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「我国に在て基軸とすべきは一人皇室あるのみ」(by 伊藤博文)

2016-06-27 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月27日(月)08時41分44秒

エドモンド・バークを基準にしたら、日本に保守主義者はいませんでした、で話は終わりそうですが、宇野氏は「しかしながら、だからといって近代日本にはまったく保守主義は存在しなかったといえるだろうか」(p171)との問題意識のもと、「憲法起草者である伊藤が、自らのつくり出した明治憲法体制の「保守」に最大の関心と情熱をもった人物であったとしてもおかしくない」として、伊藤博文に言及します。
宇野氏の伊藤博文像は瀧井一博氏の研究に依拠しているようですが、

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 伊藤はこの木戸のすすめでローマの故地を訪れる。ローマの古(いにしえ)の歴史を振り返りつつ、日本の課題が文明国としての制度的枠組みを整備することにあると認識したとき、伊藤はそれが時間を要するものであることを実感したという。瀧井によれば、この瞬間こそ、急進的な改革官僚であった伊藤が、漸進的な改革政治家に変わった瞬間であった。
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のだそうで(p173)、なかなかドラマチックですね。
さて、上記に続けて、宇野氏は次のように述べます。

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保守主義の担い手
 しかしながら、伊藤にとって困難もまた明らかであった。欧州諸国において憲法政治には歴史があり、今日多くの国々で自明の原理とされている。これに対し、「憲法政治は東洋諸国に於て曽て歴史に徴証すべきものなき所にして、之を我日本に施行するは事全新創たるを免れず」(枢密院での講演、『伊藤博文演説集』)。
 日本を含む東洋の国々にとって、憲法政治はまったく新たな試みであった。そのような試みをゼロから打ち立てることの難しさを、伊藤は強く認識していた。
 さらに伊藤は、そもそも憲法政治にはその国の精神的な「基軸」となるものが必要だが、はたして日本にそのような「基軸」があるかを問題にする。「抑欧州に於ては憲法政治の萌芽せる事千余年独り人民の此制度に習熟せるのみならず、又た宗教なる者ありて之が基軸を為し、深く人心に浸潤して人心此に帰一せり。然るに我国に在ては、宗教なる者其力微弱にして一も国家の基軸たるべきものなし」(同前)。かつて隆盛した仏教も今日では衰退に向い、神道もまた人々の人心をよく掌握できていない。結論として伊藤は「我国に在て基軸とすべきは一人皇室あるのみ」と結論づけるが、その皇室はあくまで伊藤のデザインした明治憲法体制のなかに位置づけられるべきものであった。
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私の当面の関心は宗教にあるので、宇野氏の問題意識とは別に、この部分にちょっと注目したのですが、私自身は江戸時代中期には日本の世俗化はほぼ達成されていると考えているので、まあ、伊藤が仏教も神道も「微弱にして一も国家の基軸たるべきものなし」と認識していたことは当然だと思います。
ごく少数の例外を除き、伊藤のみならず、明治維新の動乱を生き残って「明治憲法体制」を作り上げた国家指導者の大半の宗教認識はこのような醒めたものですね。
では、津地鎮祭訴訟や愛媛玉串料訴訟の大法廷判決で、現代日本の最高の知的水準にあると思われる人々がほぼ一致して認識している強大な「国家神道」とは何だったのか。
明治憲法制定前は「微弱」だった神道が、国家、あるいは伊藤が「我国に在て基軸とすべきは一人皇室あるのみ」と評価する皇室と結びついた結果、たちまちにして化け物のように強大な存在に転じたのであろうか、といった疑問も生じるのですが、これはまた後で検討します。

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