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BY 鈴木小太郎

「エール大学のいくぶん生意気な大学院生であった一九六〇年代」(by スーザン・B・ハンレー)

2017-07-17 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 7月17日(月)10時07分47秒

スーザン・B・ハンレー氏、ウィキペディアには日本語版はなく、英語版もあっさりした記述ですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Susan_Hanley

『江戸時代の遺産─庶民の生活文化』(中公叢書、1990)の脇田修氏による「解説」の冒頭には簡明な著者紹介があります。(p220)

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 著者であるスーザン・B・ハンレー氏は一九三九年アメリカ合衆国に生まれ、ハーバード大学のラドクリフ・カレッジの出身で、イェール大学大学院でジョン・W・ホール教授の指導を受けた。現在はワシントン大学教授で、海外でも唯一といってよい日本研究の専門誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・スタディース』の創設に参加し、その編集長を務めるアメリカにおける第一線の日本研究者である。著書・論文としては、これも日本研究者として令名の高い夫君コーゾー・ヤマムラとの共著である Economic and Demographic Change in Preindustrial Japan 1600-1868, Princeton U.P.1977.(邦訳『前工業化期日本の経済と人口』速水融・穐本洋哉訳、ミネルヴァ書房、一九八二年)などがある。
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また、著者自身の「序」には、『前工業化期日本の経済と人口』執筆に至る経緯として、

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 一九五〇年代末に、ハーバード大学で日本についての研究を始めたとき、二つの点が気にかかっていた。まず第一に、日本も欧米諸国もともに封建制と工業化を経験したという事実にもかかわらず、なんと日本人は欧米人とは違っているのだろう、ということであり、もうひとつは、一九世紀には、たいへん貧しい国民であり、西洋に遅れをとっていて、そのため工業化も遅れた日本人が成し遂げたことが、まさに「日本の奇跡」というべきものであった、という点である。
 日本が工業国として経済的に成功を収めるとともに、こういった思いが解消されていくどころか、むしろ、ただ人並みにというばかりでなく、学問的なレベルでも、その思いは強まった。マルクス主義の枠組みを用いている日本の歴史家たちは、封建的な江戸時代の後進性や停滞、さらにこの封建制度のもとでの農民の苦労や搾取を強調する。日本およびアメリカの非マルクス主義的な研究者も、伝統的な経済と急速に工業化した近代日本とを切り離して、明治維新を日本史における大きな分水嶺のひとつと考える。
 エール大学のいくぶん生意気な大学院生であった一九六〇年代、既成の学者の結論に疑問をいだき、再解釈しようとしていた私は、ジョン・ホール教授の勧めによって、新しい研究が示していたように江戸時代の経済が成長していたのであれば、人口学者のいうような「堕胎や間引き」が日本人のあいだで広く行われていたのはなぜか、という謎を追究することになった。
 この問題についての私の最終的な結論は、日本人は人口増加を調整していたのであり、それも赤貧のためではなく、自分たちの生活水準を維持、向上させようとしていた。「堕胎・間引き」といった過激な方法をとったのは一部で、それよりは、一家に一人の息子にしか結婚を認めないとか、経済的な後退期には結婚を遅らせる、農村では一家を養うのに十分な一定の土地がなければ新たな世帯を作らせない、といった社会的コントロールがごく普通に行われていたことのほうが重要である、というようなものであった。このような発見は、夫のヤマムラ・コーゾーの協力を得て、一九八二年、ミネルヴァ書房から『前工業化期日本の経済と人口』として日本語訳を出版した。
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との説明があります。(p3以下)
『前工業化期日本の経済と人口』はスーザン・ハンレー氏が主導したもので、ヤマムラ・コーゾー氏は協力者という位置づけなのですね。
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