914年、ヤン・コットと同年の生まれですね。

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In 1938, while he was a student at the Sorbonne, Mercader, with the help of NKVD agent Mark Zborowski, befriended Sylvia Ageloff, a young Jewish American intellectual from Brooklyn and a confidante of Trotsky in Paris, and assumed the identity "Jacques Mornard", supposedly the son of a Belgian diplomat.
A year later, Mercader was contacted by a representative of the "Bureau of the Fourth International."[8] Ageloff returned to her native Brooklyn in September that same year, and Mercader joined her, assuming the identity of Canadian "Frank Jacson". He was given a passport which had originally belonged to a Canadian citizen named Tony Babich, a member of the Spanish Republican Army who died fighting during the Spanish Civil War. Babich's photograph was removed and replaced by one of Mercader.[8][9] Mercader claimed to Ageloff that he purchased forged documents to avoid military service.
In October 1939, Mercader moved to Mexico City and persuaded Ageloff to join him there. The Russian Bolshevik revolutionary Leon Trotsky was living with his family in Coyoacán, then a village on the southern fringes of Mexico City, after being exiled from the Soviet Union, following the power struggle against Stalin's authority that he lost.

https://en.wikipedia.org/wiki/Ram%C3%B3n_Mercader

ウィキペディアの日本語版と英語版で細かい違いが多々ありますが、要はメルカデルはトロツキーに接近する道具としてユダヤ系アメリカ人のシルヴィア・アゲロフに眼をつけた訳ですね。
そして1940年8月20日、暗殺に成功。
メキシコで20年服役した後、キューバを経て1961年にソ連に行ったときには既にスターリンの時代は去っていましたが、それでも「ソ連邦英雄」の称号を授与され、1978年にハバナで病死ですから、スパイ・暗殺者としてはけっこう幸せな最期を迎えた訳ですね。

>筆綾丸さん
>高山宏氏は、仏文科の教授とソリが合わず

『奇想天外・英文学講義』の一番最後、「口上─傲慢謝辞」には、

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 大学紛争のあと、セクト活動家同士のごたごたで、仕方なく英文学科に籍を置いた。自分としては美術史学か、仏文科に行きたかった。仏文科は対立セクトの学生たちの巣だったし、ホッケの種村季弘訳ですっかりいかれた美術史は結局ぼくの美術史学のイメージとはまったく逆の世界だということがのちのち判明するので、まあ選択として無残というほどの選択ではなかっただろうと思う。それが、武田鉄矢氏の歌の文句ではないが、「思えば遠くへ来たもんだ」である。
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とありますね。
また、『回想の人類学』に付された川村伸秀氏の注釈(p175)によれば、筑摩叢書版の『道化の民俗学』の解説で、高山宏氏は、

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学生自治会にいたぼくはたしか「道化の民俗学」は、林檎箱みたいな臭いのついた旧式な湿式コピーの回し読みで、バリケードの中で読んだ記憶がある。
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と書いているそうで、高山氏にはヘルメットを被った学生運動家としての青春があったみたいですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
Parachute doré
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8775
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