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BY 鈴木小太郎

E・H・ノーマンと「戦後日本の倒錯した悲喜劇」

2017-07-15 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 7月15日(土)11時18分57秒

私はもともと近世史に全く疎く、去年、エマニュエル・トッドの『家族システムの起源』に登場する「中切」の謎を追いかけていた頃は、まるで暗闇の中をトボトボと歩むような気分だったのですが、今回、 渡辺浩氏の『東アジアの王権と思想』を出発点として少し勉強してみて、なんとか近世史への橋頭堡は築けたような感じがしてきました。
反面、飢饉の歴史などを追ってみて些か疲れもしたので、そろそろ別の方面に行こうかな、と思っています。

さて、歴史そのものより歴史研究者に着目するのが私の流儀ですが、水谷三公氏と苅部直氏はなかなか興味深い研究対象ですね。
水谷氏の場合、江戸への過度の思い入れの原因ははっきりしています。
高階秀爾・田中優子編『江戸への新視点』(新書館、2006)所収の同氏の「3 体制と役人」では、英国外交官オールコックとパークスの幕府役人への悪口を紹介した後、次のような記述があります。(p50以下)

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【前略】また、革命政権が旧体制を褒めないのは政治的に当然だが、江戸体制を救いようのない頑迷固陋と斬って捨てた明治の政治的指導層の言動にも、超大国英国の口移しの気味が感じられる。
 こうして定着した江戸のイメージは、歴史研究と叙述の指針としては不適切だが、たとえば旧ソビエト・アカデミーの官製史学に比べれば、なお我慢のしようはあった。ところが、明治末(ニ十世紀初頭)以降に登場する社会主義理論家やマルクス主義学者たちは、明治の「絶対主義的官僚国家」をやかましく非難する反面で、江戸の体制を歴史の進歩に取り残された、非人道的な封建的専制体制と批判する点で、英国外交官や明治政府の上をいった。その結果、マルクス主義史観は明治国家の官制史観と奇妙な癒着を起こし、歴史認識の複雑骨折に輪を掛けることになった。
 たとえば、『日本における近代国家の成立』(岩波文庫、一九九三年)の著者として知られ、第二次大戦後、カナダ人外交官として占領期日本に滞在したE・H・ノーマンは、マルクス主義が欧米知識人のあいだに流行していた当時の英語圏読者の間に、江戸の庶民が虚偽と抑圧の政府によって収奪され、苦悩していたという画像を広めた一人である(ちなみに、日本の「進んだ」読者が、長くこの本を参考に江戸を考え、論じるという、戦後日本の倒錯した悲喜劇が、私の背を江戸研究に押しやった)。ノーマンの本を今日なお手にとる読者がいれば、その青春と歴史叙述に深い刻印を刻んだマルクスも、オールコック同様、ヴィクトリア英国の空気をたっぷり吸い込んだ人だった事情に思い当たるだろう。つまるところ、これらのひとびとにとって歴史は、神に導かれて正義の王国に進撃する「真の文明」と、悪魔に誘われ右往左往はするが、最後には「進歩」から見離され、破滅を免れない人間との抗争にほかならない。だとすれば、江戸の役人には、悪の帝国を支える小悪魔以外の役どころは残らない。
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「進んだ」読者がE・H・ノーマンの『日本における近代国家の成立』のような偏った書物を「参考に江戸を考え、論じるという、戦後日本の倒錯した悲喜劇」への憤りが、水谷三公氏の江戸時代研究の出発点なんですね。
このような動機は分からないでもない、というか非常に良く分かるのですが、まあ、ハンレー/ヤマムラの『前工業化期日本の経済と人口』を見ただけで盛岡藩には天明飢饉などなかったと思い込んでしまう水谷氏にも相当な問題があります。
水谷氏が一番駄目なのは日本国内における地域差への感受性が絶望的に乏しい点で、『ラスキとその仲間』の著者略歴によれば「三重県に生れて、奈良県に移」り、東大入学以降はずっと東京で暮らしているらしい水谷氏には、巨大都市江戸への繊細な感受性はあっても、地方、特に水稲栽培の北限だった盛岡藩あたりへの感受性は皆無ですね。
安場保吉氏の書評を読む限り、ハンレー/ヤマムラの『前工業化期日本の経済と人口』は、それ自体は決して悪い本ではないようですが、都会人ミズタニの感受性の偏りを妙に刺激してしまったようです。
上記引用に続く部分にもハンレーの名前が登場するので、水谷氏はハンレーに相当影響を受けているようですね。

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 ただ、江戸の役人を生理的に嫌悪したオールコックすら、「専制体制」にもかかわらず、江戸時代の庶民が平和で豊かな生活を享受していることを認めていた事実を忘れるならフェアではない。幕末のある日、首都江戸を遠く離れて田園を旅行したオールコックは、ヨーロッパの農村に見られない豊かで満ち足りた生活を送る庶民たちの姿を実見する。そのとき受けた印象について、これが「圧政に苦しみ、苛酷な税金を取り立てられて窮乏している土地だとはとても信じられない」と述べている。
 オールコックが農村観察から得た直感的印象が大筋で正しく、当時の農民が比較的軽い税負担と緩やかだが確実に上昇する生活水準を享受していた事情は、たとえばS・ハンレー『江戸時代の遺産』(中央公論社、一九九〇年)による検証がある。
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私もスーザン・B・ハンレー『江戸時代の遺産─庶民の生活文化』をパラパラ眺めてみましたが、この本もそれ自体は決して悪い内容ではありません。
しかし、日本に生れた研究者であれば、地方によっては、およそ「比較的軽い税負担と緩やかだが確実に上昇する生活水準を享受」できない農民も多かったことへの想像力は持っていただきたいものですね。
さて、ミズタニ名誉教授の場合、要するに野暮ったい戦後歴史学の「貧困史観」への反動、ということで説明できそうですが、ソビエト連邦崩壊の翌年、1992年に出た『江戸は夢か』の内容を四半世紀後、2017年になっても疑わないカルベ教授についてはどう考えるべきなのか。
ドン・キホーテに無批判に追随するサンチョ・パンサ、カルベ教授については別途検討が必要かもしれません。

>筆綾丸さん
>常習犯の盛岡藩

盛岡藩、いろんな点でけっこう変わっていますね。
妙な興味が湧いてきたので、継続的に少しずつ調べてみるつもりです。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「豚に歴史はありますか」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/9003
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