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BY 鈴木小太郎

「ただ穏やかな日が蘇へるために、ときどき驕れる者が絢爛と滅びなければなりませぬ」

2017-06-16 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 6月16日(金)11時43分19秒

>筆綾丸さん
>朧な記憶ながら、後者には、たしか、後白河法皇が清盛を指して、人は絢爛と滅びるために生きるのだ、とかなんとか言う場面があったと思いますが、

『山崎正和著作集2 戯曲(2)』(中央公論社、1982)を見たところ、「野望と夏草 三幕六場とエピローグ」のエピローグは、

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文治二年(一一八六)夏。
大原の里、寂光院の庵室。
夜。月の光が深い林の葉叢を透してあちこちに落ちてゐる。
貧しい庵室に燭台を灯して、後白河と尼姿の阿波内侍、それに今は建礼門院となった徳子が座ってゐる。
庭のほの暗いところに、頭巾で深く顔を隠した二人の僧が佇む。
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という設定になっていて(p91)、次のようなやりとりがあります。(p93以下)

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後白河 できることなら答へてくれ。このむなしさに帰るために、ひとはなぜ一度あの栄華を築かねばならぬ。なんのためだ。寄辺ない娘二人を残すために、ひとはなぜ信西や清盛の恐ろしい志を抱かねばならぬ。
僧1 (低くゆっくりと)峰のうへの雲はなんのために湧くのか。獣を驚かす野分はなんのために吹くのか。青い大空をいや増しに青く、嵐のあとをいや増しにうららかにするためでございませう。
僧2 人の世の転変も同じこと、ただ穏やかな日が蘇へるために、ときどき驕れる者が絢爛と滅びなければなりませぬ。
後白河 待て。そなたは誰だ。その声には覚えがある。
建礼門院 あ。(暫時の間)父上……
阿波内侍 (ほぼ同時に)お父上。

女たち二人、縋りあふ。
二人の僧、ゆっくりと逃げて舞台前面に進み出る。
月の光が頭巾のなかに射して、僧1は信西、僧2は清盛の顔をしてゐるのが見える。
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ということで、絢爛と滅びる云々は清盛の亡霊(?)が後白河に語るセリフの中の表現ですね。
ところで、第一幕第一場には信西と清盛の次のようなやりとりがあります。(p19以下)

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藤原信西 うむ清盛。いづれ今上には贈名〔おくりな〕をさしあげねばならぬ。ちょうど今、恰好の名前を思ひついたところだ。後白河天皇。どうだぴったりだとは思はぬか。あの恐るべき英雄、白河上皇。それを戯画に描いたやうな後白河天皇……
【中略】
平清盛 (短い間)だが贈名とは意地悪いしきたりですな。どんな帝王、英雄でも、結局は後の世の人間に名前をあたへられ、凡俗の眼によって計りにかけられるわけですな。
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ここ暫く諡号・追号、天皇号・院号を検討してきた私としては、諡号ではなく追号だからそれほど「意地悪いしきたり」でもないだろうとか、「白河天皇」「後白河天皇」ではなく、それぞれ「白河院」「後白河院」だよね、とか若干の意見がない訳でもありません。
ま、それはともかくとして、これだけ贈名について丁寧な検討を加えておきながら、第三幕第一場では、

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後白河 だとすればその清盛が、なぜ今となってこの私を責めようとする。なるほどそなたの調べによれば、後白河は謀叛人をそそのかしたのかもしれぬ。【中略】おのれの血筋と天命にもし本当の自信があれば、手に一兵もない後白河をそなたが恐れるわけがないではないか。
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という具合に、生前の後白河天皇が「後白河」を自称で使っています(p74)。
「私」で通せば十分なのに、ここはさすがに変ですね。

>速水融氏の弟子筋
速水氏よりずっと若い世代なのに、磯田氏が妙に年寄臭く、おまけに田舎臭くなってしまっているのは困ったものですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
中国の「ひょっこりひょうたん島銀行」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8940
「トッドの失望」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8946
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